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男鹿の空に「クラフトサケ」の星座が昇った日

今、日本の酒業界を揺さぶる「クラフトサケ」というジャンルに注目が集まっている。その震源地である、秋田県・男鹿半島で開催されたクラフトサケ醸造所「稲とアガベ」主催のイベントから見えてきたSAKEと地域の未来について。

text by Naoko Asai


「この駅の改札にこんな行列ができるなんて…」と地元の人間が目を丸くする出来事が、今年8月第3週末、秋田県・男鹿市の玄関口、男鹿駅前広場で起きた。そこには、県内外から日本酒ファンにはおなじみの8つの飲食店と、2019年~2022年の間に国内外各地に誕生した7つの醸造所(秋田・男鹿「稲とアガベ」、フランス・パリ「WAKAZE」、東京・浅草「木花之醸造所」、福島・南相馬「haccoba -Craft Sake Brewery-」、福岡・福岡「LIBROM -Craft Sake Brewery」、新潟・新潟「LAGOON BREWERY」、滋賀・長浜「ハッピー太郎醸造所」)のブースが立ち並び、それを目がけて土日の2日間だけで日本各地から酒ラバー約4,000人が押し寄せたのだ。

しかし、思い思いに楽しむ彼らのグラスに注がれた透明な醸造酒(なかには濁った“どぶろく”もあったが)は、実は日本の酒税法でいうところの「清酒(SAKE)」ではない。「清酒」の定義からあえて逸脱し、「クラフトサケ」と名乗る新しいジャンルの酒だ。この「クラフトサケ」が、新規参入がほぼ不可能という日本酒業界の硬直した現在の規制に一石も二石も投じる存在として、にわかに注目を集めている。

少しでも日本酒に親しんだことのある人なら、ここでふとスクロールする手が止まるだろう。「“日本酒”ではない酒なのに、日本酒好きが集まる?」「“クラフトサケ”という新ジャンル? そもそも”日本酒”も”クラフト”では?」「“日本酒”と“クラフトサケ”の違いって何?」。数々の素朴な疑問、ごもっとも。まず簡単に「清酒(SAKE)」と「クラフトサケ」の定義を説明しておこう。

清酒/日本酒/クラフトサケ それぞれの定義

「清酒」は、海外産も含め、米、米こうじ及び水を主な原料として発酵させてこしたものを指し、 「清酒」のうち「日本酒(Nihonshu / Japanese Sake)」とは、原料の米に日本産米を用い、日本国内で醸造したもののみを指す。前者は酒税法で原料や製法が定義され、後者は地理的表示(GI)として保護されている。

では、この原料の定義「米、米こうじ及び水」以外の副原料を加えたら? 製法の定義「こす」工程をスキップして(つまりこさずに)瓶詰めしたら? いずれもそれは、酒税法上「清酒」ではなく、限りなく「清酒」に近い「その他の醸造酒」(どぶろくもここに含まれる)というカテゴリーに分類される。実際、日本酒愛好家たちは日本酒の地続きにある酒として違和感なく受け入れ、日本酒初心者に至っては日本酒の入り口の酒として選ばれている。

従来の「その他の醸造酒」の骨組みに、カラフルで人目を引く「クラフトサケ」という看板をはめ込み、ひとつのジャンルとして、さらにはひとつの概念として世に問うのが、2021年、男鹿にクラフトサケ醸造所「稲とアガベ」を設立した、代表で醸造家の岡住修兵氏だ。今回のイベントの主催者でもあり、今年6月には、志を同じくする全国7社のクラフトサケ醸造所を集め「クラフトサケブリュワリー協会」を結成。初代会長を務めている。

実は、「稲とアガベ」以前に、倉庫の片隅にぽつんと置き去りにされていたような「その他の醸造酒」の製造免許を日のあたる場所に引っ張り出した醸造所があった。「クラフトサケブリュワリー協会」にも参画し、2018年夏、東京・三軒茶屋にわずか約15㎡のマイクロサケブルワリーをオープンさせた「WAKAZE」である。

彼らは、2度にわたるコペルニクス的転回で「クラフトサケ」の第一人者となった。まず、清酒を新規で造れないことは周知の事実。それならば、「清酒」にこだわらず、新規参入が可能な「その他の醸造酒」の製造免許を取得すればよい。これが最初の転回。それに、今は、日本酒の伝統技術をベースに、海外のクラフトビールやクラフトジンのムーブメントから影響を受けたクリエイティブな刺激を酒造りに投影したい。こうして、植物を副原料に使用した「ボタニカルSAKE」を年間30種以上という精力的なペースでリリースしていく。

2回目の転回は、2019年にやってきた。日本で新規の清酒製造免許がおりないのならば、海外でSAKEを造ればよいと日本を飛び出し、フランス・パリに醸造所を建ててしまったのだ。海外で清酒を造り、海外で売る(2022年12月23日現在、日本に向けての輸出分は、山形の小嶋総本店での委託醸造に切替)。これまで、大手酒造メーカーや歴史ある蔵元が設立した例はあるが、一スタートアップがそれをやってのけたのは前代未聞。旧来の関係者からは驚きの声が上がり、醸造家志望の次世代にとっては希望の星となった。「クラフトサケ」という道路を造るべく、荒野を切り拓き、雑草を引き抜き、土を慣らし、後続者たちが走りやすいよう舗装まで手がけたのが「WAKAZE」なのである。(2022年三軒茶屋の稼働は一時休止。醸造拠点は現在パリのみ)

設立した地から見えてくる醸造所の思想

その道路を前のめりで走り続けているのが、醸造所や協会の設立から今回のイベント開催までわずか1年足らずで実現している「稲とアガベ」だ。代表の岡住氏は秋田出身者でもなければ、代々続く蔵元に生まれたわけでもない。そこには、生まれ故郷の呪縛も旧世代からのしがらみもない。なのに、なぜ秋田で、ここまで「クラフトサケ」を広めようと奔走するのか。

「それまで秋田には縁もゆかりもなかったのですが、2014年に、秋田の酒蔵“新政”で働いた際に、秋田の人たちに大変お世話になり、ゆくゆくは日本酒を通して何か恩返しがしたいと思っていました」と岡住氏は振り返る。秋田には弟子入りまで考えた自然栽培米の生産者もいる。(岡住氏は市場価格よりずっと高い基準でその農家から酒の原料として米を購入している)醸造所を造るなら絶対に秋田だ。なかなか決まらなかった醸造所の場所も男鹿に見つかった。

男鹿は、秋田県の西の果て、日本海側に突き出した半島に位置し、同じ秋田県内の住民から見ても「遠い」場所(物理的にも心理的にも)。市の人口は約25,000人、男鹿駅の1日あたりの平均乗員数は昨年の時点で229人と、基幹産業がない男鹿は、秋田のなかでも過疎化・高齢化が著しい街。だからこそ、蔵のコンセプトを「男鹿の風土を醸す」とした。
 

 「これには、ふたつの意味を込めています。ひとつは、男鹿という土地や人を理解した上で、男鹿の風土をそのまま瓶に詰め込んだようなお酒造り。もうひとつは、お酒造りにとどまらず、ワクワクするような事業を創出し、雇用を生み出すことです。今年11月には蔵のすぐ近くに“捨てられる可能性のある食材を宝物に変える”というコンセプトの食品加工所をオープンさせます。第一弾は、卵黄の代わりに廃棄リスクの高い酒粕をアップサイクルした、マヨネーズ風調味料です。他にも新事業がいくつか進行中ですが、この地が未来に向けて豊かになっていくことも、“男鹿の風土を醸す”ことだと考えています」
 

 繰り返し述べているように日本酒における新規参入は難しいため、醸すのは「クラフトサケ」。2020年4月の法改正により、海外輸出向けという条件付きで、新規の清酒製造免許が取得できるようになった。その免許も取得した。輸出用の日本酒を造れば、男鹿と日本酒の魅力を世界へ発信できる。そこから先に望む世界は、「世界中の日本酒ファンが男鹿に集まること」。
 
「そのためにも醸造所はうち1軒だけじゃだめなんです。世界中からワイン愛好家が集まるブルゴーニュのようにたくさんの造り手がいないと」。「稲とアガベ」は久しぶりに男鹿にできた現在たった1軒の酒蔵だ。しかし、岡住氏は臆することなく世界でも有数の銘醸地ブルゴーニュの名を口にする。そこに向かって、「クラフトサケ」の仲間と連携し、「クラフトサケ」の知名度を高め、日本酒と「クラフトサケ」が共存できる未来をつくろうとしている。

男鹿のイベント開催が可視化したもの

今回、日本各地から約4,000人を集めたイベント開催もそのための第一歩だ。冒頭で紹介した、飲食店ブースとクラフトサケ醸造所を並べ、クラフトサケの多様性を提示した試飲イベントは「猩猩宴(Shou-jou-en)」と名付けられ、8/20-21に開催された。それと同時に、8/19-8/21に設けられたのが、抽選で30名限定の特別ディナーイベント「曐迎(Hoshi-mukae)」だ。全国から応募があり、「稲とアガベ」ファンで全日完売。360°見渡せる絶景の寒風山が会場の屋外レストランには、地元秋田や東京から参画したシェフ6名、ペアリングのスペシャリスト5名の精鋭たちが集結し、全12皿が提供された。


「曐迎(Hoshi-mukae)」でのウェルカムドリンクを片手に開催の言葉を述べる「稲とアガベ」代表の岡住修兵氏

個性派ぞろいの料理人たちによる食のオーケストラを指揮したのは、「稲とアガベ」の醸造所併設レストラン&ショップに関わる食のクリエイティブディレクター、「TETOTETO」井上豪希氏。コースに使用する食材は、日本でも有数の食料自給率の高さを誇る秋田ゆえ、秋田産で揃えられた。料理は、この日のために作られた地元の陶芸家のうつわや地元の伝統工芸のひとつである川連漆器などで提供され、「食」と「酒」がハブとなり農作物や手仕事がテーブルで一堂に会した。

ペアリングを堪能する我々をぐるりと囲むのは、男鹿の自然。日本海の水平線に沈む夕陽や、東京ではお目にかかれない天の川。言わばこの宴は、この1年、岡住氏が「クラフトサケ」を通して醸した「男鹿の風土」のカプセルコレクション。醸造所が地域にひとつ稼働するだけで、それに伴い人も物もこれほどダイナミックな規模で動く。よって、醸造所は地域振興のエンジンとして駆動するのだという証明を、「稲とアガベ」は醸造所を設立して1年足らずの間にやってのけたのである。




イベントを終えた岡住氏は言う。「交通や宿泊が不便な地方でも“熱”があれば人を集めることができる自信もつきました。地方創生という大袈裟な言葉はまだ使いたくありませんが、熱量の先に見える世界にワクワクしています。まだまだやれる、もっともっと先へ行けそうです」と、すでに、食品加工所、ラーメン店、数年後にはオーベルジュ設立と次の展開に向けて奔走している。

さらに、ここ数年の間には、今回紹介した7つのクラフトサケ醸造所の他にも、日本各地で「クラフトサケ」の醸造所が設立される予定も耳にする。

その時、今回のイベントで示した地域そのものまで醸す「稲とアガベ」の姿勢は、クラフトサケ醸造所の理想的なロールモデルとして参照されるに違いない。また、全国各地に点在するクラフトサケ醸造所を初めて一堂に集め点をつなげて見せたことは、「クラフトサケ」の社会的認知度を拡大した。2022年の夏の男鹿は、線で結ばれたクラフトサケがひとつの星座のように立ち昇った記念すべき地として、日本の酒の歴史に刻まれることだろう。

「稲とアガベ」https://inetoagave.com/
「WAKAZE」https://www.wakaze-store.com/
「クラフトサケブリュワリー協会」https://craftsakebreweries.com/

※この記事は2022年10月27日に公開した、アメリカの発酵をテーマにしたメディア「HAKKO HUB」に寄稿した記事の日本語版です。    https://hakkohub.com/the-day-the-craft-sake-constellation-rose/

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