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ラオスで私も考えた

こんなにもラオスはタイ語が通じるのか。初めはそう思っていた。ラオスの人はタイ語も上手に話すんだなあと。

だけど次第に気がついた。彼らはいつでも私に対してもラオス語で話している。確かにタイ語が通じるということもあるが、それ以上にラオス語とタイ語が似ているのだ。

イサーンの言葉とラオス語がほぼ同じなのもそういうことだろう。最近やっと読み終わった『地図がつくったタイ』にも書いてあったように、メコン川流域に住む人々は国境の線引きが曖昧なまま長い時を過ごした。そこに暮らす人々も民族の違いはあれど、あるとき「この線からこっち側がシャム!」と決められるまでは小さな国々がそれぞれ朝貢関係を持つ、ゆるやかに変化し続ける線引きの中で暮らしていたのだ。今は「タイ」「ラオス」と異なる国に所属する形で生活をしているが、この発見から彼らはもともとこのメコン地域の住民であるという広いつながりを感じた。

そもそも私の日々の授業は完全英語で行われているので、生活に必要な簡単な文句以上にタイ語上達の機会を探していた私は、ここぞとばかりにラオスでタイ語を話した。共に行ったメンバーの中で唯一それとなく話せるのが私しかいなかったこと、そして、全然、本当に全然英語が通じなかったことが関係する。日々観光客と接しているように思われるラオス中国鉄道の受付のお姉さんでさえ、英語を話さなかった。

旅の醍醐味

旅で一番好きな時間は、決まっている。朝でも、昼でも、まだ日が出ている時間にベランダに出て本を読むひとときだ。

ルアンパバーンのホテル(Villa Namkhan River)からの景色

今回の旅のお供は『アルケミスト』だった。数週間前に会った高校の同級生からモロッコでの旅の話を聞いて、スペインからモロッコに旅をするアルケミストのストーリーが頭に浮かんだのだ。高校生ぶりに表紙をめくるこの本に没頭することは残念ながらできなかったが、英語で本を読むと考えすぎないから良い。今回の旅は少し疲れてしまったから、英語で読書をして意識を現実に集中させないようにするくらいがちょうど心地よかった。

2年前に長野に行ったときには、山中のコテージの外へ椅子を持って出て、椎名誠の『世界どこでもずんがずんが旅』を読み、旅への憧れを膨らませた。今年マレーシアに行ったときには、ランカウイの風通しのいいカフェで横尾忠則の『インドへ』と椎名誠の『インドでわしも考えた』を読んで、6月のインド旅への期待に胸を高鳴らせた。

振り返ってみると、旅先でも旅に関する本ばかりを読んでいたようだ。その土地の景色と読んだ本の印象が強くつながり合って私の記憶に色濃く残っている。

風に吹かれて仏像を見つめる

ルアンパバーンの街を広く見渡すことができるプーシーの丘の頂上に位置する「ワット・チョムシー」を訪れた。

ルアンパバーンはバンコクに比べて格段に涼しく気持ちが良い。村上春樹の『ラオスにいったい何があるというんですか?』を読んで、忙しさから逃れて時間を気にせずに仏の前に座り続けてみたかった。

プーシーの丘を登ってくる人はいれど、この寺の中に入ろうとする観光客は少なかった。だから私だけが贅沢に空間を独占できたのだ。仏像と向かい合うときはいつも、どれだけの数の人が、どれだけの思いをこの仏像にかけてきたかに思いを馳せる。その想いが叶えられるかは構わない、ただ私の気持ちをいつでも聞いてくれるという入り口の広さが私を安心させてくれる。

本当はもっと長くそこに座っていたかったけど、写真撮影のために呼ばれてしまったのでサーラー(東屋)を出た。またこんな時間の使い方がしたいものだ。


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