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かくかくしかじか、これこれのこう

音として面白い言葉が好きだ。日本語に限らず、リズミカルな言葉というのはわくわくさせてくれる。
だからといって、それらの言葉が日常的に使用しているかというと、それはまた別の話だ。

かくかくしかじか。

話を省略した際に具体的内容の代用として用いられる表現。「実はかくかくしかじかの事情で・・・」のように、内容を全体的に省く際に用いる。これこれこういうわけで、という意味。
weblio辞書より

「これこれこういうわけで」も、なかなかに使わないのではないか。
大前提を知っている、もしくは相手に暗黙の了解を心得てもらっていないと余計な混乱を招く言葉だからだろう。
だが、理由を濁したいときにも使用できる言葉ではないだろうか。

かくかくしかじか、こういうわけでテレワークさせてほしいのですが。
そうすると相手の裁量で常識的な理由を見つけ出してくれるのではないだろうか。
自分はただ、あの動く狭い箱の中で鮨詰めになって、たいして居心地もよくない場所に毎日向かわなければいけないのが億劫でしょうがないだけなのだけれども。
ならんか。ならんな。なかなか便利な言葉というのはないようだ。

斯々然々。
「これ」と「それ」で表される言葉の可笑しさに心が和らぐ。曖昧でふわふわとしているのに、硬い音がするちぐはぐさも愛嬌がある。
私がこの言葉を知ったのは、視覚よりも聴覚からだったように思う。コミカルな音は私の心を弾ませ、辞書に指をかけさせたのかもしれない。音として思い出すとき、しゃがれた男の声がするに、出会いは落語のような気さえする。もう随分と遠い過去なので、おぼろげだ。幼い時分のいつからか、私の心の奥でころころと転がっていた。
それなのに、それなのにである。私はもしかすると、この言葉を一度も発したことがないのではないだろうか。
出会ってから、一度も自分の声で聞いていないような気がしてきた。
今、とてつもない焦燥感が自分を取り巻いている。
だが、いざ発しようとすると、どうにも恥ずかしいものがある。部屋に一人きりの、PCの駆動音とキーボードを打ち鳴らす音しかしないこの部屋に、人の声が幾分か不似合いなような気がするのだ。
音には音の居場所がある。
かくかくしかじか、と今発したところで、きっと寂しさに侘しさをまぶしたような響きしか持たないだろう。それは私の本意ではない。
だが、ここぞというときに取っておいて、結局そのまま発せず仕舞いとなっては元も子もない。
もし私が明日死んでしまって、しょうがないから死亡届の直接死因の欄に
”かくかくしかじか”と書いてくれと遺書を残そうものなら、家族も役所も頭を抱えることになるだろう。それに、これでは「音として発する」ということは達成されていない。
音の居場所とは、すなわち瞬間なのだ。時と場所と場合という三つの条件が揃った一瞬、一等輝く居場所に発したい。
死ぬまでに言いたい言葉リスト入りとし、ここぞというときに使えるように口の中で転がしておくことにする。諸般の事情で、と言ってしまいそうなのを堪えることも念頭に置いておこう。言えたという自己満足で"どや"らないか、今からすごく不安でもあるが、言葉にできる時がそれなりに楽しみだ。
いつか、ここに言えた日付が刻まれればいいと思う。
小さな達成感への期待に少しばかりわくわくしている。と、同時に膨大な量の死ぬまでに言いたい言葉リストの中、絶対に言う機会などないだろう言葉たちに少しばかりの寂しさを覚える。
いっそそうゆう会でも開いたら流行るんじゃないか。と思い立ったが、
言う前に羞恥でその場で死にそうだ。却下だ却下。TPOもなにもない。
思いつき、というものはろくなもんじゃない。開催理由とて、死ぬまでに言いたい言葉を言いたいからですなんて、ちょっと恥ずかしい。
誰かに問われたら、答える言葉はこれしかない。
かくかくしかじか。これこれこうで。

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