見出し画像

旅するフォントかるた(大阪編)

フォントかるた制作チームのメンバーは、ふだん世を偲ぶ仮の姿(デザイナーであったり、着付師だったり、主婦だったり、お母さんだったり)で働いているため、どうしても活動は首都圏が中心になっています。

が、フォントかるたを遊んでみたいとか、こっちで紹介して欲しいとか、あるいは自分たちで「ここに持っていきたい!」「行ったことないから行ってみたい!」「美味しいものを食べたい!」「日常から逃れたい!」などなど、さまざまな理由をかこつけては、首都圏からの脱出を企んでいます。
(呼んでみたいという方は、ぜひお声がけを)

そういった非日常の場所の活動が「旅するフォントかるた」です。ハッシュタグをつけて、Twitterに流したりしてます。

今回は、制作チーム2号こと伊達が大阪のイベントに呼ばれて行ってきましたので、大阪編としてお送りしたいと思います。
このイベントは、大阪DTPの勉強部屋主催の「文字と組版、印刷展〜アナログからデジタルへの変遷(終了)」。日本の印刷、活字からDTPまでの間にあった技術や機器、それを記録した映像や書籍などが展示されました。

画像1

こちらは手動写植機のモリサワのMC-6型(1967年発表)です。ガラス製の文字盤をスライドさせて使いたい文字を選び、下から光を当てて上部の印画紙に焼き付けるのです。円筒型のものがレンズで、この組み合わせによってサイズを自由に変えられるようになっています。実際にまだ動く機器は珍しいです。展示会では、操作方法なども実演してくださいました。

画像2

こちらは印刷技術関連の展示で、製版時に使用するスクリーンです。両手を回しても抱えきれないくらいの大きさのもので、ガラスに細い細い線が描いてあります。これを精度高く作るのはさぞ大変だったことでしょう。ごいすーです。

たくさんの来場の方が、今回のイベントについてのツイートをされているので、詳しく知りたい方はぜひこちらを。2号のセミナーについては、いずれちゃんとまとめてご報告したいと思っています。


さてさて、今回の「旅するフォントかるた」の一枚は、こちら。

画像3

中央区大手通二丁目4にある、大阪活版所跡です。
明治3年に、五代友厚の懇望を受けた本木昌造が設計設立した活版所の跡で、大阪の近代印刷発祥の地。本木昌造さんは、知る人ぞ知る日本の活版印刷の祖。幕末の長崎で、世界に立ち遅れていた日本の印刷(それまでは木版しかなかった)を憂いて独自に研究を続け、日本に金属活字による印刷(活版印刷)をもたらした方です。また、その技術を全国に普及したことでも知られています。

画像4

こちらは活版所跡から少し歩いたところにある、大阪商工会議所に立つ五代友厚の銅像。朝ドラ「あさが来た」で「五代さま旋風♡」を巻き起こした、ディーンフジオカ演ずる、あの五代さまです。銅像もイケメンさんですね。

薩摩藩の記録奉行の次男として生まれ、武士から役人、そして実業家へと激動の時代を、度量と先見の明で生き切った五代さま。ドラマでは通訳や鉱山王として「あさ」を見守る様子が描かれていましたが、実は印刷にも関わっていたんですね。

調べてみると「印刷技術は国力である」という五代さまたちの思いが感じられるエピソードがいくつも出てきます。今になってもメディアはやっぱり国力だと思いますが、印刷の技術が変遷していったように、メディアも印刷からオンラインへと変わりつつあります。

昔のことを知ってどうする?何に役立つの?という問いもあるでしょう。
でも現在が突然現れたわけでなくこれまでにいくつもの技術や、苦心や、優れた発明や、デザインがあったわけで。その上でいま、わたしたちが生きていて、そして文字を使うことができている。「何に役立つの?」はわからないけど、それでも見ておくこと、知っておくことに何かの意味はあるんじゃないかなー?
そんなことを思った2号でした。

フォント名を読み上げて、そのフォントで書かれた札を取る。「フォントかるた」の制作チームです。書体やフォントに関するあれやこれを楽しく綴ります。https://www.fontkaruta.com