【GIGAスクール構想】端末の日常づかいって.

いよいよ端末が納品されます.本市も,そうです.
それに合わせて,「活用の約束」的なものもあるわけです.

さて,前提としての話になりますが,結局「うちはこういう子どもを育てようと思ってる」というのがベースになるので,ガチガチにしばろうが緩かろうが,それぞれの自治体や学校のルールに口出しなんて出来ないんですよね.
僕もしようと思いません.出来るはずが,ない.
だって,どの自治体も,学校も,「うちはこういう子どもを育てたいんや!!」という熱い思いのもとに策定していくんだから.
そこには,それぞれの教育観,子ども観がはっきり表れるんですから.
活用の約束をみれば,その自治体や学校の教育観,子ども観が表現されてるんですから.

前置きが長くなりましたが,この活用の約束って,大きく分けて2つの方向があるかなと考えてて.
一つは,最初からガチガチにかためて「これしたらあかん」「あれしたらあかん」等々,禁止・制限事項の列挙にする,というもの.
もう一つは,教師はある程度指針というか方向性みたいなもん持ってんだけど,子どもと一緒に,子どもの活用の仕方をみながら一緒に考えて決めていく,というもの.勿論,この場合も,「これだけは」というものは最初から提示するんだけど,何故その様なルールを設定するかという説明はするし,「あかん」「だめ」「禁止です」ではなく,「こうしよう」という表現にする.

おそらく多くの自治体では(と言い切ってしまうとあかんよね,僕の偏見も入ってるかな),前者の方向が多いのでは,と思うのです.まあ自治体によって,学校によって様々な実態があるので,「市で統一する」となると,浅く広くカバーする様な方向にいくよな,とも思うわけで.
でも,それなら,僕が責任者なら,「これは市の全ての学校をカバーするためにつくったたたき台です.各校によって実態や活用することによって目指す児童像は違うと思いますので,決定稿は各校で決めて出して下さいね」,と言い切りますな.

で,この端末導入のゴールというかなんというか,中締め的なものって,「端末の日常づかい」にあると思うんですよね.
で,「日常づかい」って何かというと,ノートや鉛筆にかわってガシガシ端末を普通に使っていくことじゃなくて,
『子ども自身が今は端末(デジタルベース)で,今はノートや教科書(紙ベース)で』
と,自分で判断出来る様になっていくことじゃないでしょうか.

そういう姿を育てるには,そういう子どもの姿を引き出すには,どの様な「活用の約束」をつくっていくかは,まぁ,分かるんじゃないかな,と勝手に思ってるんですけどね.
この「活用の約束」に関しては,また日を改めて書いてみたいと思います.

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