はじめの一歩 主人公の魅力と物語の面白さについて

ボクシング漫画の「はじめの一歩」と「リクドウ」、「タナトス」を最近読んでるんですが、圧倒的にはじめの一歩が面白い。いや、どの漫画も面白いのだけど、はじめの一歩が圧倒的だなと。なぜか?と思った。

ちなみに「はじめの一歩」はまだ五巻だが、この時点で大きな違いがあって、とてもとても気になってしまった。

非常に雑な見方をすれば、どれもやってることはあんまり変わらない。

強くなりたい主人公が素人ながら秘めたる天才的な才能とがむしゃらな努力によってどんどん強くなりランキングを駆け上がっていく。というもの。

この三つで一番の違いはキャラ性かなと。一歩は愛せる。応援したくなる。

が、リクドウ、タナトスともに一歩に比べると、どうにもあまり主人公を応援する気になれない気がする。

「リクドウ」「タナトス」は「強くなりたい」という動機を強化するためのバックストーリーという意味では、共感を呼ぶ強烈な物語はそれほど感じなかった。リクドウなら過去のトラウマ(虐待)、タナトスはよくわからないが、トラウマ?

ボクシング漫画ではないが「グラップラー刃牙」は主人公のバックストーリーが強い。最強にして最悪の父親、母親をも殺したハンマユウジロウに勝つという意味で。動機を語るオイディプス神話的強い物語がある。

で、はじめの一歩はどうかというと、他の2人に比べたら強烈なバックストーリーがあるわけではない。刃牙みたいな強い過去の物語も無い。彼の動機はとてもシンプルで、いじめられっ子だった一歩がボクシングの強さに憧れる。というもの。だが、とてもわかりやすい。弱いヤツが強いものに憧れるというのは非常にシンプルな動物的な本能だ。たぶん過去とかトラウマとかそう言うのが無くても問答無用でわかっちゃうシンプルなものなのだろう。だから一歩に共感しやすいというものかもしれない。

また、一歩の憎めない隙のあるキャラ性も、彼を応援したくなる要因なのだと思う。一歩は新井一氏のいう魅力的なキャラクターを作る上での二つの柱「共感性」と「憧れ性」をどちらも持っているのだ。秘めたる才能と根性、まっすぐな性格という意味での憧れ性。だがどこか抜けていて阿呆で隙だらけという共感性。憧れ性・天才性だけだと近寄りがたい理解しにくいキャラ性にころんでしまうが(そういうのはむしろライバルに向いてる)、一歩は共感生というか、「身近さ」を感じさせるキャラバランスになっている。

タナトスとリクドウの主人公は感情を表に出さないので、共感しにくいというのも感じる。2人とも強くてとてもかっこいいんだが、隙がなさ過ぎて、感情表現も乏しいのでついていきにくいというか、近寄りがたいというか。故に応援したくなる気持ちが生じにくく、結果として物語にノりにくい。

最近自分はキャラクターを作るときに、バックストーリーを強めに作ってしまう傾向があるが、「はじめの一歩」を読んで、バックストーリー以上にキャラ性って大事やなぁと、と痛感した次第である。

漫画はキャラクターだなんていう話も聞くが、三つを読み比べてそういうのをあらためて痛感してしまった。

※しかし、そういえば……「ジョジョ」第三部の空条承太郎は感情をほとんど出さないが非常に魅力的で人気も高い。なぜか?仮説だけど、ひとつとして……

彼は最強のスタンド能力と理性沈着さを持つが、強敵のスタンド使いが次々に現れ何度となくピンチに陥るので、サスペンスの効果が生まれ応援したくなること。また、空条承太郎にはジョセフや母親を大切にするという「人間味」があること(隙)。仲間のために命を張るという王道主人公の要素を持っており、そういった場面があるからこそ感情を露わにせずとも、彼を好きになり応援したくなる要因になっているのでは??

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