昔と今で違う「真似ること」の重要性
子供の時と、大人の時とではマネをすることの意味が大きく違っている。
実は大人になると真似をすることの重要性は大きい。
記事をみつけていただき、ありがとうございます。
noteやyoutube、twitter等を見ていると上達のコツや方法のひとつとして
「自分よりも少しできている人の真似をする」
があると思いますが、逆にこう思うこともありませんか?
・真似をすることは人が考えたアイディアを盗むことだ。
・真似をすることに罪悪感を感じる。
・自分で考えるオリジナリティーを持つことが大事。
自分も上記のことを思っていた時期がありましたが、最近は積極的にパクることを罪悪感なしにやるようにしています。このことについてお話ししようと思います。
真似ることはよくないと教わった幼少期
実は、子供の頃は色々な人の要素をパクることでなんとかしのいできましたが、周りからはこう言われたことがありました。
「人のを真似てないで、自分のオリジナルを作りなさい。」
小学校の時に言われたことがあり、この一言がきっかけで自分の中では
「人の案を真似することはよくないこと」という先入観が付いてしまいました。なんで学生時代はどんなに知り合いのアイディアがあったとしても
真似することについては、罪悪感や自分で考えないといけないという謎の意識があって素直になれませんでした。
真似することが大事と認識される今の時代
今の時代は昔と違って、逆によいと思った方法は堂々と真似してもよいという流れになっているなと感じることがよくあります。
・全然パクってもいい。
・パクると最短距離で上達する。
・パクられることは注目されるからありがたい。
個人的なお話を例にしますが、自分の現在の趣味は
料理を作ること
和食やイタリアンをメインにyoutube動画を参考に自分の料理技術を磨いているのですがそのときに大事にしていることは
公開されているレシピ通りにつくること
初めて作るレシピについては100%全部、材料が足りていなかったら買い足しますし、なにか代用品を使うことはしません。全部レシピ通りに作ります。調味料も厳密に測るようにしています。
最初はその方法で作っていたら
「自分のオリジナルがないじゃないか?」とレシピ通りにやるのは敬遠していました。
しかし、歌舞伎役者の十八代目 中村 勘三郎が語っていた言葉が自分がオリジナルにこだわっていた概念をぶっ壊してくれました。
「型があるから型破り。型がなければ、それは形無し。」
オリジナリティーとは、基礎があって初めて色を付けることができます。
ですが、料理にしても仕事にしてもtwitterの運用方法にしても、基本的な良い方法がわかってない状態で自分の色だけを出していても
結果がでないし、ただおかしな方向に進んでうまくいかないことに気が付きました。
そこで、
「真似をしてでも覚えて、そのあとに自分のオリジナリティーを出せばそこで自分の型が決まる。」
こう考えるようになり、真似をする・パクるを積極的にできるようにしております。
最近は、パクることに寛容なユーザーの方が多いので遠慮せずに良いと思ったことはパクってください。
まとめ
ちなみに、noteの文章構成もいろんな記事を見てきた中でうまくいっている方の形をパクって作っています。そこに自分の色をつけるために自分自身でこれは入れたほうがよいのではと思った部分をつけて投稿しています。
twitterもやり方をパクってヘッダーを変えたり、リツイートしてみたりしていますが、まだまだパクり足りない部分はあるのでそこは反省。
方法を真似することは、悪いことではない。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ふぉあぐら
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