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気が合うことは気を遣えること
私には大切な友達がいる。
性格は正反対、育ってきた環境も全くと言っていいほど違う。なのに、一緒にいると心地が良い。
あまりにも性格が違いすぎて、
どうして私たちは一緒にいるんだろう?
どうして一緒にいると楽なんだろう?
と考えることがある。
辿り着いた結論は心地の良い気の遣い方がお互い出来ているから、というもの。
正直に言えば、顔色を伺うこともあるし分かりやすく共感を示したり、敢えて反するような意見を言うのを避けることもある。でもそれは、決してその子の事が嫌だからとか、少し距離がある友達にするような明からさまなものなんかじゃない。
大切だからこそ、気を遣っている。そんな感じ。
この言葉がぴったりな関係だ。
「親しき仲にも礼儀あり」
お互いがお互いを尊重して、程よい距離を保ちつつ相手への配慮を怠らない。無言は気まずくないし、話しかければ話は弾むし、顔を見ればなにを考えてるか大体見当はつく。
気が合うことは気を遣えることなのではないか。
“気を遣う“という表現は、どうもあまり良く思ってない相手につかう言葉なような気がする。しかし、この子に対してこの言葉がぴったりなのはどうしてか。
本当に気を遣っているのである。でも決して嫌なんかじゃなくて大切でこれからも仲良くしたいと思えるからこそ気を遣っているのである。
こんな風に気を遣える相手はそうぽんぽん出逢えるものではないだから大切にしていきたい。
気が合うことは気を遣えることなのかもしれない。
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