「映画大好きポンポさん」シリーズ ネタバレ感想
こんばんは、飛び亀です。
前回、ポンポさん感想をネタバレ薄めに書きました。
が、明らかに物足りないので、ネタバレ前提で感想や考えたことを語りたいと思います。
また2以降の作品についても、取り扱うと1のネタバレを避けられないので、こちらで書きますねー。おかげでクソ長になりました(7000字↑)。
原作はこちら。
ハッピーエンドとキャラの暖かさ
早速ネタバレを恐れずに言うと、ポンポさんシリーズは全作ハッピーエンドとなっております。前の記事では「ハッピーエンド感」などと意味のない濁し方をしましたが。
少なくとも、夢を追う物語という文脈においては、4作ともまごうことなきハッピーエンドです。
ジーンくんもナタリーちゃんもミスティアさんもフランちゃんもカーナちゃんも、見事に夢を叶え、作品を成功させています。
意地の悪い言い方をすれば、特に1の「出来すぎ」感は顕著かもしれません。というのも、ジーンくんたちの映画は「ニャカデミー賞」を取ってしまうわけですから。
一発で社会的な「栄誉」「権威」を得たという意味では、出来すぎと感じるのもおかしくはありません。
しかし、あくまでも「夢を叶えた」という文脈で考えると、どの作品も平等なハッピーエンドと言っていいでしょう。
叶った夢に優劣はありません。
何にしても、ハッピーエンドが悪いものであるはずもなく、夢追う若者のサクセスストーリーを描くのがポンポさんシリーズなのだということです。
批評しやすいとすればハッピーエンドそのものではなく、その過程の部分でしょうか。
まず登場人物が、どいつもこいつも暖かくて有能で理想的です。
もう一つ、これは特に1の特徴ですが、主人公たちの物語中の挫折が少ないことです。
ジーンくんは……
映画しかないド陰キャ人生→ポンポさんのアシスタント、色々教えてもらう→映画のPVやCMを作って認められる→監督→ニャカデミー賞
ナタリーちゃんは……
オーディション30連敗→ポンポさんの眼鏡にかなって合格、大女優ミスティアさんの下につく→当て書きでヒロインデビュー→ニャカデミー賞
順調な上り坂です。
そのあたりが、(また意地の悪い言い方をすると)「ぬるま湯」に浸っていい気分になってるだけじゃないかと。確かにポンポさんを読んで、そんな感覚を抱く方もいるかも知れません。
しかし個人的な感覚で言えば、これはぬるま湯ではなくユートピアです。
ポンポさんシリーズのテーマは、「夢追い」と「創作」だと思っています。
だから、ポンポさんの世界は夢追いのユートピア(あるいは創作のユートピア)なのです。
暖かい登場人物と成功の連続は、ユートピアを描くうえで必要なものです。
厳しさと闇が潜むユートピア
ユートピアに浸れるポンポさんシリーズ最高!
それでいいじゃん!
なんて思うこともあるわけですが。
けれども、それではポンポさんの良さを余つことなく語れてはいません。
そう。
見落としちゃいけないことは、あの世界はユートピア(ぬるま湯)のようであって、実はそうでもない部分が見え隠れしているということ。
それを薄々感じるからこそ、ジーンくんたちが夢を叶えることに喜びを感じられるのです。読者側も。
例えば。
1の主人公たちに挫折があんまりないと言いましたが、前回記事にもサラッと書いたように、彼らはスタート地点がそもそも低い位置にあります。
ジーンくんなんて露骨に社会不適合者であり、どう見たってヤバい奴です。(pixiv版28ページより)
ナタリーちゃんも(フランちゃんカーナちゃんも近しいものがありますが)オーディションも通らずバイトに明け暮れる田舎娘です。(pixiv版33ページより)
二人ともいわゆる「最初から天才型」ではなく「才能開花型」主人公なので、1巻分という短いシナリオの中でわざわざ再挫折にページを割く必要もなく、だんだん花開く様子を描くだけで話になったのかもしれません。
ところが2では、ジーンくんががっつり転落します。2の主人公格であるミスティアさんも相当に苦労します。映画が成り立たないかも、というレベルまで行きます。
フランちゃんカーナちゃんも、きっちり挫折シーンがあります。特にカーナちゃんは終盤で作品を撮り始めてからまた折れたので、これまでの作風とは印象が違うなと思いました。
挫折シーンの少なさは1本編中に限ったものです。
ジーンくんとナタリーちゃんという二人の成長を短いスパンで描く上で、あえて引き算されたものなのかも。たぶん。
でもやっぱ、映画クランクインのパーティで自信をなくして、でも決意を固めるジーンとナタリー好き。あそこは軽く落ちてから登るシーンだよね。そういう程度の谷は描かれてる、1でも。
さて、闇という意味で分かりやすいのはミスティアさんです。
よく考えると、だいぶ闇を抱えているというか、ストイックが過ぎるというか。(pixiv版12,49ページより)
ポンポさんに継ぐ導き手であるミスティアさんですが、登場当初は助言はするけど掴みどころがないという印象の強いキャラでした。
しかし、ナタリーちゃんと暮らし始め、彼女の家庭的な側面に触れて、夢に向かってストイックすぎる部分が少し柔らかくなります。
つまりナタリーの人物描写とともに、彼女の闇っぽさが薄らいだのです。これが、「ちゃんとナタリーたちを導いてくれる」という読者側の安心感につながっているかなと思います。
それと、ミスナタで脳が回復する。(pixiv版51ページより)
そして、ポンポさんはまあ万能ながら言葉が悪いし、子どもっぽいところがあります。巨匠ペーターゼンさんは本当に最後までジーンくんの名前を覚えてくれません。
最後まで読むと温いようにさえ感じる雰囲気に包まれているポンポさんですが、暖かくも厳しいと言うか、「そんなに甘くはない世界」ということは描いているからこそ、主人公たちの成長に心が揺れるのです。
等身大の人々
先の各キャラの話にも関連してきますが、ナタリーちゃんを筆頭に、キャラの多くが「等身大」なのがポンポさんシリーズの素敵なところです。
まあ最近は、なかなかウルトラマンみたいな絶対的に格上で万能みたいなキャラも少ないですけど。というかウルトラマンでさえ最後は負けて、人間が戦うしな。
ええと、つまり「等身大」というのは、我々現実の弱い人間からして身近に感じるという意味です。一番シンプルなのは、共感されやすい弱点があるかどうかです。
その点では、特に主人公たち……ジーンくん、ナタリー、フランちゃん、カーナちゃんは等身大レベルが高いです。しかし、彼らみんな物語的には才能を開花させ、明らかに天才と言える領域に達します。
そこに一抹の寂しさを感じるものの、あんまり嫉妬までいく読者はいないんじゃないでしょうか。わかんないけど。
そうだとすれば、それはもちろん彼ら彼女らの努力の過程を読んだからというのが大きいですが、そこに加えてもともとの等身大っぷりも影響しているでしょう。
つまり、掴みで親近感を抱かせる主人公たちなのです。
だからこそ、「ジーンくんにできるなら自分にも……」と思わせる。それが、ポンポさんシリーズの強みの1つでしょう。
ジーンくんの等身大レベルは、むしろ読者より等身低い可能性さえあるほどのものです。明確にカースト最底辺として描かれています。
しかし、そんな目の死んでる彼だからこそ自分の中の世界があり、創作ができる。同様に目が死んでる読者たちを極めて強く勇気づけたポンポさんの言葉は、ジーンくんが主人公でないと生まれなかったものでしょう。
そんな彼がニャカデミー賞を取ったことは本当にハッピーなエンドだった一方、2で彼が地に落ちた(クビになった)のをみて安堵した読者も多いことでしょう。ざまあみろと。良かった、まだ俺以下のレベルだぞ、こいつは。
1ラストで爆上げしてしまったジーンくんの等身をきっちり落としてくるあたり、2らしい作りになっております。そのままポンポさんに一矢報いるってのがまた、非常に美味しいシナリオでもあります。
ナタリーちゃんに関しても、登場からザ・等身大というか、むしろ応援したくなる頑張り屋という役どころです。
実際、彼女は作中でもその等身大キャラっぷりを活かして、ポンポさんに当て書き脚本を書かせることになるわけです。そんな彼女は、等身大のまま新人女優賞を獲得。
まさにシンデレラストーリー。王道の良さを感じさせてくれます。
2でもまたジーン監督の作品で当て書きさせて活躍するナタリーちゃん。ところが、それ以外はスクールドラマ?に出ているという情報しか無く、この当て書き2本以外に大活躍してる感じがないんですよね。
最近読んだオムニバスでも、なぜかポンポさんに呼ばれてずっとお店のウェイトレス代わりをしています。ひ、暇なの?(ポンポさんオムニバス#1, 7ページより)
手の届かないところに行ったかと思われたナタリーですが、きっちり今でも等身大をやってくれてるあたり、ポンポさんシリーズにおいて今後も大事なキャラで居続けるでしょう。
逆にフランちゃん。
この子は最初こそナタリーレベルで等身大っ子だったはずなのですが、作品後半で急加速してぶち抜きましたね。
「映画大好きフランちゃん」は当初こそオムニバスマンガだった?みたいですが、中盤から2の展開と合わせてきっちりフランちゃんの成長物語になりました。いや、最初からそういうマンガとして組まれたようですが。
ただ女優キャラとしては初めて作中で明確に挫折して、立ち上がってきた子です。そこに読者は親近感を覚えるという面もあります。
まあ彼女って、今でも等身大キャラとして売れっ子女優をしているわけですが、ナタリーと違ってガッツリ売れたまま戻ってきてないんですよね。
さすが、ポンポさんに女優としての進化をサポートされただけある。ナタリーちゃんは見初められただけで、ポンポさんの指導は受けてないからね、たぶん。
最後にカーナちゃん。
性格は今風ですが、彼女は最後まで「才能のない」はずのキャラとして描かれました。
その点は等身大の真髄と言えるでしょう。普通、主人公は才能あるものとして描かれますから、才能がないんじゃモブです。一般人です。読者と変わりません。
結局「映画大好きカーナちゃん」のオチを見ると、むしろ彼女こそが一番天才なのではないか、少なくとも努力の天才だろう、と思ったりもします。(僕が努力型より天才型に憧れを覚えるだけかもしれませんね、クズですね)
が、彼女の努力には明確な動機があります。
モブでも強い動機があれば輝ける、変異する。
そういうテーマで描かれたのがカーナちゃんなので、一番等身大に寄った作品でもあるでしょう。
結果、ちょっと闇成分が他作品より強いという。
今までのユートピア感と比べたら現実寄りだから仕方ないね。
さて、主人公勢以外は等身大とは程遠い高みにいるのでしょうか。
答えはもちろん、ノー。
まずミスティアさん。
先述したように、あまりのストイックさに闇さえ垣間見える彼女でしたが、等身大エースことナタリーちゃんのおかげで、暖かな家庭感の中に降りてきます。
さらに特筆すべきは2でしょう。
あの大女優であるミスティアさんが、頭を下げ、苦労に苦労を重ね、身一つで映画一本のプロデュース業と主演女優を兼ねる。(全部ジーンが悪い)
全ては、彼女の夢のため。いや、まさに夢を叶えている最中だからこそ、彼女は地を這うような姿を見せたわけなのですが……
このシナリオは、ミスティアさんを読者の中で「応援したい等身大」へと一気に落とし込んだ場面でした。キャライメージがひっくり返る……ほど意外なシーンではないのですが、キャラ性が大きく変わった印象があります。
ちなみに、そうしたミスティアさんの姿への(あとジーンくんのクズっぷりへの)驚きとツッコミを読者に代わって表現してくれているのが、等身大エースことナタリーちゃんでした。やっぱ大事な役回りね。
次に、伝説の俳優マーティン・ブラドッグ。
この人は、その立場に反して最初から割にとっつきやすい軽いキャラとして描かれています。まあ等身大な人たちが並んでいる世界観に、いきなりホンモノの偉すぎる人オーラをガンガン出してもそぐわないでしょう。
そういうわけで、ホンモノの偉すぎる人のはずなのですが、読者にとっても登場人物たちにとっても等身大でいてくれる。それがマーティンさんの素晴らしいところです。(pixiv版118ページより)
そして、ポンポさん。
彼女は(少なくとも1では)「言っていることは全て正しい」パーフェクトリーダーとしての立場です。彼女の言葉と判断と戦略に間違いはありません。
とかいって、一度間違ってナタリーを落としているわけですが、そのミスにもほぼ自分で気付いています。(ジーンくんは思い出す手伝いをしただけ)
しかし何より彼女は、見た目も言動もとかく子どもっぽい。
そこが圧倒的に彼女の等身大さをカバーしています。というか可愛い。(pixiv版85ページより)
これは、ことに読者にとってすごく大きなことです。
仮にマーティンおじさんがパーフェクトリーダーとして描かれたマンガだったとしたら、たぶんなかなかここまで売れないのです。たぶんね。
「不思議な力を持った女の子が、お話を導く」というのは、古今東西で擦り切れるほど描かれ、今なお擦り切れない素晴らしいシナリオパターンです。
僕はミヒャエル・エンデの「モモ」が好きです。
もちろんポンポさんは俄然モモよりも力があって、モモよりもよっぽど子どもっぽいわけで、キャラクター性は全然違うのですが。代表例として。
そういうわけで、ポンポさんの子どもっぽい面は、ある種「萌え」の体現として描かれているように思われるかもしれませんが、それだけではないと。お話としてもポンポさんが幼女であることは、読者を引きつける要因として非常に大きいのです。だってモモは萌え小説じゃないし。
まあ、あらゆる主人公像の中で最も「等身大」に近いのが「女の子主人公」であり、その頑張りが読者を惹き付けていることを「萌え」と表現するのなら、同一のことかもしれません。
それはともかく、2ではポンポさんがジーンくんに振り回され、張り合うことになります。あのポンポさんがジーンくんと並ぶわけです。
そして作品内ではあくまでも常に高みにいたポンポさんが、本質的なところで等身大に(一介の映画好きに)まで降りてくるのです。
1ではあり得なかった、というか決してできなかったことですが、2だからこそできる。
続くというのはいいことですね。
最後に、コルベット監督について。
ここまで一切名前出てこなかったですが。
作品中では、(その凡庸な見た目に反して)ポンポさんレベルに有能でパーフェクトな男です。その凡庸な見た目と本人の言から、ポンポさんよりは下だろうと思わせます。が、確たる証拠はありません。
それどころか2に至っては、ポンポさんに説諭するシーンさえあります。大人。
彼は、少なくともポンポさんシリーズの作品中では、最もパーフェクトな男です。スキがありません。
しかし、その凡庸な見た目とアニメ好きというポイントから、読者目線では勝手に等身大キャラになりがちです。すごいキャラ作りだと思います。まさに縁の下の力持ちキャラってやつ。(pixiv版102ページ)
たぶんこれ、ジーンくんにとっても等身大な先輩なんだろうな。
前回の記事で「パーフェクトな先達たち」が特徴的な雰囲気と書きましたが、よくよく見なくても、以上のようにパーフェクトな中に親近感をもてるよう描かれています。その丁寧さが、各キャラの暖かさにつながっているのだと思います。
伏線回収!
閑話休題。ちょっと別の話を最後に。
1でも2でも、きっちりシナリオ序盤や中途に出てきた会話が伏線になり、最終盤で回収されるという気持ちよさがあります。
1なら、「コルベット監督の助言」そして「上映時間90分以下」。
2なら「バトル多め」「映画大好きポンポさん」(タイトルそのもの)。
などなど……
それらの中で、最近ウヒョーと僕が勝手に思っている伏線が、1の序盤にあるこの一コマ。(pixiv版38ページより)
ジーンくんは女優に手を出さない。
……とのポンポさんの信頼。
果たして、ジーンくんは時折ミスティアさんやナタリーにまで照れる様子を見せるものの、最後まで手を出しません。
何もなく終わった。
というのもしかし、語弊があります。
問題はナタリーちゃんです。
この子、クランクインの記念パーティから撮影に至るまで、よりにもよってジーンくんに対して顔を赤らめているシーンが結構あります。
ここはあえて画像を出しませんが、パーティでの新人同士の仲間感、勇気づけてくれた言葉、撮影開始後の監督っぷり。ジーンくんが頼りになる男として見えちゃうような……ナタリーちゃんには少なくともそう見えていたようです。
このあたり、夢を追う青春ドラマらしい恋愛シナリオもあるかと思わせる描かれ方になっています。
何よりラスト、クランクアップに感極まったナタリーちゃんは、あろうことかジーンくんに身体を預けてしまいます。
「こちらこそありがとう、ナタリー」
ジーン監督はそうつぶやいて、彼女を抱き寄せる。
シンデレラガールのナタリーちゃんの脳内には、まず間違いなくこんなシナリオが描かれていたでしょう。
ところがどっこい、ジーンくんの奴、なぜか上の空でうわ言をつぶやいています。思わず?を浮かべるナタリー。
ポンポさんがニコニコしながらやってきて、ナタリーの背を叩きます。監督の仕事は、これからが本番なのだと。この場面のジーンはいい感じに狂ってる。
ちなみに、それでも式典では監督に意識を寄せ、2でも文句を言いながら「監督をしている姿はカッコいい」などとのたまってしまうナタリーちゃん。その少し後、彼を見誤っていたことを認めます。あーあ。
そういうわけで、ナタリーちゃんの恋愛シーンという文脈では、まごうことなきアンハッピーエンドで終わっています。
なーにがハッピーエンド感だよ。
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