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自己照会

折角こんなに書いていいんだったら沢山書いちゃおう。

ツイ廃という程ではないけれど
パッと書くとしたらTwitter。

結構思いの丈をツラツラツラツラ書いていたのだけれど、思いの外ツラツラツラツラ書きすぎちゃうから、一体何人の人にミュートにされたのだろうか。

最近のTwitterを使っている感覚は
「もっと届けたい!のに!」
「のに!」
自分のツイートが人に届かないモノの言い訳をきっとミュートにされているとしている。

noteもそう。レスポンスを求めてしまう。
ここ最近脚本を書くのに主に利用してみたり
ここ2年を振り返ってみたり、インタビューしてみたり。
noteはノートなんだなぁ。と実感している。
Twitterよりフォロワー数も少ないからレスポンスを気にする自分でもあまり不安にならない。

なんでこんなにレスポンスを気にするんだ?

それは僕が役者たる所以であろうか。

【自己紹介】

1994年生まれ。
誕生日はバレたくない。最近はひた隠しにしている。お陰で2年くらい「おめでとう」と言われない。だから気が向かないと「おめでとう」と言わない。

人との繋がりをそれ程求めていないのか否か

生まれは東京。
父親は6歳の時に単身赴任先で浮気。
母親が平日ノーアポで単身赴任先に調査しに行った時に干してあった黒いブラジャーは忘れない。
数年して両親の再婚で京都へ移る。小学校の最後らへんと中高を京都で過ごす。
小中は全く楽しくなかった。所詮みんな知ってる中に飛び込んだ枷は中々取れなかった。
別に周りからってわけじゃなくって
自分自身そう距離を持っていた気がする。

あ、中学二年生は最低だった。
完全なヒエラルキーの中でこそこそこそこそ人を落としたりあげたりして周りを伺ってたし、いつ頃からかハブられてた。
そんなクソどうでもいい日々で弱々してた自分が居たのが黒歴史。

高校は周りが行かない「遠いけどそれ程進学校でもない高校」を選んだ。

最高だった。みんなお互いをほどほどに知っていて、誰も中学でショボかった自分を知らない。無事高校デビューを果たした。彼女も程々にできた。クラスも部活も楽しかった。生徒会までやった。企画して企画して企画して。模索して模索して模索して。能力があれば学校の歴史には残ったんじゃないかなんて微かに思う。

大学は保育士になりたくて東京の福祉に強い大学に出た。
高3の頃に付き合ってた彼女はセンター後に浮気し、一旦別れるもまた寄りを戻して涙涙で東京へ出た。
1年間行為には及ばなかったが、直前に最後だしと行為及んだ。痛かったみたいでまともに出来なかった。
でも何故か5月に帰った時にはスムーズに積極的になっていた。しばらくして死ぬほど冷たくなり振られた。

大学は福祉の大学に行った感じはしなかった。

ずっと演劇に打ち込んでいた。
一年生は天狗になっていた。下手くそな先輩たちを見て「俺は高校演劇やってきたんだ」なんて。大した部活じゃなかったのに。
「怖かった」後々上の人たちから聞いた。
「怖かった」後々下の人たちからも聞いた。

ただの支配だった

演劇系サークルは2つあった。
子ども向けの演劇サークルか
普通の演劇サークルか。

1年生の頃は子ども向け演劇サークルに力をいれた。普通の演劇サークルは廃部寸前。文化祭の時にしか活動してなかった。

2年生で代表になりサークルを変えようと躍起になった。サークル紹介を気に入って貰い、焼肉を奢りまくり、8人しかいなかったサークルが一気に45人まで膨れ上がった。合宿も計画して、公演も年4回。稽古もたくさん行った。

「俺がなんとかしなきゃ」は、いつの間にか「俺がいなきゃ」になり「俺じゃなきゃ」になった。代交代しても存在感を消さず、年中サークルのことを考え他サークルと施設借用で喧嘩して。音響も照明もプランニングしたり、演出も舞台監督も何から何まで手をつけて。
後輩=不安で。先輩=邪魔で。
いつも何かにイライラしてて。
「怖かった」と後々下の人たちから聞いた。

嫌われたくなくなった

大学卒業後、新入生歓迎公演の音響にまで手を出していた。自分としては他に人がいなかったから助けたつもりだった。
そのサークルから卒業できてない事が仇となり、詳細は省くが結果的にサークルの人達から嫌われた。今まで全部だったモノから。愛していた人達から嫌われてしまった。そこからの1年は驚くほどしんどかった。観劇に行っても挨拶して貰えなくなった。

ようやく合点がいった。
俺は嫌われやすい人なんだ

ショックと共に納得した。
転校先でも、中2のクラスでも今まで付き合ってきた人たちでも。
みんな俺のこと嫌いだったんだなぁ。ウザかったんだなぁ。ごめんな。

2020

嫌われる才能を持ちながら今は必死で嫌われないようにしている。実際は知らないけど。
だから昔を思い返すとできなくなった事ばかりだ。昔のままだったら今主宰の団体でもっともっと活動しているだろう。大きすぎる目標も立てていただろう。

けど、それはしていない。やりたいけれどしていない。実力不足を理解してきた。も、勿論あるがそれ以上に「言葉を選びすぎている」これは団体だけじゃない。特に今年一年。そうだった。まあ、詳細は省くが嫌われる事例が2つもあったんだけど。

あーもうわかんないなぁ。自己紹介したいのにいい感じに紹介できない。

きっともっと人と触れ合いたいのだろう。
ラインしたりリプしたり電話してみたり
一緒に稽古やろうよ!っていってみたり。演劇作ってみたり。

けど色んな事が邪魔をしている。今周りにある事が要因だと思ってたけど、振り返ってみたらそれじゃないんだろうなぁ。きっと。

去年1年間。こんなにコミュニケーション下手くそだったっけ?って思う事が増えた。最高に嫌だ。

なんか夢は語れなかった。けど自己照会にはなった。

夢のある自己紹介を書きたいから今はここで切る。

けれど今のままじゃ嫌だ!って分かったから百点満点を僕に




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