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一目惚れ

ヒロアキは恋をしていた。

出会いは一年前。宮崎の田舎に住んでいたヒロアキは大学進学をきっかけに夢だった東京に出る事を決めた。親の説得には苦労したが無事東京行きが決まったときは興奮で眠れない日が続いた。

金の無いヒロアキは都内で安いアパートを探すことにした。何件目かの不動産屋で見つけたその部屋はいわく付きかもしくはオンボロでなければ説明がつかないほど激安物件だったが、内見に行くと思ったより綺麗ですぐに気に入り契約を済ませて入学式の一週間程前から住み始めた。


初めての一人暮らしは楽しかった。自炊は大変だったがスーパーへの買い出しですら東京を感じてワクワクしたし、大学で出来た友達をよく呼んでパーティーもした。大学生活を謳歌しているという実感もあり東京に出てきて良かったと心の底から感じていた。

しかし入学して三ヶ月がたち一人暮らしにも慣れ始めた時から段々異変が起こるようになる。学校から帰宅すると消したはずのテレビがついていたり、止めたはずのシャワーの水が出しっぱなしになっていたりと身に覚えの無い現象が起こり始めたのだ。

最初は気にしないようにしていたヒロアキだったが、あまりにも頻繁にこの現象が起こるようになった事で光熱費が高くなり無視できない問題だと感じるようになっていた。
貧乏学生であるヒロアキにとって心霊現象の怖さよりもお金の怖さが勝ったのだ。

学校から帰宅していつも通りテレビがついている光景を見たヒロアキはついに我慢の限界をむかえ思わず叫んだ。

『ふざけんな!一体だれがこんな事するんだ!せっかく家賃の安いとこ借りたのにこれじゃ意味ないじゃないか!説教してやるから出てこい!』

すると寝室のドアがスーっと開き中から髪の長い女性が現れた。艶のある黒髪に雪のような白い肌。大きな瞳に長く伸びた睫毛が綺麗に反り返っている。
その姿を見たヒロアキは思わずこう呟いた。

『美しい…。』

ヒロアキは恋をした。一目惚れだった。
だが恋をした相手はこの世の人間ではなかった。


それからというものヒロアキはその女の霊とコミュニケーションをとろうと努力した。初めは何を話しかけてもどこか寂しそうな顔をしたその女はなんの反応も見せなかったが、少しずつそれも変わっていった。
ヒロアキの言葉に返事はしないものの頷いたり笑顔を見せるようになったのだ。

それが嬉しくヒロアキはより女に入れ込むようになった。夜通し会話をするようになり学校も段々サボるようになった。

ヒロアキを心配した友人が家に様子を見に行った時その変わり果てた姿に驚愕した。髪や髭は伸びっぱなしでボサボサ、目には濃いくまができ顔はげっそり痩せていたのだ。

何があったのか問いただしてもヒロアキは何も答えず追い返し、次第に友人が家を訪ねる事は無くなった。


その日の夜もヒロアキは女との会話を楽しんでいた。と言っても女は言葉を喋ったことはなかった為会話というよりは一方的にヒロアキが喋りかけるだけだった。それでもヒロアキは女が見せる笑顔が嬉しかった。

『ところで君はなぜこの家にいたんだい?』

解答はないと理解しながらヒロアキは尋ねた。
すると女は突然悲しい表情を浮かべ俯いてしまった。

『あれ、もしかしてまずいこと聞いちゃったかな?だとしたらごめん…。』

ヒロアキは慌てて謝る。しかし女は悲しい表情のまま首を横に振った。

“私、ここで死んだの”

女は突然口を開いた。
初めて聞いた女の声と内容に驚きヒロアキは口を開けたまま固まった。

“私ね、昔好きだった人がいたの。結婚するって思ってた。でもね、相手には本命の子がいて私とは遊びだったってことが分かったの…。それで生きる意味が分からなくなっちゃって…それで…うぅ…”

女はそこまで言うと両手で顔を覆って泣き出してしまった。その姿を見たヒロアキはなんとか女を慰めたい一心で背中をさすった。触れることが出来たことに驚きつつ触れた背中のその冷たさに胸がチクリと痛んだ。


『ひどい男だ…。こんな素敵な女性を傷つけるなんて…。許せないよ。辛かったね。』

本心だった。その男が憎いとヒロアキは心底思った。


“優しいね…。君は…。ずっと。”


女は泣き顔のままヒロアキの方に顔を向け優しく微笑んだ。


“あなたとのお話楽しかった。私の事ずっと肯定してくれて嬉しかった。死んでからこんなに暖かい気持ちになれるなんて思ってなかった…。”


『俺の方こそ、毎日毎日優しい笑顔で俺の話聞いてくれてすごく嬉しかったよ。俺は…君に一目惚れしたんだ…。』

顔を真っ赤にしながらヒロアキはそう言った。
女もその言葉を聞き少し照れた表情を浮かべた。真っ白の頬がほんの少し桃色に染まる。


“そんなこと言って貰えるなんて嬉しい…。ありがとう…。でも私、君の優しさにつけこんじゃったな。君とのお話がとっても楽しくて。ついついこっちにとどまっちゃって…。”


『とどまるって…どこかに行っちゃうってこと?つけこむもなにもないよ!ずっと一緒にいたいんだ!どこにも行かないでくれよ!』


女は目を閉じて優しい表情のまま首を横に振った。


“ダメよ…。だって…あなたと私は違う世界の人間だもの。”

『そんなの関係ない!好きなんだ!君の事が!』

“ありがとう。でも、ダメ。あなたには幸せになってほしいの。本当はもっと早くに私はいなくならなきゃいけなかった。でもまだ今なら間に合う。もとの生活に戻って。お願い。”


『君がいない生活なんて…。僕にとっては意味ないよ…』


“そんなこと無いわ。あなたは魅力的な人。幸せな人生が待ってるの。”


『そんなこと言わないでくれよ…』


ヒロアキは目になみだを浮かべて言った。女も同じく涙を溜めている。


“人生で一番楽しい時間だった。ってもう死んでるんだけど。あはは。…笑えないか…。
あなたのおかげで私はやっと成仏できるんだよ…。
ヒロアキ…くん…本当にありがとう。幸せになってね。”


我慢できずにヒロアキは嗚咽を洩らした。涙が次から次に溢れ出てくる。考えないようにしていたこの恋の終わりが確実に目の前に迫っていた。


『ううっ…うっ…』


“そんなに泣かないでよ。私まで悲しくなっちゃう…うえええん…ううっ”

『あ…ありがとう…ううっ…』

やっとの思いで出た言葉だった。
これ以上好きな相手に迷惑をかけたくないというヒロアキなりの意地だった。


“うん…。私のほうこそありがとう…。私もあなたの事……ううん、やっぱり無し。それじゃあ行くね。”


そう言うと女の体は段々ぼやけていき、さっきまでここにいたということが信じられない程あっさりと消えてしまった。

ヒロアキは涙を拭った。


『私もあなたの事……。なんだったんだよ…ずるいなあ…。』

ヒロアキはふっと笑って上を見上げる。

好きな女に言われてしまったからにはなんとしてでもならないとなあ。幸せに。

まずは大学に行こう。そして心配してくれた友人にしっかり詫びよう。

ヒロアキは鞄を手に取り玄関を飛び出す。家の前の木々たちはすっかり紅葉していた。

楽しい話を書くよ