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母の日 ~老人施設にて~

5月の第2日曜日ということで、イベント感が年々薄れてきている我が家ですが、母が今年のはじめから老健施設に入所しているので、あらためて考えてみた。母への感謝はもちろんですが、老いやそれを支える社会インフラを。

老い
エイジングはなんとなくネガティブな印象を持ってしまいがちですが、体力的に弱くなっていく大切な人が助けを借りながらでも、人間としての尊厳をもって生きていくことが基本なんだろうと思います。

理想はそうでも現実的な日々の生活で言うと、それはそれは色々ありすぎて人間らしくからは程遠い大人の世界が入り混じっています。一般論として。

お金の問題、誰が世話するかの問題、仏壇の問題、兄弟間の問題、コミュニティの問題、行政サービスの問題、介護・医療団体の関係性、その他

人生100年時代と言われますが、日野原重明さんや養老孟司さんなど、老いてますます元気な皆さんもいらっしゃいます。女性だと誰だろうかと考えてみると、佐藤愛子さんだろうか。
あやふやだったので、ググってみるとなんと映画化。すばらしい。

老いることは決してネガティブなことでなく、誰もが行く道、受け止めて、日々目の前にあること丁寧に生きていくことで、最後に、いい人生だったと言って死ねれば、一番いいですけどね。

老人ホーム
母が年初から老健施設にお世話になっていて、洗濯物をとりに2回/週、顔見ながら施設を訪問していますが(家の近くなので便利)、まぁ介護職の皆さんが献身的に入所者の御世話をしていて、頭が下がります。

仕事とはいえ、あるいみワガママな人たちを預かって、食事・入浴・そのたレクや機能回復訓練などをやっているわけですが、うちの母はほぼほぼ、ぼーっと椅子に座って、宙を眺めています。

介護保険制度によって、2割負担で毎月のおよその自己負担分が10万円位で、ザックリ計算すると、お年寄り一人をみるのに毎月50万円の費用が掛かっていて、そのうち40万円が介護保険だとすると、まぁ大変だ、と思います。もちろん食費やリネンなど自己負担分を含んでいるので、正確ではないのですが、社会としての負担は大きいと感じます。

よく言われますが、高齢化が進み、高齢者が増えていくが、介護職の人が増えることはあまりなく、20年後または30年後には、同じサービスをうけられることはないのだろうと。

自分の死に向かって
健康寿命をいかに伸ばすかにつきますね。ピンピンコロリでいきたいですが、それおを選べないのが課題ですね。できるとしたら、健康寿命をのばすためにできることをやる。予防的な行動をとる。

死生観も含め、準備しないといけないなぁと感じます。子どもたちには迷惑かけたくないと、母も言ってましたが、結果的には迷惑ではないですが、人の世話になる部分が大きいのは、本意ではないはずです。本来は。

母の認知症の状況が悪くなり、手がかかるようになった時と、子育てのタスクが重なった時が結構きつかったりしました。また仕事の中でも、ガンガンやらないといけない時間帯や案件の時に、限られたリソースが分散したことは、あの時はしんどい場面もありましたが、工夫が生まれ、協力が得られ、新しい学びも得て、いい経験だったと今は思います。

死を意識することで、今日を大切にする感覚も輪郭を持ち、流されがちな毎日を、今・ここに集中できるようになるのかなと、思ったりします。

長生きはリスクと、誰かが言っていましたが、死ぬまでに、ジブン株式会社として、もうひとハナ咲かすチャレンジをすることで、楽しく行きたいです。

母の話に戻ると、ほとんど、耳も聞こえず、記憶も日々薄れていく中で、闇の中なのか、霧の中なのか、生きている感覚を持ち得ているのか、そういうものを超えた形で存在していることが、色々と考えさせてくれます。存在し、生きることへの意味を周りに伝えることが、役割なんだと思います。
ボーっと、しわくちゃな顔を眺めてみます。

やんばる時節
瀬底島のビーチ。今はヒルトンがあるあたり。
うっすらと向こうに伊江島が見えます。
リーフの白波も。

きょうはいい天気です。
Happy Mother's day!

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