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灘中受験のために性転換させられそうになった私が、親の洗脳から回復するまで

 はじめまして、絆人間と申します。LJKです。

授業中に思いついてなんとなくnoteに投稿した記事に予想外の好評を頂けまして、調子に乗って二本目を書くことにしたのですがコウメ太夫氏に絡めてこれ以上言及したいこともありませんし……。ひとまずは、自己紹介をしようと思います。


自己紹介

誕生~幼稚園(〇~五歳):極めて短い幸福な日々

 2007年、兵庫県にて生を受けました。
本当は3月に産まれる予定だったのですが、加速して2月に母親のもとから飛び出してしまいました。「やよい」という可愛らしい名前がつくはずだったのですがそういうわけにもいかなくなり、そのとき病室のテレビで流れていた某国民的アニメの主題歌の歌詞をゆっくりと読み上げ、当時の私が返事をした単語がそのままファーストネームとなりました。

地域の人たちに見守られながらすくすくと育ち、毎日父親の出勤を見送ってから母親と幼稚園へ登園していました。幼稚園が終わったあとは契約していた公文教室に通い、遅くまで中高生と肩を並べて学習していました。休日は少し遠くの公園まで散歩し、日が暮れるまで遊んでいました。慎ましやかで丁寧なこの生活を私はとても気に入っていました、小学校に入学するまでは。

小学校(小一~小六):引っ越し、からの孤立

 さて、小学校に入学するにあたって兵庫県から奈良県に引っ越しました。特に大した事情はなかったのですが、進学する予定だった小学校を母親が激しく憎んでいた(?)という理由で父親の職場から片道二時間以上離れた奈良県に住民票を移しました。

大変です。ここで私は自分が誰からも友達の作り方を教わっていないことに気付きました。入学した公立小学校は附属の幼稚園を設けており、私以外のほとんど全員が既に交流を持っていました。当然のように私は孤立し、何度か大きめの、友人の九割を失うような喧嘩を起こしました。

しかし天は私に味方をしました。私の祖父が小学校区内にいくつかのアパートを所有しており、同級生の何人かが祖父の管理するアパートに住んでいたため派手にいじめられることは避けられました。こればかりは本当に祖父に感謝としか言いようがありませんね。

中学受験(小三~中一):灘中受験のためにトランスジェンダーとして洗脳される

 朗報です。公立小学校に馴染めなくてもあまり問題はなく、なぜならば両親は最初から私に中学受験をさせるつもりだったようだからです。
私が中学受験塾に通い始めたのは小三の夏。これでも灘中学を目指すには遅い方です。そう、灘中学を目指すには。

最初に述べた通り私は現在LJKで、つまり女性なのでそもそも灘中学の受験資格を満たしていません。しかし入塾テストで予想外の好成績を残してしまったことで両親の闘争心に火をつけてしまったようです。その日から

我が家の本棚には男性向けのライトノベルが並び、

家の中では戸籍名とは別に男性としての通称名(奇しくも戸籍名と同じ某国民的アニメの主題歌の歌詞に登場する単語でした)を与えられ、

小五の頃には父親の言葉責めを受けながら勉強することになっていました。

本当はもっとこのあたりのことを詳細に記述した方がウケが良いのでしょうが、残念ながら当時の記憶がほとんどないんですよね。既にツイートしたことが概ね全貌となります。恐らく防衛機制における抑圧(嫌な記憶を忘れよう、遠ざけようとする心の動き)があったのだろうと思います。後述(番外編②)の灘校訪問がなければ、この虐待自体もほとんど記憶にありませんでした。

多感な時期でしたから性自認が固まってもいませんでしたし、中二病に片足を突っ込んでいたというのもあり、保護者から男性として扱われたことに関してはやや驚きながらも素直に受け入れていました。私はこの教育を受けても頑なに勉強からは逃げ続けモンスターハンター3G(モンスターハンターは男性的であるとの判定を受けていたため許されていた)で遊ぶ以外の活動を行っておらず、従ってとりたてて苦痛だとも感じていませんでした。

教材よりコイツと向き合っている時間の方が長かった

ただそんな調子でサボっているとある日我慢の限界に達した父親が弟(当時五歳)の脚を引っ張ってぶんぶん回して遠心力でこちらへぶん投げてきたことがあって、その瞬間の光景だけは鮮明に覚えています。流石に肝が冷えたんでしょう。

中学入学~コロナ禍(中二春):両親の教育を疑い始める

 そんな中学受験の結果ですが、順当に落ちました。本命(?)の灘中学に関しては両親が精神科への通院を嫌ったため性同一性障害として診断書を受け取ることもなく、当然受験資格は得られませんでした。そして凄まじい教育虐待を受けながらも恐るべく図太さで自習を怠っていたため灘中学のワンランク下の共学校にも落ち、さらにその滑り止めの私立中高に滑り込みました。この話をすると八割以上の方からご両親はどういうつもりだったんですかと訊かれるのですが、私は知りません。

さて、またここで事件が起きます。この私立中学は女子校だったのです!
しかも学年の半数以上が附属の私立小学校から内部進学してくるような超のつくお嬢様校でした。性自認が男性(であるとの洗脳済)の者がいきなりそんな花園に放り込まれたらどうなるか。精神が崩壊しました。

思い出してみてほしいのですが、私は友達の作り方を知らないまま小学校に進学し、それを学ばないまま中学受験に関する不要な知識に脳を圧迫され、そしてこの定型発達以外お断りといったような中学に進学したのです。馴染めるはずがありません。一年半ほど在籍していたはずですが、ついぞ一緒に下校するような仲の人間はできませんでした。この話をすると八割以上の方からなぜご両親はあなたをもともと男子校に入れるつもりだったのに女子校を受験させたのですかと訊かれるのですが、私は知りません。

コロナ禍(中二春~秋):洗脳が完全に解ける

 しかしまた天は私へ味方をしました。私が登校拒否に片足を突っ込み始めていた頃、ちょうど新型コロナウイルスという謎の感染症が隆盛を誇り始め、全ての授業がオンラインで実施される運びとなりました。当時の私は中学二年生で、やっと与えられたスマートフォンを使ってインターネットに熱中していました。SNS上で家族以外の人物と交流を深め、本来の自分がどのように扱われるのか理解したことでだんだん自分が「本当は」「本当に」女性であることを自覚し始めていました。

それによって完全に精神が崩壊しました。強がってはいましたが相当なストレスが受験期にかかっていたようで、必死に小学生時代を反芻して両親の采配は正しかったのだと言い聞かせていましたがあまりに歪んだ「教育」を施されていたことに気付いたことで全てが瓦解したのですね。

ここから私は一ヶ月ほど登校拒否を行います。頭の上を飛び交う参考書類をくぐり抜け、度重なる電波妨害を乗り越えながら。

 番外編①:あるYouTuberとの出会い

 鬱屈とした引きこもり生活の中で、私はある一本の動画に出会いました。

ベテランち氏です。
中学受験のトラウマがあったので学歴をトロフィーのように扱うコンテンツは半ば意識的に避けていたのですが、あまりにも上記の動画がレコメンドに流れてくるので再生してみました。最初は東大医学部であるということしか知らなかったのですが、すぐに灘校出身であることは明らかになりました。
初期の彼は誰も惹きつけず、それによって誰もを惹きつけるような独特な雰囲気を醸し出していて、アッパー系の娯楽に触れることができなかった私にとってちょうどよい慰めとなりました。なにより灘校のエピソードを聞くことで別の(灘中に入れられていた)世界線の私もそこそこ幸せそうだぞと思い込めたことが、心的外傷の治癒に大きく寄与しました。

中学を転校(中二冬):出来損ない、流刑に処される

 娘を灘中へ行かせるために性別を変更させようとするような者は当然なので、娘の惨状へは一ヶ月弱という早さで見切りをつけたようです。私はよくわからない低偏差値の私立中学へ流刑に処されました。流刑というのはあながち誇張表現ではなく、私はかなり実家から遠くにある中高へ転学し近くの療養施設で集団生活をしながらそこへ通うことになっていました。二時間ほど乗り慣れた軽自動車に揺られて知らない施設の前で降ろされ、あれよあれよという間に己の私物が搬出され、再度出発した車がしばらく戻ってこないことを理解したのは中二の冬のことでした。

この話をすると八割以上の方に明らかにおかしい実家を出られてよかったじゃんと仰っていただけるのですが、残念ながらこの施設も数ヶ月に一回自殺未遂による救急搬送者が出現する、一日十回弱全体点呼が設定されており一秒でも遅れると大声で謝罪しなければならない、携帯や漫画などあらゆる娯楽の持ち込みが禁止野外で性交渉に及ぶために最適として広まっているスポットがあるなどのなかなかに刺激的な属性を兼ね揃えた施設でした(私と似たような境遇の者を集めているから当たり前ですね)。

この施設に感謝している部分もあります。私は幼少期から半ば育児放棄されており入浴や食事の作法をほとんど理解しておらず、施設内での厳しい戒律によって生活面においてかなりの学びを得ることができました。ただこんなことで感動してアホ面をできていたのは私だけで、他の全員は常に薄ら発狂していました。この話をすると八割以上の方からなぜそんな運営がまかり通っているのですかと訊かれるのですが、私は知りません。

療養施設生活(中三~高二春):虐待2の開始

 その調子で高校一年生までを修了しました。勉強しか娯楽がなかったのでそれなりに成績は持ち直し、実家とも距離を置いていた(置かされていた)ので関係も多少は修復されました。

万事快調...…と言いたいところですが、ここでも問題が発生します。なんとなく入った部活で人との関わり方を完全に間違えてしまい、副部長から目をつけられてしまいました。ここから私は毎日放課後には校舎裏に呼び出され、日中の行動をひとつずつ詰められ、満足に答えられないと腹部に殴打を受けるという生活に入ります。自分に人権があるという事実に居心地の悪さを感じていた私はそこから脱出する努力をすることができませんでした。両親からは直接暴力を受けることがなかったので、「これで虐待コンプリートだなあ」などと考えながらやり過ごしていました。

施設で彼の同級生と生活していたので、連絡を少しでも無視していると彼の同級生が部屋を訪ねてきます。ひとときも心が休まることはありませんでした。交友関係も全て監視されており、彼が許す者以外との会話は許されませんでした。一年半ほどそれを耐えていましたが、高二に入ってとうとう脳が壊れました。

高一二学期のツイート
高二一学期のツイート

この画像を見ていただければわかると思うのですが、高校二年に進級してから明らかに頭がおかしくなっています。高一以前は一週間に一度ツイートしたらいい方、という感じだったのですが、高二に入ってからはほとんど毎日この情報量のツイートをしていました(ちなみに私が中原岬になりたいと思ったことは一度もありません)。

療養施設を退所(高二春~高三春):インターネットで超加速

見かねた友人の通報によって高校の生徒指導部が介入したため、彼とは決別することに成功しました。しかし突然長年の生活の柱であった身内からの暴力を失い私は迷走し始めます。この件に関する両親の見解が「そんなやつに着いていったお前が悪い」であり、私がその評価を甘んじて受け入れてしまったことも発狂に拍車をかけました。

人生で始めて警察を呼ばれたり、

実家にも施設にも居場所がないので家出を繰り返したりしました。

なぜか家出するときは東京へ行くと決めていて、その場で遊んでくれる人を募集していました。今はとても後悔しています。危険なので絶対に真似しないでください。

家出した先では落ち着ける場所がなかったので便所飯を極め始めました。最終的にはデザートやナマモノまで便器の上で食べていました。

あとは、通学以外で電車に乗ることがこれまでなかったので、とりあえず降りたことのない全ての駅で降りてみてそこで買い食いしまくるということをやっていました。頭がおかしくなると食生活から破壊されるのだという学びを得ました。

このあたりでさすがの(両親のこと)も責任を感じたのか、施設を出ることに成功しました。同級生から「脱獄おめでとう」と屈託のない笑顔で祝われたことは今でも昨日のことのように思い出せます。

 番外編②:灘中高との精神的和解

 この時期に初めて灘校の施設を訪れました。
私はベテランちにハマってから順当に彼を擁するユニットである雷獣チャンネルのヘヴィリスナーとなりました。施設で私を虐待していた人は学力にコンプレックスがあったためか雷獣チャンネルの視聴まで禁止してきましたが、監視の目を欺いてほぼ毎晩視聴していました。

この日は神戸で彼らのトークイベントがありました。当時は門限が厳しくイベント本体への参加は叶いませんでしたが、物販と差し入れを他のリスナーさんに代行していただきました(理解のある対応に今でも感謝しています)。

灘校の施設を訪れ門の前に立ったとき、封印していた受験期の記憶が濁流のように脳を満たしていくのを感じました。動悸がするままにその様子を写真に収め、ツイートという形でしたが初めて他人に虐待の事実を明かしました。ここで完全に吹っ切れ、以後は自己紹介のフックとして利用しています。実際に訪れなければ詳細を思い出すことすらなかったでしょうから、彼らには本当に感謝しています。

自宅療養生活(高三春~夏):虐待3(セルフネグレクト)の開始

 それでもしばらくは実家からむりやり登校していましたが、だんだんそれが不可能になっていきました。二週間登校拒否し、また二週間だけ登校してまた限界が来て登校拒否するという生活がしばらく続きました。

ちなみにその環境下、高三の春ごろに出力されたのが前述したnote記事です。当時は頭の中で概念を使ってパズルを作るのにハマっていて、目についた単語の類義語をひたすら勝手に考えていました。あのネタでR-1グランプリに出ようかな、などと考えていました。端的に言って我ながら病気でした。檻の中で発狂した女がポエムもどきのものを書いているという点でりりちゃんのごくちゅうにっきと同じカテゴリに入ると思うのですが、不思議とそういう方向性の消費はされませんでしたね。

そして、高三一学期の期末考査を目前にして完全に不登校となりました。二回目の登校拒否に両親は完全に疲れ果ててしまったようで、「学生としての本分を果たさない者にインフラは不要」として実家で食事と空調が一切提供されなくなったということ以外は平和な日々が続きました。

生活を監督する存在が消滅し、セフレ(セルフネグレクト)との同棲が開始しました。片付けができないため寝床周辺は荒廃し、家には居場所も食事もないので一日一食で家の周りを毎日5kmほど歩き回り続け、栄養素の欠乏で肌や口内を初めとしたあらゆる新陳代謝が停止し全身の関節痛で受験勉強どころか活動そのものが不可能となりました。

当時投下していたツイートの一部です。身体が動かずTwitterしかやること・できることがなくて、日中はずっとツイートの下書きを溜めて夜になったら大放出するということをやっていました。一日中Twitterのことを考えていたので当然Twitterが上達し、完全にアルゴリズムに目をつけられてしまいました。from:qavcx min_faves:1000で検索してみてください。ドン引きすると思います。

正直、なにかあるとすぐ経済的支援の打ち切りを仄めかしてくる両親に大学の学費を出してもらうことは諦めていました。となると自費で捻出するしかないのですが、高校に通いながら学費を用意できるほどの甲斐性は持ち合わせていませんでしたし大学に入ってもそれは変わらないだろうと思っていました。通えるかわからない大学のためにわざわざ勉強をする気なんてさらさら起きなくて、おまけに体調もずっと終わっていたので、夏の間はずっと屍とあまり区別のつかないような状態になっていました。

 番外編③:セルフネグレクト、唯一の成果

 この時期も雷獣チャンネル及びその周辺のウォッチは継続しており、このようにポロっとこぼした感想が多くの人の目に触れることもありました(ツイートは雷獣チャンネル裏方の個人チャンネルです)。
これでチャンネル登録者が1000人単位で増加されたようです。私はほとんどなにもしていませんが、少しでも恩返しができていたらいいなと思っています。

福祉への接続(高三秋):大人の監視下で本格的な療養を開始

 しかし心地の良い堕落はそう長くは続きません。そんな生活を続けていると、ある日フォロワーから恐ろしい長さのLINEが届きました。私の病状についてツイートから推測して客観的に説明したメモでした。「これを信頼できる大人に見せてください」「今のあなたは病気です。病識を強く保ってください」と強い口調で諭され、あまりの迫力に私は従わざるを得ませんでした。

実際にそのフォロワーから届いたLINE

ここには「異常な食生活」「あまりに不安定な情緒」「常識的な感覚の欠落」「インターネットでの言動のエキセントリックさ」など、あらゆる私の弱点が記されています。そして私はこれを大人に見せると一瞬で「配慮」と名のついたあらゆる制度の説明が開始されることを理解しました。

大人に上記のメモを見せたら「SNSはやめられないんですか?」と訊かれて
これと全く同じ状態になり、笑いました。

 現在、私は0時就寝8時起床というリズムで生活し、起きている間は30分ごとに行動を宣言し、それを他人に監視してもらいながら遂行しています。偽の療養施設で得た最低限の枠組みを流用して真の療養を開始しました。少しずつ机にも向かえるようになり、細々と受験勉強も再開しました。多くの人は私のインターネット上での暴走を見て面白がるだけでしたが、少数ながら心配してくれる友人ができました。彼らに励まされたことで両親との対話を行うことに成功し、学費に関して可能な限り実家からも支援してもらうという約束を取り付けることができました。

まだ完全に回復したとは言い難いですが、少なくとも未来への希望を失わずに済むような状態までは押し上げることに成功しました。それを機に過去に向き合い、きちんとまとまった文章として残しておくことにしました。この記事がそれにあたります。

私と友達になってくれる方へ

 さて、私はまだ友達の作り方を知りません。友達というのは私をコンテンツではなく人間として扱ってくれる人のことです。ただいまより自己紹介を終了し、友達の募集を開始します。

Discordサーバーに加入する

チャンネルの例

 「自分の人生に集中しましょう」というDiscordサーバーを運営しています。現在のメンバーは150人ほどです。

招待リンクをツイートしたら荒らしに遭ってしまったため現在は取り下げていますが、DMをいただければFF外の方でも加入が可能です。最もありがたい私との距離の詰め方はこれです。よろしければDMいただければと思います……!

書き込みの例

LINEスタンプを購入する


スタンプの一覧

 こういったLINEスタンプを作成しました。絵は友達のニヒ( TwitterID:@eeuuruureey0  )ちゃんに描いていただき、我々には一銭も入らない形で販売しています。

これに関する購入報告、またはお問い合わせは全て私に寄せてください。あなたとこのスタンプを送りあえる日を楽しみにしております……!

スタンプ使用例

ダイレクトメッセージを送る

Twitter:@qavcx
Instagram:@kirby_official_jp

 私と交流を持つ最も手っ取り早い方法として、ダイレクトメッセージを送るというものがあります。初対面の方に開示できる私の連絡先は以上二つです。Twitterはnoteのプロフィールからも飛べると思います。InstagramはIDでふざけてしまったため凍結まで秒読みです。早めにフォローしていただけると助かります。

ただ、安全性の観点から少しでも距離感が異常だと感じた連絡には返信することができません(例:最初からタメ口)。
恋バナ(好きな人の好きなところを教えて下さい)」「大学受験お役立ち情報(私は世界史選択の私立文系です)」「おすすめ音楽情報(オタクなので残響系が好きです)」のいずれかでしたらほぼ100%の確率で返信いたしますのでよろしければ絆人間の暇を潰してあげてください。自己紹介が最初にあればなお助かります。

サブアカウントをフォローする

 よく深夜にIDだけツイートしてはすぐに消している非公開アカウントがあります。直接お教えすることはできません(知っている方もみだりに言いふらさないようお願いいたします)が、ご縁があればフォローしてみてください。

このアカウントはフォロワーが200人程度で、全員フォローバックしています。タイムラインもある程度見ています。その代わりに心理的安全性を確保するため少しでも加害性を感じた方は弾いてしまいますが、人間的な交流であればいつでも歓迎しております。

最後に:親のことはどう思っているの?

 この話をすると八割以上の方から親御さんのことはどう思っているんですかと訊かれます。

両親と警察を呼んだり呼ばれたりするような諍いを何度も起こしているので、当然憎くてたまらない...…と言いたいところなのですが、実際はプラスにもマイナスにもそこまで大きな感情を抱いていません。私の教育にかなりの額を投資してくれたことは事実ですし、私は一人目の子供にしてはクセが強すぎました。私なら私をどう育てていただろうかという問いに答えを出せないうちは彼らに特別な感情を抱くことはないだろうと思います。

好感度を上げようとしているわけではなくて、彼らを憎悪し続けるだけの体力がないというだけです。まだ両親への感謝は芽生えていませんし。自我が育っておらず両親を憎みきれていないだけだという可能性もゼロではありません。

 長い自己紹介となりましたが、ご清読ありがとうございました。これでも初対面の方に話せるレベルの情報量ですので、個人的な交流を行う中で更に私の人間性が立体的になってくるかと思われます。
あなたの自己紹介を聞ける日を楽しみにこの文章を閉じようと思います。

2024/9/13 絆人間

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