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ブタさんの糖尿病を憂い、ニワトリさんが絶滅しないことを願う

 かなり昔のことになるが、私が短期間だがアルバイトしていたコンビニでの話をしよう。
 今ではそのコンビニの運営会社は合併だか吸収だかされて看板を変えてしまったが、今でもそのコンビニは営業を続けている。
 どこのコンビニでもそうであろうが、時間になると賞味期限の迫ったパンやおにぎり、弁当などを陳列棚から撤去する(当時はあまり総菜はなかったように思う)。

 そのコンビニでは撤去した商品はオーナーがチェックし、全て廃棄される決りであった。廃棄されるパンや弁当は毎回買い物カゴ2個分ほどあった。結構な廃棄量だ。
 一部はオーナーが持ち帰っていたのかもしれないが、従業員に安く販売したり無償で分け与えるようなことは一切なかった。

 今ではこんなことはできないだろうが(当時でも本来はできなかったはずだ)、レジの金額が足りないとそのレジを担当していた従業員の給料から不足分を差し引いたという因業で吝嗇なオヤジがオーナーであった店だ。廃棄するくらいなら従業員に安く販売しそうなものだが、何故かわからないがそういうことはなかった。

 賞味期限が切れたからといってそれらの商品が食べられないわけではない。固くなったり風味が落ちるといったことはあるだろうが、食品としては “全く” と言ってよいほど問題はない(と私は思っている)。
 先日、賞味期限を2週間ほど過ぎた納豆を食べた。
 私は納豆であれば賞味期限1か月以内であれば食べても問題ないと思っている。「納豆は腐っているのだから更に腐ることなどない」というのがその理由だ。

 腐っているのと発酵とは違うなどと能書きをタレる輩は必ずいるが、私に腐敗と発酵を見分ける能力はない。蒸した大豆の表面がヌメっていてカビのようなものを纏い、触れると糸を引くようなものを私は腐っていると判断する。
 蒸した大豆と納豆の臭いは明らかに違う。蒸した大豆の臭いからすると納豆のそれは、私には完全に普通(食べられる状態)ではないと判断する臭いの範疇のものである。
 では何故1か月を過ぎた納豆は食べないのかというと、「納豆菌が増殖し過ぎて気持ちが悪い」からである。増えすぎた納豆菌のイメージが食指をそそらなくさせている。

 近所のスーパーに賞味期限の(迫ったではなく)切れた商品を安く売るところがあり、これらの食品を食べて何かあっても責任は持ちかねる旨の断りが書かれていたのに驚いたことがある。
 いくらもったいないとはいえ、これはまた別の問題があるように思える。

 さて、私がそのコンビニの廃棄処分となる2個の買い物カゴを見たのが20年と少し前であったろうか。
 手元に西暦2002年の全国のコンビニの統計があり、その数は約40,000店だ。
 私は深夜から朝までのバイトであったが、その間に廃棄分を回収するのは1回だけであった。
 もしかしたら昼間の時間帯も廃棄分を回収していたのかもしれないが、仮に廃棄分の回収は1日に1回しかなかったとして、1日あたり1店舗から買い物カゴ2個分の食品が廃棄されていたとすると、全国では1日あたり買い物カゴ80,000個分の食品が廃棄されていた計算になる。

 2023年5月末現在の全国のコンビニ数は57,978店である
 新たに開店した店舗や閉店した店舗もあるだろうが、2024年1月現在少なくとも57,000店はあるのではなかろうか。
 近頃は賞味期限の迫った商品に割引シールを貼って販売しているコンビニも珍しくないので、仮に1日1店舗で買い物カゴ1個分、2002年当時の半分の量の食品が廃棄されているとすると、1日に買い物カゴ57,000個分の食品が廃棄されている計算になる。
1年で20,805,000個の買い物カゴに入ったまだまだ美味しく食べられる食品が廃棄されているのだ。これは由々しき問題である。

 何故こんなことを書いているかというと、最近、ある食品工場で廃棄されるロスを目の当たりにしたからだ。
 その工場では主に洋菓子を製造していて、最初に私が目にしたのは某スーパー向けのスティックケーキを個包装する工程であった。
 機械が次々とケーキを包装していくのだが、機械の出口に重量計が設置されていて既定の重量から外れている商品がはじかれる仕組みになっていた。はじかれる量は全体の2割ほどもあったろうか。

 はじかれた商品は「重量が少ないものは使い道がない」という理由で廃棄されていた。
 トッピングが足りないものや崩れているものは仕方ないと思うのだが、たった1g少なくても、あるいは1g多くてもはじかれてしまう、つまり廃棄されてしまうのには納得がいかなかった。
 長い棒状のケーキを機械が自動でカットし製品にしているので、多少の重い軽いはあるが、そこは機械がやることで極端に重いものや軽いものはほとんどない。機械の設定重量の下限をほんの少し軽くし、上限は設定しなければはじかれる商品はほぼなくなるのではないだろうか。規定重量を大きく外れるものは人の目視で選別できるだろう。

 焼き菓子のラインでは焼きあがった製品表面にヒビが入っていたり、大きすぎたり小さすぎたりするものがはじかれていた。ここでは全体の凡そ半分の製品がはじかれていた。1日かけて焼いた半分の量がはじかれるのである。
 そしてはじかれたものは廃棄されることになる。
 ケーキもそうだが、これら流通しない分の原材料費や人件費等を含めた製造原価から販売価格が設定されていると思うと洋菓子を正価で買って食べようとはとても思えなくなる。

 この工場内には変わった表示のあるゴミ箱が設置されていた。
 「紙」や「廃プラスティック」などと書かれた数種類の分別ゴミ箱の中に「豚エサ」と表示されているものがあった。

 ゴミ置き場の中にあるケーキや焼き菓子などの食品を廃棄するところは、高さが1.5mほどの2tトラックの着脱のできるトラックの荷台で、中を覗くと欲とカロリーと生クリームでカオスと化した宇宙空間がゴチャマンと盛り広がっていた。
 多分、これが「豚エサ」となるのであろう。
 ブタさんが糖尿病にならないか心配である。

 私の拙い想像力が根拠なので断言はできないが、日本にある食品工場の出す食品廃棄物の1/10もあれば、食料不足に喘いでいるガザの全避難民を半年で糖尿病患者に化けさせる程度の食品廃棄量はあるように思える。

 このような大型の食品製造工場が全国にどれくらいあるのかわからないが、多かれ少なかれどのような食品工場からも相応の廃棄食品が発生しているであろうことは想像に難くない。
 それら全ての食品製造工場から出るロスは、これまた根拠はないが1日で優に数万人の飢えを凌げる量はあるのではないかと勝手に想像している。
 それらが廃棄され、あるいは豚さんのエサになっていることを考えると実にもったいないと思うのである。

 はてさて、そういう我が家の冷蔵庫からも最近廃棄した食品がある。
 納豆1パックと豆腐1丁、それから鶏肉1枚である。
 他にも僅かに残った漬物やおかずの残りなども廃棄することはあるが、それらは例えるなら機械を動かすうえで必要な無駄、つまりあそびのようなもので、この程度の廃棄には目をつぶることにする。(もったいないとは思うのだが全くロスのない生活など考えられないので必要無駄として納得することにした)

 納豆は前述した賞味期限が1か月経過したもの。豆腐は未開封のパックのままやはり1か月近く経ってしまったもの。鶏肉はもも肉2枚入パックの1枚だけを使った残りで賞味期限から相当の時間放置してしまったもの。
 妻はいるがもう随分と長い間病人をやっていて、買い物も毎夕食の調理も私の役目になっている関係上、必然的に冷蔵庫の庫内管理も私が管理すべきものになっている……気がする。私の管理不行き届きということにしておこう。

 他所の家でも食品をダメにすることはあるだろう。様々な食品を廃棄していると思うが、ここでは1世帯が2週間に廃棄する様々な食品を鶏のもも肉1枚分として換算し計算してみる。
 全国の世帯数は約4885万世帯だそうだ。
 1年間に2週間、つまり14日は約26回ある。1世帯が年間廃棄する食品を鶏のもも肉に換算して26枚と置き換える。
 すると1年間で全国で捨てられる鶏のもも肉は1,270,100,000枚ということになる。

 おぉぉぉぉぉ! 何ということだ。
 鶏のもも肉は2枚で1羽分。ということは年間6億3千5百5万羽の頭のない(胸もない)ニワトリさんがゴミ捨て場に走り逃げていることになる。
 とてつもない食品ロスである。コンビニや食品工場の比ではない。
 ニワトリさんが絶滅危惧種にならないことを願う。

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