執筆活動という名のつれづれ日記

やった-!私にもようやく仕事と呼ぶことができる「やらなければならないこと」ができた!勝手に始めたノートで勝手に仕事にして、「働いている自分はえらい」を演出している。

ひろゆき氏という有名な方が対談で「日本人は働かなければならない と思っている。」と言っていた。本当にその通りだ。私はベトナムにきてずっと仕事をしない後ろめたさを感じていた。お金を使うことの罪悪感。日本でも大して会社に貢献していなかったのに、すごくガンバってつくしていたと上書きされる過去。いつも辞めたい辞めたいとぐちばっかりだったくせに。いざ辞め、家にいるとなんとも言えない焦燥感。毎日夢に出て来るあんなに嫌だった職場。いざ働かないとなるとこんな思いになるんだと、今まで当たり前の様に働かせて頂き、さらにはお給料まで頂いた会社に感謝しかない。自分で会社を興す勇気も才能も、ましてやそんなことも微塵も考えたことのなかった自分を雇ってくれていた会社様には本当に感謝です。また未熟すぎた自分に付き合って頂いた方々。頭が下がります。

過去を思い出すと恥ずかしさしかないけれど、そんな自分は仕事をし、給料を頂くことが生きていくうえでのウエイトのほとんどを占めていた。働かざるもの喰うべからず。

おや、朝から大の男の人たちがあちこちのカフェでのんびりお茶したりスマホ見てる。きっとどこぞの金持ちね。おやおや、その辺のベンチにも大の男の人たちが寝転んで大音量でスマホの動画見てるわ。おやおやおや、昼過ぎにもカフェにたくさんの男たちランチの後のカフェね。え?大の男たちがベンチで寝てる-?意味わからん。ベンチならいい。地面に寝てる。トイレで寝ている強者も見るぞ。

要するに、大の男が仕事をしていない場面に出くわす。出くわす。出くわす。大の男が大音量でスマホ見ながら何もしていない(スマホ見ているのみ)のに出くわす。出くわす。そして今では当たり前の風景になりつつある。前者ならいい。きっとどこぞの社長で働くのは社員ね。不労所得とかあったりかも。とか。                         後者は?夫やまわりの話だと、こちらでは女性のほうが勤勉。家に一人でもまじめ?に働く者がいたらあとは怠ける…らしい。                                                               それでいいのだ。バカボンみたいになるけど。それでいいのだ。                                                                            (働かなけ「れば」ならない)なんてことは刷り込みにしかすぎない。小さい頃からのまわりの大人達の口癖や環境なんだろうか。                                                              こちらに来て、大の男が堂々と働かない姿を初めて見た。もしかしたらたまたま休みの人もいるだろう。でも私のそんな好奇と蔑みの視線なんてどこ吹く風。自分のしたいことをしてらっしゃる。ましてやもっと不躾にじろじろ視線を投げ掛けてくる。まあ、最近では、悲しいかなあまりないのはなぜだろう。  ひろゆき氏の言っていた言葉が妙に胸にストンと落ちる。

でも待てよ。これって食べさてくれる人がいるから、できることであって、一人だったら無理だよ。必死で稼がなきゃ。自分も貧乏だったし、必死で働いていた。

だから今の生活に心から感謝できる。そして今より貧乏には戻りたくない。どうしても嫌だ。だから稼がなきゃ。働かなきゃ。色々な精神論的な本や動画で知っています。お金に感謝して使う。分かっているけど、どうしても抜けない使う罪悪感。ベトナムで現地の食事や生活にしたら本当に安くできる。信じられないくらい安い。ただし安全の保証も何も無い。贅沢と貧乏症の狭間で、仕事と呼べる(のか?)ノートに書き込むことで心の平和を保つことができると思うとすごくワクワクする。

私は書くことが好きだ。小学生の頃から小説を書いたり、詩を書いたり。大人になるにつれて、好きだったことを忘れていった。中学生の頃、銀色夏生さんが大好きだった。あの詩の世界観。言葉の多様性や美しさを学んだ。高学年では薫くみこ先生の12才シリーズが大好きだった。本当に大好きだった。なんでずっと大好きなものを大事にしてこなかったのだろう。30年以上過ぎた今、あのときの気持ちが甦ってきた。詩や小説を書かなくなったのは、上手に表現できない自分が嫌だったから。うまく書けなくて考えれば考えるほど思考が停止する。それでやめた。アメブロもそう。

どうせ自分の自己満足なんだし、誰が読むわけでもないから自由に書けばいいかとようやく思えるようになった。そしたらノートに出会った。運命だ。誰かに向けてより自己表現として書いていこう。やらなければならないことはない。好きだから書きたいただそれだけ。かっこいいことの様に聞こえるけど、今なら太宰治や夏目漱石の気持ちがわかる気がする。


















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