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「人は残酷なのが見たいんだよ」 グロス曹長の台詞から考える、諫山創の読者への攻撃 【進撃の巨人】

「何か攻撃がしたいんだと思います。」
「人を裏切るとか、人を傷つけるとか。ホントよくないんですけど、読者も傷つける、とか。正直、実はそれがすごくしたかった気がしますね。」

 進撃の巨人展finalの会場で公開されたインタビュー映像で諫山創はこう語った。
この言葉を初めて聞いたとき、僕は「ああ、なるほど。」と思った。
努力、友情、勝利といった少年漫画へのアンチテーゼ、主要キャラが死にまくる展開、仲間の裏切り…
進撃の巨人といえば読者の予想を裏切り、大きな衝撃を与える漫画だったからだ。

 そんな程度の認識で納得していた中、グロス曹長のシーンを見返していたときにふと思ったことがある。

実は、諫山創のサディズムはもっと深いものなのではないか。



僕が初めてグロス曹長のシーンを読んだとき、
ただの嫌なやつに見せかけ、
「壁内人類が巨人の絶滅を願ったのと同じように非エルディア人がエルディア人の根絶を願っている」
ということを通してエルディア人への迫害が絶対悪ではないことを象徴しているシーンだと思っていた。(実際、エルディア人をこの世から一匹残らず駆逐する。これは全人類の願いなんだよ。というセリフはまさにこれを象徴している。)

しかし、見返していたときに確信したことがある。

これって、読者のこと馬鹿にしてるだろ…

画像引用:進撃の巨人 22巻 87話 『境界線』(諫山創、講談社)

みなさんは自分が残酷なものが好きであると認めることができるだろうか?
おそらくほとんどの人がいや、自分は違うと思うのではないだろうか。
僕も最初はグロス曹長クズだなあと他人事として捉えていた。
しかし、見返していたときに気づいてしまった。
ああ、自分はグロス曹長と何も変わらないんだな。と。

 ここで僕はあえて断言したい。

グロス曹長は進撃の巨人を楽しむ我々そのものである


グロス曹長の言い分はこうである。

  1. 平和だと生の実感が足りない

  2. 残酷なものを見るのは世界の真実と向き合い、理解を深めるためだ

  3. 自分は平和が一生続くと思っているような連中とは違う

この言い分こそ、実は我々読者が進撃の巨人を面白いと思う理由そのものなのではないか。

というのが僕の主張である。

仲間がどんどん食われていく展開、主人公であるエレンでさえも食われる展開。
誰が死ぬか分からないドキドキハラハラ。
また、世界は残酷なんだと思うことで世界を理解した気になり、そこから目を背けているモブキャラを見て優越感に浸る。
そこに我々読者は惹きつけられ、ハマったのではないか?
自分達のことは棚に上げてグロス曹長を非難する読者を諫山創は攻撃している。

残酷な描写を楽しんでしまうのは人間の性なので仕方ないにしても、一般的に見ていて気持ちがいいとは到底言えないようなものを面白がっているという、自分の中にある気持ち悪さや恐怖感を客観的に理解している人は少ないだろう。
おそらく、グロス曹長のシーンはそんな自分達の中にある負の側面を見せつけるために存在している。

諫山創は常にフラットに物事を描く。
残酷な描写がウケて世に広まった進撃の巨人と、それを楽しむ読者たち。
あなたはグロス曹長と違うと言い切れるだろうか。

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