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ネットで「何でも」調べられる現在での学校の必要性

現在、私たちはインターネットで何でも調べることができる社会で生活しています。そのためしばしば「学校で何かを習うことは意味がない」という意見が出てきます。しかしそれは本当に正しいのでしょうか。

わからないことは調べることすらできない
この、「インターネットで何でも調べることができる」ということについて、根本的に問題になってくるのが「わからないことは調べることすらできない」ということです。その中でも調べることができない理由は大きく2つに分類できます。その2つとは、

1.調べようと思ってもカギとなる言葉がわからないので調べることができない
2.そもそも間違っていることすらわかっていないので調べない

です。

1.調べようと思ってもカギとなる言葉がわからないので調べることができない
これは、「意味はなんとなく分かっているんだけれど、その言葉自体がわからない」というときに直面する問題です。文章を書いたり他の人と会話しているとき、「自分の伝えたいことに対して何か良い言い回しがあるんだけれど、どんな言葉なのかわからない」という場面に直面することがあります。もし、そこで他の人に聞いてその言葉を教えてもらうことができれば問題ないのですが、そうでないときはインターネットでも調べることができないことが多いです。もし調べられたとしてもかなりの時間を要するでしょう。

2.そもそも間違っていることすらわかっていないので調べられない
これは自分の知識が間違ったまま覚えているときや、そもそも調べる必要があることすら知らないときです。おそらくインターネットで調べ物をするのは「なにかわからないものがあったから調べる」ときでしょう。そのため間違っていないものはわざわざ調べる必要すら感じないのです。

例えば「鼻血」をひらがなで書きたいとします。これを「はなじ」と書くのは誤りですが、もしそれを知らない人からするとどうでしょうか。その人はおそらく「これで正しいのだから『はなじ』と書こう」と何の疑問も抱かずに書くでしょう。少しでも疑問があれば調べるのかもしれませんが、このようにそもそも間違っていることすらわかっていないときには調べることすらしないのです。

また、海外の習慣など、なじみのないものについてはそもそもなにがあるのかということすら知らないので調べようと考えることすらしないのです。

調べても意味が分からないことがある
他にも「調べること自体はできるんだけど、よく分からなかった」ということがあります。特に専門的な分野について調べたときに起こることでしょう。

例として数式の記号などが挙げられます。
今、「シュレーディンガー方程式」について調べたいとしましょう。これをインターネットで調べた結果、

という式が登場したとしましょう。しかし、多くの人はこれが何を意味しているのか分からないのではないでしょうか。
もしかしたら、この式が何を表しているか書いてくれている親切なサイトがあるかもしれません。しかしそれは表面的な理解にしかならず、本当にこの式を理解するにはある程度の前提知識が必要になってくるのです。

学校教育の必要性~「調べられない」をより少なく~
このように、インターネットで調べ物をするとしてもうまく調べ物ができないことは十分あり得ます。そのためにはどうすればよいのでしょうか。

僕は学校がそれを解決すると考えています。学校ではさまざまな分野の基本的な知識を幅広く教えてくれます。そのため、各分野の基本的な用語の意味や言葉を知ることができ、「調べようと思ってもカギとなる言葉がわからない」ことや、「そもそも間違っていることすらわからない」こと、「調べても描いてあることの意味が分からない」ことも減ります。
また、学校で教わったことを忘れてしまったとしても、「何か違っている」という違和感は起きやすいので調べるきっかけにはなるのではないでしょうか。
そのため、いくらインターネットが便利で何でも調べられるといっても、学校での教育が無意味だと考えるのは少し早計だといえるでしょう。むしろ、学校での教育によって身についた知識があるからこそ、インターネットで調べ物をすることができるのではないでしょうか。

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