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心臓を修理する(6) 心臓弁膜症治療日記

やっとICUから一般病棟に移れる。この後は平穏な入院生活が続いた。そして待望の退院へ。

11月20日(月) 一般病棟管理病室へ

ICU最後の朝、自力で立ってベッドから車いすに移る。荷物を膝に乗せてICUを出る。標準日程よりは遅れたが、その後の回復が早く、1週間で脱出できたことになる。

最初はナースセンターの前の管理用の病室に入る。ICUほどではないがモニターなどの設備が備えられた特別な部屋で、ICUと一般病室との間の存在のようだ。大部屋よりゆったりした4人部屋だが特別料金はかからないという。ここでも私が最年少。向かいのベッドの患者さんは二人とも90代だ。まだ危険なので一人でトイレに行くことも許されない。

毎日午後1回、1時間ほどのリハビリが始まる。この日は理学療法士さんが付いて最初は歩行器を使って部屋の中を歩く。調子が良さそうなので部屋の外へ出て廊下を50mほど歩く。息が上がらずに歩けるが、さすがに少し疲れる。回復の具合は良さそうだ。

主治医から封筒を3つもらう。「特定医療機器登録・トラッキング用紙」となっている。トレーサビリティのために厚労省が行っている制度で、要は電気製品のユーザー登録と同じもの。退院後に記入して出してほしいとのこと。入れた部品はアメリカ製のようだ。リコールで再手術だけは勘弁してほしい。

「特定医療機器登録・トラッキング用紙」住所変更などの際に使う用紙も入っている。

ちなみに、人工弁置換術を受けると、主要臓器の機能を喪失したことになり、透析患者と同様、重度身体障がい者となり、申請すれば身体障がい者手帳を交付される。

11月22日(火)ー 大部屋に

ICUから上がってくる患者さんがいるので押し出されるように一般の大部屋に移る。この時、点滴が外れる。点滴はなくなり、飲み薬に移行するようだ。点滴の取り出し口は留置される。引っ越しはベッドやキャビネット、テーブルを全部運んでいく。自分は車いすで運ばれる。ベッドメーキングやクリーニングの手間を省くためだろう。

5人部屋の窓際のベッド。残念ながらベランダの手すりが高くて空しか見えない。寒くてカーテンは昼でも閉めておくので窓際の意味があまりない。
この部屋でも私が最年少だった。

モニターがないので、手術前に使っていたホルター型心電計を付ける。無線式の酸素飽和度センサーを指にはめる。ちょっとうっとうしい。外付けのペースメーカが取り外される。一応機械は置いておくという。点滴の口も外される。これでシャワーも浴びられるし、腕時計を付けられるようになった。

胸に縦に走っている傷の上には保護用のテープが貼ってある。医療用なのだろうがどう見ても透明の養生テープにしか見えない。やっとはがされる。専用のはがし材を使うので痛くない。最近の医療現場はテープを多用している。

主治医から、退院後の最初の通院は2週間後と告げられた。そんなに早く病院まで行けるのだろうか。車は使えないのでタクシーを呼ぶのか。電車で来る人が多いそうだが・・・。

リハビリの進み具合から部屋の中での単独移動が許可される。これで好きな時にトイレに行ける。シャワーにも一人で行く。壁の酸素取り出し口からチューブが鼻につながれるが、かなり量は少ない。それでも外れると酸素飽和度が下がって看護師さんに注意される。寝ていると背筋が使えないので呼吸が弱くなって値が下がるそうだ。肺炎になると起きていたほうが楽というのはこのためか。

相変わらずの食事だが、リハビリで少し動くようになったためか食欲が出て完食できる。薬の量がかなり多い。看護師さんが毎回持ってきてきちんと飲んだかどうか管理される。感染性心内膜炎などが怖いので、毎食後の歯磨きも必須。

夜、これだけ一度に飲む。
左上のワーファリンが血液サラサラにする大事な薬、血液検査の結果で毎日のように調整された。

たくさんの薬を飲むが、中でも血栓を防ぐために血液をサラサラにする薬、ワーファリンが重要。薬剤師さんが来て14ページのパンフレットを渡されて説明を受ける。これから生涯付き合わなければならない薬、真剣に聞く。納豆は禁止というのは手術前にも聞いていた。納豆や青汁以外の食品も影響はあるが、禁止されるものはなく、それほど気にしなくてよいという。薬の量の管理のために、定期的に血液検査が必要になるという。飲み忘れても2回分飲むのは厳禁、飛ばしてできるだけ早く飲むとのこと。

お酒は禁止ではないが、飲んでから6-7時間たってから服薬しなければならない。晩酌したら深夜にならないと服薬できないということになる。面倒なので酒はやめてしまおう。どうせそんなに強くもなく、好きではなかったし。入院前、動悸がつらく、すぐ眠くなるためか、ノンアルばかり飲んでいた。乾杯のお付き合いがあるときは朝に薬を飲めばよい。もちろん傷が落ち着くまで3-4ヶ月は禁酒だ。

このほかにも薬に説明書が付いてくるものが何種類かあった。それだけ強い薬が含まれているようだ。

もらった薬の説明書

11月23日(水)から27日(月) 平穏な入院生活

リハビリが進む。今日は200m、病棟の廊下を1周歩けた。一応押しているが歩行器は必要なさそう。理学療法士さんと会話しながら歩ける程度の負荷。窓から見える街路樹が色づき始めた。酸素ボンベをつなぎ、リハビリの前後に血圧を測定され、心電図をモニターされている。薬が効いているせいでもあるが、心拍や血圧に大きな変化がない。やっと一人で廊下に出る許可が出た。

兄夫婦が面会に来てくれた。外はだいぶ寒くなったらしい。手術前に預けていた荷物が戻る。やっとスマホと再会。友人や勤め先に手術成功と一般病棟に戻ったメールを入れる。祝福の返事をもらう。病室のテレビ代が見ても見なくても1日500円は高いので、タブレット型PCでNHK+を使って相撲中継を見る。スマホのテザリングでもこのほうが安い。ラジオの電源を切り忘れて電池がなくなったので、radiko で楽しむ。そのほかの時間はkindle で読書、充電が面倒だが便利な世の中になった。

ひとりでデイルームに移動できるようになった。デイルームは、窓が大きいせいか夜になると結構冷える。夜景が美しい。静かなデイルームで友人に電話をかける。入院経験のある同学年の男と、健康や入院ネタで盛り上がる。

他の高齢の患者さんはカテーテル手術がほとんどなので入院が短く、ベッドの回転?が早い。いくら入れ替わっても私が最年少である。24日には500m、翌日には1000m歩けた。歩行器は使っていない。リハビリの最終段階では非常階段の1階分の昇降と病棟1周分歩く組み合わせをクリア。順調に進み、全項目をクリアして終了、退院が見えてきた。

まだベッドを平らにすると傷が引っ張られて不快感があるが、だいぶ力が入るようになってきた。寝返りらしきものも打てるようになった。回復を実感する。ぶら下げている心電計と酸素飽和度センサーが邪魔。やっと酸素のチューブが外れた。すっきりする。念のために置いてあったペースメーカーも回収された。どんどん病人らしさが薄れていく。

ICUでは聞こえていた機械弁の音が聞こえなくなっていた。部品がなじんだのか、人間が慣れたのか?代わりに心臓の鼓動が大きく、力強くなったように感じた。時計のような音がしているのもおもしろかったのだが・・・。

ICUにいた時ほどではないが、血圧と体温は頻繁に測定される。ペースメーカーは使っていないが、血圧はかなり低い。強力な薬が効いているらしい。体温は少し高めである。血糖値の検査もある。朝、回診に来た主治医に聞いたら甘いものを飲んでいいといわれたのでお昼を食べた後に自販機で買ったリンゴジュースを飲む。飲んだ後に看護師さんが血糖値を測りに来た。「高いですね」・・・、そりゃそうだろう。正常な値が3回出ないと検査が終わらないという。おかげで夕食前にもう1度検査、これでOKとなった。

毎日、心電図、超音波、胸部レントゲンのどれかの検査がある。車いすで看護補助員の女性が外来の検査室に連れて行ってくれる。業務用のエレベーターには医師や看護師だけでなく、リネン交換の業者や事務員、保守の作業員など様々な職種の人が乗ってくる。たくさんの人に支えられて療養していることを実感する。ふだん混んでいる外来も週末になるとがらんとしている。日曜日には、薬の管理のために制限されていたカフェイン摂取と、単独で院内を自由に移動することが許可された。売店に行ってコーヒーとお菓子を買う。

不整脈などの症状もなく、他の値も安定しているらしい。週明けに退院してよいとの許可が出た。いいかげん病院食にはうんざりしていた。最も早い火曜日退院に決めた。

11月27日(月) 退院前日

ドレーンパイプを抜いた跡を締め付けていた糸を抜歯してくれた。ペースメーカーの電極も外された。胸の傷は溶ける糸を使っているので抜糸は必要ない。

「退院療養計画書」という書類をもらう。定期的に通院することと、きちんと薬を飲むことが指示されている。食事についての注意はなし(納豆禁止は理解している前提か)、運動はきつくない程度、長湯をしないこととのこと。ストレスをためないこと、これはむずかしいかも。1か月は車の運転禁止と、3-4ヶ月は10kg以上の重いものを持てないのは以前説明されたとおり。

退院後の最初の通院は12月22日に決まった。2週間後ではなく、3週間後になった。少しホッとする。回復度合いや薬の状態などによって変わるのだろう。

酸素のセンサーも外された。指が自由になってうれしい。血圧と体温、体重の測定はあるが、ほぼ放置である。外来ロビーに下りて、医療保険の請求に使う診断書の依頼手続きをする。1件7,000円、高いがやむを得ない。院内は暖かいが周りの人たちは厚い上着を着ている。やはり冬になっているようだ。

11月28日(火) 退院

退院の日の朝、最後の病院食、完食する。味には少し慣れたが別に名残惜しくはない。心電計を外して返却する。着換えて荷物をまとめて、請求書が来るまでベッドで待つ。数日前に、自宅の近所に住む一人暮らしのおじいさんが退院するときはていねいに手伝っていた。こんなに親切にしてくれるのかと思ったが、若い者?に対してはあっさりしたもので、ナースセンターでリストバンドを外して書類をもらい、忘れ物のチェックが終わったら「これで終わりましたから下でお金を払って帰ってください」といわれただけだった。皆さんにあいさつするでもなく、見送ってくれるわけでもない。ドライなものだがこれはこれでいいかも。

1階に下りて、荷物を抱えて自動支払機の列に並ぶ。限度額を心配しながらカードで払う。自己負担は28万円だった。高額療養費制度に感謝。診療明細書が23枚も印刷されてきて驚いた。連日の大量の薬剤や検査が全て印字されている。10時半ころにすべて完了。これで帰れる。

良い天気で外は季節外れの暖かさ。タクシー乗り場で待っていてもフリース1枚で全然寒くない。タクシーで20分ほどの自宅に戻る。
荷物を片付けていたら昼食の時間。退院して最初の食事はカップラーメンに決めていた。しっかりした塩味が腹にしみる。塩分コントロールには普段から気を使っているが、理想的にはできそうにない。スープは残す。

想像した以上に回復している気がした。暖かさも手伝って近所のコンビニに行くことに。200mほどの距離だがゆっくり歩く。卵やカット野菜などの生鮮食品を買う。回復した気になっていたが、やはり体力は落ちていた。急に疲れが出て夕食までベッドで休む。19時ころ起きだして、一人暮らしなのでいつも通り夕食の支度、ノンアルだが柿ピーをツマミに晩酌、録りためたテレビ番組を見ながら食べる。帰宅のメールを出し、友人に電話してから暖房を効かせて早めに休む。
こうして自宅療養が始まった。心配していたがなんとかなりそうだ。

さて、2023年中は自宅療養で過ごし、年明けから出勤しています。現在進行中の退院後の生活についてはもう少しまとまったところで次回以降。



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