「斜めから見る: 大衆文化を通してラカン理論へ」紹介

スラヴォイ・ジジェク著『斜めから見る: 大衆文化を通してラカン理論へ』は、現実と幻想、欲望とその根源についての深い考察を通じて、ラカン理論をわかりやすく解説しています。本書の中でジジェクは、現実界を「現実」に穿たれた穴、つまりブラックホールのようなものとして捉え、その穴は幻想空間の剰余を含んでいると述べています。この視点により、私たちは現実を象徴界として、共同主観的なものとして見ることができるのです。

欲望と幻想

人間の欲望は、シニフィアン(意味するもの)によって組み立てられた幻想のフィルターを通して現実化します。しかし、欲望の真の目的はその充足を迎えることではなく、欲望するという状態を持続させることにあります。これは、ラカンの理論に基づくものであり、私たちは欲望を無限に延期させ続けることで、その状態を維持しようとするのです。完全に満たされてしまうと、欲望は解消され、空虚感を味わうことになるでしょう。

欲望の対象 a

欲望の対象、いわゆる「対象a」は、欲望を生み出し続けるための象徴的な存在です。対象aは客観的には無であり、存在しないものですが、私たちが欲望を持った目で世界に介入することで、主観的現実の想像的外部に存在するものとして錯覚されるようになります。この幻想を通じて欲望が目覚め、持続されるのです。

象徴秩序とイデオロギー

言語は現実を二重化し、私たちは象徴界に参入することによって様々な言語的秩序(ノモス)を獲得します。これにより、日常的な表象や行動、知覚さえもがイデオロギー的バイアスによって遂行されます。こういった歪象(アマルファシス)は、もし私たちがあらゆる偏見や感性的カテゴリーを捨てて事物をありのままに見たならば見えなくなってしまうものです。しかし、私たちの現実はこうした信念やイデオロギーによって支えられているのです。

欲望と現実界

ジジェクは、欲望が達成された後の空虚感を通じて、欲望の構造を明らかにします。欲望とは、そこにないものを現前させる機能を持ち、達成されてしまえば何も残らないのです。これは、マスターベーションの後の空虚感によっても説明されるでしょう。

現実界と象徴界

ジジェクは、現実界をカントの「物自体」と似た概念として捉えますが、現実界は象徴界と想像界が存在することによって初めて存在するものです。私たちの認識は言語によって媒介され、常に色眼鏡をかけて現実を表象しています。現実界とは、こうした象徴化の限界点であり、象徴化が挫折する地点に存在するのです。

結論

『斜めから見る: 大衆文化を通してラカン理論へ』は、現実、幻想、欲望の構造を深く探求する一冊です。ジジェクの理論を通じて、私たちの現実がどのように構築され、欲望がどのように生まれ、持続されるのかを理解することができます。ラカン理論を学びたい方や、現実と幻想の関係に興味がある方にとって、必読の書と言えるでしょう。


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