見出し画像

#159_ビジョン(Vision)・ミッション(Mission)・パーパス(Purpose)の違い

「ビジョン経営」、とか、「わが社のミッション」とかいう表現がよく見られるようになって久しいですが、そこにさらに「パーパス」という言葉まで見かけるようになって、さすがに何が何やらという感じです。

そもそもこういう言葉は、当然ですが明らかに輸入モノなので、まずは元の言語である英語で読んでみないと何だか意味がわかりません。そこで、「the difference between vision and purpose」などで検索して適当に読んでみたのですが、おおざっぱにいって、

■ Vision(ビジョン)=その企業が目指している未来。どこに向かっているか。何を成し遂げたいか。(What)
■ Mission(ミッション)=そのヴィジョン(目指す未来)を実現するために何をするか。どういうロードマップか。(How)
■ Purpose(パーパス)=その企業の存在意義。なぜ自社が存在し、それをするのか。(Why)

ということかと理解しました。

こうしてみると、「ビジョン」「ミッション」は比較的わかりやすく、最近では、わりとどの会社もそういったものを掲げるのもうなずけます。

一方、「パーパス」はちょっと難しいですね。「わが社のビジョンは●●で、ミッションは■■」と表明したことにより、当然その「わが社」はそれにコミットする存在であることも述べているわけで、その存在意義にしても、「そのミッションを遂行することで、そのビジョンの実現に寄与する存在」ということが(いわないまでも)わかります。

そして、「パーパス」の内容については、検索した記事の中でもブレがあり、それらをざっと見しただけではよくわかりませんでした。

では、「パーパス」というこの概念について、実務に役に立つ形で使えるでしょうか。

パッと思いつくのは、「「A社」でも「B社」でもなく「わが社」がそれをする意義を、第三者に対して一定の説得力を持って説明するための道具」というあたりです。

要するに、ビジョンやミッションの正当性が受け入れられたとしても、論理的には、それを実現するのは誰でもよいわけで、「わが社」である必要はありません。

しかし、「パーパス」が宣明されることにより、「わが社」はなぜ存在しているのか/存在していいのかに対して理由付けが生まれます。いわば「存在の正統性」が裏付けられます。

ただ、もし「パーパス」についてこのようにとらえてよいなら、そのような言葉が生まれたという事実は、それだけ生存競争の原理がきつくなってきたということの裏返しですね。「自分が存在してもよい理由」について明らかにして、他人に理解してもらわないといけないわけですから。けっこうしんどい話ではあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?