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無意識下でネガティブなライフスタイルを選んでいた

20歳のときに嫌われる勇気を読んだ。
かなりお気に入りの1冊で、付箋やペンで書き込んだままの本を
今でも大事にして読み返している。
振り返ってみると、本に書いていた通り
自分のこれまでの人生の半分くらいを過ぎた今、
結構理解し実践できていることに気付いた。

本の中にライフスタイルは自分で選んでいる、
それはおおよそ10歳前後という話があった。

最近ふと思ったことがある。
それは、自分は元来根明だったんじゃないか?ということだ。


根暗、根明という言葉で人を分類するのは好きでないが、
気質としてそういう傾向があるということはなんとなく理解できる。

学生時代

自分は幼い頃、人見知りこそするものの明るい人間だったように思う。
小学校で隣の席になった子と仲良くなれるし、
当時「一度笑かせられれば仲良くなれる」という経験則があった。

やんちゃな子は怖かったからあまり話せなかったけど、
普通に交流する子たちに対しては、自分からふざけて笑ってもらって
そこから仲良くなっていた。

でも、いつからだろう。
それこそ10歳頃から、そんな行動を取らなくなったような気がする。

中学校に進んで、常時かっこつけるのが標準モードになった。

高校ではもっと悪化して、無気力がかっこいいと思っていた。
もはや無気力を通り越して根暗でネガティブだった。
それがかっこいいと思っていたのだ。

そのライフスタイルを選んだ理由

高校生の頃に出会ったアニメの氷菓の影響だと思う。
主人公の折木奉太郎の省エネ主義がとてもかっこよく見えたのだ。

社会人になってから見返して驚いた。
というのも、あのアニメでは省エネ主義の主人公が人との出会いや行事を通じてモットーや価値観が変わっていくことが描かれていたからだ。

自分はあのアニメに関して、触りの部分だけしか
理解していなかったのかもしれない。


ライフラインチャート

先日、「「いつでも転職できる」を武器にする」という本を読み、
紹介されていたライフラインチャートを書いてみた。
横軸に時系列、縦軸に充足度を設定したものだ。
すると、谷になっているところに共通点があった。
それは、

  • 自分で選んでいないことをしている

  • 友達がおらず、1人で満足できる趣味だけをしている

という時期だったのだ。

1つ目は裁量と自己決定の話なのでそれはまた別の機会に考えるとする。
注目したのは2つ目で、その逆となる「友達がいて、一緒に楽しく遊んでいる」時期がわかりやすくライフラインチャートが上がっている。
大学時代はまさにそうだ。
自分が選んだ集団に属して、気の合う友達と一緒に遊んでチャートがぶち上がっていた。
このことから、自分の人生には友達がいて一緒に楽しい時間を過ごせることが大事なことがわかった。

そして、それは高校生の頃のように
自分から進んで後ろ向きな考え方をしていた時期には下がっている。
つまり、1人でいることをそこまで好まない性格だ、ということがわかった。

根明を取り戻す

以上のことから、これからは「自分は元来根明だったんじゃないか」説を推していく。まさに、小学生の自分の「一度笑かせられれば仲良くなれる」マインドを蘇らせるのだ。

社会人になってから、めっきり友達を作れなくなった。
いや、作らなくなったのかもしれない。
会社で出会った人は、関わるうえでのポジションや利害関係などがあるから友達になろうという思考にならない。
最低限の人間関係でいいと思っている。

ただ、元来根明だよマインドで生きていくとすると、
一旦笑わせてとりあえず仲間にしたい。
その方がなりたい自分像に近い気がするからだ。
少なくとも、人間関係でいちいち凹んだりネガティブな裏読みなどは
できる限り避けていきたい。

常にある程度明るくポジティブで安定している。
そんな人間になりたい。


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