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【教育】「叱れない」のは何故か?

こんばんは、飛び亀です。

今回は真面目な記事です。
相手を「叱る」ことを苦手とする人のために、また「叱れない人ってなんなの?」と思ってしまう人のために、僕が今考えていることをまとめます。

かくいう僕は、まさに「誰も叱れない人」でした。今では子ども相手なら多少叱れますが、今でも大人相手は無理です。基本的に「叱れない人」は外野(叱れる人)から叩かれる運命にありますので、自己弁護も込めて身内から語らせてもらいます。

なぜ、叱ることが出来ないのか!?

※一部、「叱れる人」に対する攻撃的な表現がございますので心を広くしてお読みください。申し訳ございません。先に謝罪します。

「叱る」とは何か?

その前に一応、「叱る」とは何か、どういう行為かを定義させていただきます。あくまでこの記事での定義、便宜上です。

「叱る」とは、「相手の成長を目的として、厳しく注意や指導をすること」です。厳しいのは言葉か態度か表情か、あるいはその全てです。優しい顔してきついこと言うのも含めましょう。言葉は優しいのに真顔で詰めるのも含めましょう。

とにかく単なる「怒り」=「自分の不満や感情をぶつけること」とは違うということです。「相手の成長を目的として」というのが「叱る」のキモですね。

「叱らない」と「叱れない」は違う

ところが世の中では、特に近年「相手の成長を促すのに、叱る必要はない」という意見が増えてきています。厳しさ・怖さを相手に押し付けなくても、相手の成長を支援することはできる、と。

今回は、こうした考え方については触れません

なぜなら、これらは「叱れない人」ではなく、意図的に「叱らない人」の話になるからです。「叱れない人」の本音を伝えるのには、むしろ雑音になってしまいます。今回は「叱りたくないわけじゃないけど叱れない」という指導者の心に何が渦巻いているかをお話ししていきます。

「叱れない人」の気持ち

1.相手に嫌われたくない

世の中で「叱れない人を叱る」ときに、ほぼ100%出てくる論理です。

きつい言い方をしたら、相手との関係が壊れるんじゃないか。嫌われてしまうんじゃないか。今後話しづらくなるんじゃないか。それは困るな、嫌だな。

これは、確かにあります。
叱れないのは何故かと問われたときに、「嫌われたくない」「関係を壊したくない」という気持ちが無いと言ったら嘘になります。

しかし、これも数ある原因の一つでしかないのです。
「叱れる人」が「叱れない人」にヤキモキするとき、ここで思考停止していることが多い気がします。
「私ばっかりが注意して、私が嫌われ役になるじゃん」
叱れない人が人生で何度も聞くことになる名文句です。何より、「叱れる人」たちがこの先に気付いていないことの証左でもあります。

そう、別に嫌われ役になりたくないだけじゃないんです。

というか、別に叱っても嫌われませんよね。

2.怒れない

先程書いたとおり、「厳しさ」を含む指導が「叱る」ことだと定義しました。もっと細かく言うと、外から見て「厳しい」と思わせる指導の仕方でないと、叱ったことになりません。「自分としては叱ったつもりだった」では駄目なのです。

第一に「お前、ちゃんと叱れよ」と言われます。「いや叱りましたよ」と返しても、「あんなの叱ったうちに入らないよ、甘いよ」と言われて終わりです。「叱れない人」レッテルを貼られないためには、誰から見ても厳しくないといけないのです。

第二に(というかこっちが本質なのですが)相手が「叱られた」と思わないなら、叱ったことになりません。あくまで「相手の成長を促す」、つまり「相手に主体がある」のが叱る行為です。相手に「優しく教えてもらった!」と思われていたら、それはまあ叱ったことにはなりません。
※もちろん、それで相手が成長するならいいんですよ! 良し悪しはないです。


そういうわけで、とにかく「厳しさ」が出せない限りは「叱れない」わけですが、「厳しさ」を出すにはそれなりの感情を乗せる必要があります
「怒るは自分の感情」の対比として「叱るは感情を出さない」なんて言われることもありますが、これだけは大嘘です。

叱るのには感情を出す必要があります。それも、ネガティブ方面の。

だから、そもそも人前で怒らない人、怒った経験の少ない人は、多分に「叱る」のも苦手だと思います。特に「叱る」は対個人に向けられることが大半ですから、目の前の特定個人に対してネガティブ感情を制御しながらぶつけるというのは、それなりに経験値が必要なことだと思います。

そう、「叱る」のには感情調整力が求められるのです。

でも、そもそも「怒らない」人って感情調整力が高いんですよね。「ゼロを1にする」のを抑えられる。普通に考えて褒められるべきことだと思うんです。ただ、叱るのには「1を10にしない」出力調整能力が求められます。この2つは別物だと僕は思っています。

というかブチギレ熱血漢のほうが叱るのって得意なんですよね。普段からブチギレてるから「怒り」の出力調整がうまいけど、普段からブチギレられたら周りはそこそこ迷惑で、叱れないけど平穏な人ってのも必要なんですよ(偏見)。

3.自分より適任がいる

これは自分の経験が少なくて、周りに経験豊富な仲間・先達がいるときに発生しやすい「叱れないモード」です。「叱りたくない」というよりは、「自分が叱らないほうがいいな」という気持ちが沸き起こります。現代っ子っぽいですね。

例えば、合同授業で自分の担任する子どもがふざけてたけど、すぐ近くに大先輩の先生がいるとき。例えば、部活で自分と同ポジの後輩がサボってたけど、すぐ近くに熱血漢の同級生がいるとき。

もちろん頭では「こいつの責任は私にあって、私が叱らなきゃいけない」と分かっていても、「自分より叱る適任がいるのでは」という意識が一瞬でも頭を掠めたら終わり。叱る間合いを外したら、その適任が先に叱ってます。そうでなくても、タイミングを一瞬でも逃すと途端に叱りづらくなるものです。

この消極性は、現代社会では非常に叩かれまくるのですが、そう簡単に直せるものではないのです。

逆に言えば、これが「叱れない主原因」の場合、環境が変われば叱れるようになります。1対1の場面で自分以外にいないなら、安心して自分が叱ることができたりします。

まあ1対1で叱ることになる環境って、あんまり良くないと思いますが。

4.「私がこいつを変えてやる」という思いが弱い

こんなこと言うと、教育や指導に熱意がないと思われてしまうかもしれません。教え育てることへの熱意がないなら、そりゃ叱ったりしないよな、なんて思われるでしょう。


言い訳は2点あります。

まず「私がこいつを変えてやる」という思いが常にない、という話ではありません。「叱らなきゃ」と思うポイントが、普通の叱リストとはズレているのです。

例えば、部下が誤発注して大量の文房具が届いていたけどしばらく隠して黙っていた、とか。例えば、教室内で子どもがボールを投げあって遊んでいた、とか。

普通は「そんなの今後本人のためにならないから叱ってやらないと」という熱意をもって叱るのでしょう。が、「本人も明らかに悪いとわかってるから言うまでもなかろう」とか「別にそれくらいはいいだろう」とか、そういう思いが根っこにある場合は、叱るにあたって感情が出動しなくなるのです。

2.で書いたとおり、叱るのにはそれなりに感情エネルギーが必要です。しかし感情が出動しない状態だと、上手に叱れないんですよね。上手に叱れないと、周りからは叱っているように見えない。

もちろん心から「叱ってやろう」と思う出来事もあります。そういうときは叱っているはずなのですが、なにぶんその数が少ないと「叱れない」扱いからは脱却できないのです。「普通は叱るべき場面」で叱れないのですから、当然かもしれませんが。


さて、言い訳2点目は、そもそも「『変えてやる』のが教育じゃないだろ」ということです。

「私が叱ってやる!」「道を正してやる!」という熱意は結構なのですが、あまりそちらに傾倒すると「教育は洗脳」と言われてしまう領域に入ります。「教え育てる」とは言いますが、「私が教えて相手が学ぶ」という時代は終わりました。人を変えるのではなく、人が変わるのをサポートする。これが今の教育のあり方です。学校が一斉教授型授業からアクティブ・ラーニングに切り替えていっているのも、その一端です。

「私が変えてやる!」の思いが強い=「熱意」という意味では良いことかもしれませんが、これは今の教育にはあまりそぐわない思想でもあるのです。

逆に「私が変えてやる!」の思いが弱いということは、相手の学びを待てることに直結します。これは現代の進歩した教育に絶対必要なスキルです。もちろん、必要なときに「叱れない」ことは間違いなく弱点でもあります。しかし、「叱れない」弱点の裏を返せば「待てる」才能でもある。

本能的に「叱れる」人と、本能的に「待てる」人
人間タイプの違いでしかないのに、「あいつは叱れない駄目な指導者だ」などと一方的な言を放つのであればこちらも「あいつは待てない駄目な指導者だ」とレスバを受けてやりますので、互いの良さを吸収していくのが指導者としてのスキルアップにつながるはずだと思うのです。


「叱る」ことと「待つ」ことはトレードオフではないのですから、片方が苦手ならスキルとして身につけなければいけません

そういう意味で、「叱れない」人がちゃんと「叱れる」人になるためのスキルアップの一助になればと思って、この記事を書きました。
ということは、「待てない」人がちゃんと「待てる」人になるためのスキルアップも考えたほうがいいのでしょう。それこそ「なぜ待てないのか」を、待てない本人が教えてくれると為になります。

僕は待って待って待つだけで終わるタイプなので、ほんと子どもだけでも叱れるようになるのに年月を要して要して、まだ下手くそです。

もうちょっと「叱るスキル」というか、「叱るときの心持ち」みたいな役立ち情報ないかなぁ。

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