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孤独にはなりたくない

冒険家で写真家の石川直樹さんの新刊「地上に星座をつくる」を読んでるのだけど、面白いけど、面白くない。
冒険の記録というよりも、旅や冒険のちょっとしたエピソードやそこから感じたことを書いた短いエッセイを集めた本。
書かれているできごとは抜群に面白いしそれについての石川さんの思索も興味深い。
一方で彼が書く文章のなかには、他者が生きてないようにぼくには感じられてしまう。
 
5年ほど前に石川さんの写真展に照明家として仕事で関わったことがある。
写真の一枚一枚にどう光を当てるか。
空間全体の構成を光でどう魅せるか。
デザインやディレクションの担当ではなかったけど、現場での設営、調整をまかされていたのでの展示された石川さんの写真とは会場でじっくりと向き合った。
 
実はその展示会では石川さんの写真に驚くくらい心が動かされなかった。
仕事で関わってるからかなとそのときは思っていたのだけど、いま思うと本の印象とかぶるものがあった気がする。
もちろん、文章にも写真にも石川さん以外の登場人物はいる。
だけどぼくには、生きた人間の熱を感じられなかった。
 
帆船に乗り始めたころ、ヨットでの長距離航海の航海記を読み漁っていた時期があって。
その時も同じように感じることがよくあった。
面白いけど、面白くない。
ひとつひとつのできごとはとても面白い。
出港までの思いや準備にまつわるトラブル。
寄港地でのちょっとしたエピソード。
航海中の苦労や感動。
だけど物語が船のなかだけで完結してしまっている。
 
当たり前といえば当たり前のこと。
ひとの暮らす土地から離れて厳しい自然のなかに分け入ること。
そんな経験のないぼくには想像しかできないけど、おそらくそれは個人的な経験へと帰結するのだろう。
たとえ同行者がいても、自分の身を守るのは自分の力。
世界と向き合うのも己ひとり。
 
石川さんとの直接の面識はないし、話を聞いたこともない。
(展示会の会場ではお見かけしたけど会期前のチェックの作業にきていただけなのでひととなりまでは推し測れない)
活動とかをフォローしていても、人当たりが悪いとは思えないし、他人に興味をないとも思わない。
だけど自分の体験を表現するなかで、どうしても自分の体験を語ることが中心になるのは仕方のないこと。
そして「地上に星座をつくる」にもときどき書かれているけど、おそらく日常の営みの世界や時間よりも、過酷な冒険のなかに孤独に身を置くほうがしっくりくる、そんな人なんだろう。
 
そしてぼくは、そちら側の人ではない。
 
プロフィールだけを見て「冒険家ですね」と言われたことがあったけど自分では全くしっくりこなかったのはひとりで世界と向き合ったことがないから。
帆船で航海することはぼくにとっては孤独になることとは真逆で、船に乗り合わせた人たちと擬似家族になることだと思っている。
好きとか嫌いとか、関心があるとかないとか、そういうこととは関係なく同じ船に乗り合わせてある意味で運命共同体になるということ。
本来は縁なきひとたちがたまたま同じ航海に乗り合わせたことから始まる物語。
その微妙な関係性、それがぼくにとっての帆船の魅力。
 
大西洋横断航海の航海記を書いたときに考えていたのは、ぼくだけの物語にならないようにということだった。
一緒に航海した仲間たちとの物語。
書きたかったのはそれだったけど、うまくできたとは全く思っていない。
結局のところぼくも自分のレアな体験の事実だけを綴り、それが評価されて賞をもらっただけ。
だからあの文章はぼくにとってすごく切ない。
自分の書き手としての限界を突きつけられたものだったから。
 
それでも、まだ。
ぼくも。

https://www.pen-online.jp/news/art/k2-ishikawa_naoki/1

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