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愛知の三河地域にはなぜ醸造蔵が集まっているのか 【三河・醸造文化の旅 #1】

おはこんばんちは。フードスコーレ校長の平井です。

段々と暑さが増してきた5月の末。スコーレメイトのみなさんと運営スタッフと一緒に、「愛知三河・醸造の旅」に行ってきました。はじめての「修学旅行」です。愛知県碧南市にある日本料理「一灯」の料理長である長田勇久さんと一緒にこの旅の計画を立て、5月28日(土)〜5月29日(日)の2日間、三河の中でも碧南〜岡崎をめぐる旅。醤油蔵、みりん蔵、味噌蔵を訪問し、蔵の方が「案内人」としてガイドしてくださいました。

ここでは全3回にわたって、平井が旅のレポートをお届けしていきたいと思います。

フードスコーレでは、この修学旅行を「フードフィールド」と呼んで、「7つのSTUDY」のひとつに置いています。フードフィールドのポイントは、「つくり手など現場の方たちとたっぷりとお話しをする」ということ。つくり手が、なにを大切にしてどんなことに悩みながら課題に取り組んでいるのか。そういう話も聴きながら、ときには脱線する会話も歓迎して、つくり手の体温を感じる体験をしたいなと思っています。

もちろん現場の見学もさせてもらいながらです。インターネットで検索しても見当たらないような情報って(そもそも何が見当たらないかに気づきにくいもんですが)、現地の空気を吸って、汗かいて歩いて、会って話して、匂い嗅いで食べて、ということをしないと腑に落ちないというか。

そこはやっぱり、食の先には人があって、人の先にも食があるということを、これまでフードスコーレをやってきて僕たちは学んできたので。ただ遠い地を訪れるだけでなく、なんといいますか、人間くささも感じるデコボコな修学旅行にしたいと思っています。

フードフィールドの第1弾に「愛知県の三河地域」を選んだのには理由があります。

愛知の食文化、とくに三河の醸造文化については、長田さんから、これまでたくさんのお話を聴いてきました。三河のお酒、白醤油、みりん、八丁味噌など醸造品がおいしいのは当然だけれど、「つくり手の想いやその姿勢にも見習うものがあるんです」と長田さんはおっしゃるんですね。

長田さんはご自身のお店で実際にそれらをつかっていて、愛知の食文化を体現しているおひとりでもある。そんな長田さんがそこまで言うのだから、愛知三河にはよっぽど何か魅力があるにちがいない! ということで、「長田さんの食周りの仲間に会いに三河へいきたいよね」とフードスコーレを運営するメンバー同士で話していたんです。

生産現場でいま何が起きているのかを、五感をつかってゆっくりと捉えにいってみようよ。現地で一泊しながらさ。そんなふうにこの旅の計画がはじまりました。

ちなみに。僕は個人的に歴史が大好きです。三河地方はもうたまらんのです(これについては長くなるので端折ります)。この地で何代もつづく蔵を営んできた長い長い時間。その時代の人たちが何を思いながら製品をつくっていたのか。食も歴史の視点で深ぼると妄想が膨らんで、あたらしい気づきがあります。この妄想が、今回の旅をまた一層濃厚なものにしてくれました。

今回訪問する先やお話を伺う方たちは、長田さんにセレクトしてもらいました。

今回の案内人
日東醸造株式会社 蜷川洋一さん
株式会社角谷文治郎商店 角谷利夫さん
日本料理一灯 長田勇久さん
鈴盛農園 鈴木啓之さん
合資会社八丁味噌(カクキュー) 野村健治さん
株式会社まるや八丁味噌 浅井信太郎さん

とにもかくにも、いろんなことに期待しながらはじまったのが今回のフードフィールドです。ひとりで見学に行くのとはワケのちがう、とびっきり充実した初夏の旅になりました。


愛知三河の醸造文化を知る

5月28日の碧南の天気は晴れ。前日あたりからすこし暑くなってきていて、「長袖にしようか、半袖にしようか?」と着るものを迷うような陽気でした。

この旅ではじめに訪れたのは、碧南にある「日東醸造株式会社」さん。創業以来、白醤油や「三河しろたまり」シリーズなど調味料の製造・販売をされている蔵です。名鉄三河線の北新川駅から15分ほど歩くと、蔵や工場が立ち並ぶ町の中に、「日東醸造(株)」の看板が見えてきました。

蔵の外で代表の蜷川洋一さんが私たちを待っていてくれて、「遠いところまで大変だったでしょう」と笑顔で出迎えていただきました。

蔵の中へ招いていただき建物に入ると、早速「ブワッ」と鼻を刺激する発酵特有のいい香り。重厚感のある薄暗い空間の中で目を凝らすと、あちらこちらで木の建材が蔵の雰囲気を醸しています。

いきなり異世界に入ったかのような気持ちで、案内されるがままに階段を上がると、明るく広い部屋に通していただきました。そこは学校の教室のように、机と椅子が同じ方向に並べられていて、それらと向かい合うように黒板が置いてあります。そこで蜷川さんが一言。「いまから愛知三河の醸造文化についてお話させてもらいます」

蜷川さんがチョークをつかって黒板に書き出す姿を見て、「本物の学校で授業を受けてるみたい!」とみんなでワクワク! まず教えていただいたのは、三河は「醸造蔵がたくさん集まる地」であるということ。それはなぜか。そのことを知るには、まずこの地の食の歴史を紐解くことからはじまります。ここからは、蜷川さんから教えていただいたことを記します。

この地の食の特徴にあげられるのは、なんといっても「豆味噌」。平井は東京出身なので、味噌といえば米味噌や合わせ味噌をイメージしますが、碧南出身の蜷川さんにとって味噌と言えば、ちいさいころから「豆味噌」だったらしいです。豆味噌は米をつかわないのが最大の特徴。

つぎに醤油。この地で醤油といえば「溜まり醤油」。蜷川さん曰く、むかしこのあたりでは「醤油」という言葉をつかっていなかったそう。なんとなんと。

そして日本酒。江戸時代後半、お酒の産地といえば関西でした。そのころ灘・伏見のお酒は、大阪の港から江戸品川までを帆船で運搬。その航路の途中で寄っていたのが、知多だったのだそう。このとき知多の人たちは「お酒を運ぶ仕事だけではなく、じぶんたちも酒をつくって売ろう!」と考えたようで、これが知多での酒づくりのはじまりとのこと。

この酒づくりのときに、とにかく大量に酒粕が余ります。その酒粕を利用して醸造したのが「粕取り焼酎」。この粕取り焼酎で仕込んだのが「みりん」です。独特な風味や甘みは三河のみりんの特徴になっています。

その後、酒粕をつかった酢づくりも行われるようになり、いまの半田市(半田市は三河ではなく尾張地域)で中野又左衛門という人物が酢の醸造をはじめます。これがいまのミツカングループの創業とされているようです。又左衛門は大消費地の江戸に向けて酢を売りだそうと、早寿司につかう酢を販売して成功します。

こんなふうに愛知三河地域でいろいろな醸造が興り、今までつづいてきた理由のひとつには、お米、大豆、小麦、塩などの原材料が地元で手に入りやすかったことがあげられるんだとか。

なるほど歴史を知ると、「よし商売にしよう!」とか、「こうして生きていこう!」なんて当時を生きる人たちの思惑もイメージしやすくなります。その地域の風土や環境を下地に、人の生きようとするちからや想いが長い年月をかけて積み重なって食文化をつくっていくんだな、と感心しちゃいました。いやー、すごい!

究極の白醤油「足助仕込三河しろたまり」は醤油じゃない?
(日東醸造 蜷川洋一さん)

蜷川さんから三河地方の醸造文化について教えていただいた後、日東醸造でも製造している白醤油についてのお話を伺いました。

醤油はJAS法で5種に分類できます。濃口、淡口、たまり、再仕込み、そして白醤油。両親ともに東京生まれの僕にとって馴染みがあるのは、やっぱり濃口醤油。醤油の中でもシェアが一番多くて8割を超える。白醤油はというと、醤油の中で一番シェアが少なく、全体の1%未満らしいです。

白醤油はほとんどが小麦でできていて、大豆は原料全体の5%ほどしかつかっていないとのこと(蔵によって原料の比率はちょっとちがう)。「原料の小麦と大豆の比率」と「醤油の色」には相関関係があり、大豆が多くなるほど醤油の色が濃くなります。つまり白醤油のように色を薄くしたい場合は、小麦のつかう量を多くすればいいわけです。

また、白醤油の醸造期間は短く、わずか2、3か月になります。これってほかの醤油にくらべて醸造期間がものすごく短いんです。醸造期間が長いと液体の色が濃くなってしまうらしいです。

そして、製造過程で塩をたくさんつかうことも特徴的で、そうすることで発酵のスピードを遅らせ、醤油の色が濃くならないようにします。白醤油が他の醤油にくらべて塩っぱいのはそのためなんだとか。

そして話は、「足助仕込三河しろたまり」へ。先代会長の、「原点に戻り究極の白醤油をつくってみたい」という想いから、日東醸造は国産小麦でつくった小麦麹を通常の2倍量使用した「しろたまり」を発売しました。

この「しろたまり」は、最適な水や仕込み場所を求めて奥三河に新設した「日東醸造足助仕込蔵」で昔ながらの木桶をつかって仕込みます。愛知県産の小麦と伊豆大島の伝統海塩である「海の精」を原料に、化学調味料や保存料は一切つかわない、天然醸造の “小麦醸造調味料” です。

ん?  “小麦醸造調味料” ? 「しろたまり」は醤油ではない?

「しろたまり」が醤油ではなく “小麦醸造調味料” なのは、原料に大豆をつかっていないので現行法では “醤油” と表示できないため。

でも蜷川さんは、醤油蔵でつくったものが“醤油”と名乗れないことへの違和感と、先人に対する想いも合わさって、“醤油” の表示にはどうしてもこだわりたかった。“醤油” と表示するために原料に大豆をつかおうか。でもそうすると味も変わるし、なにより特長であるあの薄い色ではなくなってしまう。

悩む蜷川さんのもとに、「しろたまり」のことを好きな各地のお客さまから、「大豆は入れないでほしい。醤油という表示はなくてもいい」という趣旨のお手紙がたくさん届きます。この手紙を読んで蜷川さんは「お客さまは表示じゃなくて、中身を見てくれている」と感じたそうです。結果、日東醸造では「しろたまり」を “小麦醸造調味料” として販売しつづけることになります。

蜷川さんは醸造のこと、醤油のことをわかりやすく説明してくれ、質問に対しても丁寧に答えてくれました。物腰の柔らかいその奥底で、醤油に対する情熱を持った方なんだと知ったとき、蜷川さんのような方たちが「白醤油」のような大切な食文化を、これまで絶やさないようにされているんだと気づくことができました。

旅のはじめに、この地の醸造文化について蜷川さんに教えていただいたおかげで、この後とても充実した2日間を過ごすことができました。蜷川さん、ありがとうございました!

<つづきます>

この旅で訪ねた方たち
長田 勇久さん
「小伴天」代表取締役社長。「日本料理一灯」店主。大学卒業後、つきぢ田村にて6年間修行。のち小伴天に戻る。地元愛知の漁港、畑、醸造蔵をめぐり、様々な作り手の思いのつまった食材を使った日本料理「一灯」を2015年オープン。店主をしつつ、白醤油講座、愛知大学オープンカレッジ講師など多方面で地元の伝統的な野菜や調味料、和食の魅力を伝える活動や、真空調理をはじめとする新調理技法の講師としても各地で講演や指導をしている。新調理技術協議会幹事 / 和食文化国民会議幹事。著書「真空調理で日本料理 」「わかりやすい真空調理レシピ」「調味料の事典」(柴田書店出版)

蜷川 洋一さん
1959年生まれ。愛知大学法経学部経済学科卒。1982年大学卒業後、酒類販売の江崎本店(名古屋市)に入社。1984年同社退社後、日東醸造入社。究極の白醤油を作ってみたいという先代会長の思いから、1993年、国産小麦で作った小麦麹を通常の2倍量使用した「三河しろたまり」を発売。発売後も、最適な水や仕込み場所を求め、1999年には仕込み蔵を愛知県の奥三河、足助町に移し「足助仕込蔵」を新設。「しろたまり」を含め三河地方の醸造文化の魅力も伝える「しろたまりワークショップ」を全国各地で行う(開催累計約270回、参加者約3,800名様)


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