いじりといじめの違い

これは昔、お笑い芸人のすごさを真剣に話し合ったときに出た話なので、どの番組・どの記事で書いてあったかはわかりませんが、なんとなく覚えていることです。

今日も記事を見つけていただき、ありがとうございます。

一文字違うだけで、意味合いが違う言葉ってありませんか??
と問いただしてもタイトル以外の言葉が出ません。

そんな、タイトルの言葉の違いについて記事にしようと思います。

結論

いじりといじめの違いは「信頼」があるかどうか。

タイトルの話になったきっかけ

昔、ある雑談の中で話の議題になったテーマがありました。

いじるの技術といじられる技術はどう違うのか

その中でいじられる技術の例として素直に凄いなと感じたエピソードがありました。

アンジャッシュ児島さんへのフリ

これは、見ていて逆に凄いなと思いました。
ただ単純に相手の名前を微妙に間違えるフリですが、これに対してすべてのフリ(パスのようなもの)を全部ツッコみで笑いに変えてしまう技術。
※間違えないパターンもありww

ベテラン・同期・年下の芸能人が相手ででもすべてのフリを全部笑いに変えてしまう懐の深さを思い知らされました。

年下なんか、絶対に先輩芸人にそんなことを言うほうが失礼という感じがありますが、ここには見えない大事な要素があります。

そのやりとりに信頼関係があるかどうか。

「この人(アンジャッシュ児島)だったら、絶対にツッコんで返してくれる」

多分、これがなければ名前を間違えるフリはできないと思われます。

中には技術的になんとか笑いに持って行ってしまう人もいますが、
根本にあるのは信頼関係だと思います。

「名前を間違えてくれたら、全部俺がツッコむ!!、全部のパスを全部シュートしてゴールにしてみせる!!」

これは自分の勝手は憶測ですが、人の名前を間違えるのは非常に失礼です。
でも、それを許容して逆に笑いに変えようとする人間としての器の広さを感じました。

ちなみにですが、

いじるは技術、いじられるは才能。

話の議題で同じようにこれを言っていました。
実はこの記事の隠れた大事な言葉でもあります。

アンタッチャブル山崎とカンニング竹山のなれあいに見る信頼関係

ロンドンハーツでも、こういう信頼関係を前提にしたなれ合いをみることができました。

アンタッチャブル山崎とカンニング竹山のなれあい

パット見はアンタッチャブル山崎さんがカンニング竹山さんに色々と面倒くさいことをやって、水かけたり、うざいボケを放り込んだりしています。

では、これを学生の誰かが突拍子もなく適当な誰かにやったらどうなるでしょうか??

ただのうざいやりとりになります。相手はブチ切れます。

やっていることは同じことなのに相手側の反応がまったく違う。

それは、相手に対して信頼関係があるかどうか

信頼関係があって、ボケとツッコみという関係がある状態で
頭を叩いても、それは暴力ではありませんよね??
(きちんと漫才などのボケに対するアクションとして頭を叩いているし、あくまで漫才としての一時的な状況で起きること。)

これはいじりといいます。

カンニング竹山さんとアンタッチャブル山崎さんのなれ合いは番組を盛り上げるためのものとして割り切っているので、成立しているものだと思っています。(本人の心情は違うと思いますが・・・。)

ですが、只の他人を頭で同じように叩いても、信頼関係がないので
それは暴力と認識されます。

これはいじめといいます。

信頼関係という大事な要素が抜けるだけで、大きく意味が異なってしまう。

一文字の違いなのに、大きな違いです。

まとめ

最近では、コンプライアンスの問題でおもいっきり過激な演出をテレビでみることはありませんが、

「いじりも、一線を越えてしまえばいじめに変わってしまいます。」

信頼関係があるから問題ないのではなく、見えないものなので数値かできないからこそ、それを軽視してしまう。

信頼はひょんなきっかけで簡単に崩れるし、それを再構築するのは非常に大変。もしかしたら再構築もできなくなることもあります。

お笑い芸人のボケとツッコみは自分たちが思っている以上の固い信頼関係の上でステージに立っている。

最後まで読んでいただき、有難うございました。

ふぉあぐら


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