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長文を読むのが苦手だと思っていたけど、掘り下げてみたらソコじゃなかった件

もともと、文章を書くのが好きだったのだが、どうやら人の記事を読むのも好きらしい。

契約書とか保険の書類とか、ながーい文章を見ると、目がチカチカして脳がフリーズします。

一方で、どんなにくだらなくても、どんなに役に立たない情報であっても、面白いものであれば長文でも読めちゃう。


この違いは、なんだろう?


こんにちは。
そんなことを考えている昼下がりに、こんにちは。たいしです。

2回言いました。


わたしは「じぶん研究家」を名乗っており、じぶんの内面を見つめたり、自分の特徴を知っていくことに快感を覚えるヘンタイです。w


自分の不得意なことの一つに「長い文章をよむ」があったんですが、よくよく考えてみたら、自分が好きなものにかんしては、長くても読めるなーと思い、記事を書きながら考察しています。


もしかして「長い・短い」ではなく、そこに「好きが込められているか」がポイントなのでは。と思ったわけです。


契約書とか保険の書類というのは、「好き」の要素はいっさい含まない、100%オーガニックな「保身の書」です。ピュアです。(個人の感想です)

なにか問題があったときに「それって、ここで説明してますよね!」と言うためのガチガチの鎧なわけです。

もはや呪文であり、見るだけで「ウッ」となる有害物質まである(あくまで個人の感想です)


一方で、その人らしさが、だだ漏れている文章というのは読んでいると癒されます。

「そうそう。おれもそう思う」
「なるほど。その視点おもしろいわー」
「うわーーー、それ言っちゃうの!」

共感したり、笑ったり。
「好き」のパワーの偉大さを思い知らされる瞬間。


自分で書いた文章でも、何度も読み返して整える記事もあれば、ダダーッと、右脳にまかせてアウトプットする記事もあります。

人から「この文章、好きだわ~」と言われたものは、圧倒的に後者だったのかも。


こんな、役に立ちそうで立たない記事を好きだと言ってくれる人は、必ず存在している。

これぞアート。
文章はアート。

なんて優しい世界だろう。


すっごい大きな視点でみると、世界平和である。

笑う
 →好きだなーって思う
  →心が癒される
   →人に優しくなる


すごく人に理解されにくいけど、「好き」は世界を平和にする要素。


なにか最もらしい良いことをしなくても、自分らしく存在して「好き」を放っているだけでも同じ価値があるんだなーと思った昼下がり。

こんにちは。たいしでした。(3回目)


大切な時間を使って、読んで頂きありがとうございました。


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