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2024夏ラーニングジャーニー・エピソードⅣ ~モンゴル編2~
モンゴル2日目はゾーンモドのゲストハウスにて、岡山、千葉からいらした今回の旅仲間と合流し、ご挨拶&朝食後、サラさん&トムさん、そして娘さんのセッチャンと一緒にスタートしました。
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2日めの日程は、移動日でウランバートル近郊でチンギスハン像を見学し、日本人墓地に立ち寄り、遊牧民のゲルへむかうことでした。
ゾーンモドからチンギスハン像へ
日本人墓地
ウランバートル郊外ゲル地区でランチ
ウランバートルから遊牧民のゲルへ
ゲルに投宿
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ゾーンモドからチンギスハン像へ
ゲストハウスからトムさんの愛車デリかへ荷物を積み込み、出発。この時点ではどこに行くのかあまり把握しておらず、とりあえず車窓からモンゴルの草原を眺めていました。とにかく広いのと、人の住んでいない場所が多いこと。
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チンギスハンの大きな銅像をみつけてびっくりしたのですが、観光バスも止まっていて、韓国人をはじめたくさんの観光客がいました。ここはチンギスハンが住んでいたことがあるという場所らしく、銅像の下は博物館、ギャラリーとなっていました。
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教科書などに出てくるチンギスハンの顔は、中国ぽい顔しているがこちらは、たくましくモンゴル人好みのようです。
入場料を払い、中に入るとエレベーターまたは階段で馬の頭あたりまで登れます。ギャラリーには篤志家のコレクションで民具や絵画などが展示されていました。
そうそう、この日は小雨がぱらつき、肌寒かったです。
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冬の衣装があったので、着させてもらいました。王様気分。ちゃんと撮影用の背景も用意してあり、完全にお上りさんでした。
外に出ると、ワシさんをみつけパシャリ。
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写真を撮っていると、手に乗せてみたらと言われて、腕を上下させて羽を開いてもらいました。意外と重かったです。
日本人墓地
チンギスハン像にお別れをして、歴史のお勉強タイムとして、ウランバートル中心部から少し離れた郊外にある日本墓地を訪問しました。
第二次世界大戦終結後、ソ連にいた日本人捕虜の1万人超がモンゴルへ移動させれ、収容されていたそうです。そこで様々な労働に従事し、亡くなった方も多数いたそうです。
帰国せずに亡くなった方々の遺骨を預かり、慰霊碑をたて、後に日本政府の援助とモンゴルの協力により、現在「ダンバダルジャー日本人慰霊碑」として公園施設の中で管理されていました。
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建物の中に入ると、パネル展示があり、シベリアから戻って抑留されていた時の大変な状況が想像されました。
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海部首相が日本の総理大臣として初めてこの地を訪問したそうで、政治家や官僚、多くの慰問団が訪れているようです。
説明してくれた管理している方が、岸田首相も今年来る、みたいなことをおっしゃっていたようです。
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亡くなられた方の墓標の中には、沖縄出身の方の名前も有り、すこし驚きました。
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慰霊碑や墓地のある高台からウランバートルを眺めると上のような景色でした。慰霊碑のあるあたりは、コンクリートの剥離などもあり、修復が必要な状況で日本政府の援助で徐々に対応していくようです。
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戦時には、大変な状況があったわけですが、この寒い場所で暖を取ることもなく過ごしていたかと思うと、驚きます。
戦争関連では、沖縄も大変でしたが、この異国の地でも傷跡が残っているということを知れたことは貴重な経験でした。
ウランバートル郊外ゲル地区でランチ
日本人墓地を後にして、いざ遊牧民の待つ草原へというところですが、途中でランチを取りました。ゲル地区(住居とゲルが混在し、電気水道未整備地区)の中の商業施設が集積している、いわゆる町のレストランに入りました。
軽く食事と思い、肉を避け写真から麺ならいけるかなと、注文するとこれがけこう油が多く、しばらく胃もたれするぐらいのボリュームと中身でした。
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2つ上がメニューの写真で、すぐ上の写真が実際にきたもの。麺の上に乗ているのは、卵焼き。そう、モンゴル風焼きそば。
ウランバートルから遊牧民のゲルへ
ランチ後は一路、ゲルを目指し長時間のドライブ。ウランバートル市内は慢性的に交通渋滞がひどいらしく、渋滞を避けながらトムさんが運転してくれました。
4時間のドライブは舗装道路ではあるのですが、片側一車線で信号のない、ひたすら草原を走った印象です。ところどころに小さな町があり、給油したり、休憩など挟みながら向かいます。
舗装道路が終わり、そろそろオフロードを走るという頃には、陽が落ちてきて暗くなり始めていました。
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サラさんとトムさんの娘、セッチャンと馬乳酒で乾杯。これからしばらく西洋文明ぽいものとはお別れよ、とコンビニに立ち寄り、馬乳酒を買ってくれました。この後、遊牧民それぞれの家庭の馬乳酒をたくさんいただくことになるとは想像もせず、ペットボトルを傾けました。
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ゲルに投宿
4時間のドライブの末、目的地に到着。火はすっかり落ち、暗くなっていたのですが、遅い時間から歓迎してもらいました。
ちなみに、舗装道路から外れて草原の中を走っているたのですが、看板があるわけでもなく、カーカビがあるわけでもなく、車の轍があるだけです。薄暗い中でよくみち間違えずに着いたなと、後から気が付きました。
到着した家は(ゲルは)、トムさんのご両親の暮らすゲルでした。
ゲルについたら、まずお茶(ミルク)を頂き、おそい夕食を頂きました。ヌードルとお肉がが入った汁物で、美味しかったです。
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ながーい一日がここで終わり、男性女性に分かれて、それぞれのゲルに入り、就寝準備。
ゲルには2台のベットが置かれ、真ん中にストーブ(夏場は使わない)があり、広々とした快適な空間でした。
キッチン用のゲル、お父さんお母さんがいるゲル、トムさんのお姉さん家族がいるゲルなど、6、7棟のゲルがありました。
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ゲルに到着し、満点の星空の元でぐっすり休み、次の日からのゲル生活に備えました。
(つづく)
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