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病気との闘い⑯~失った記憶、出来事~

みなさん、こんにちは!こんばんは!おはよう!


ふたつの痛みの病に侵され、痛みに呪われたflutist‗umakoです。


前回は、病名の確定診断がつかない中私、両親、当時の主治医のE医師それぞれの闘いについて記しました。

E医師が西へ東へと奔走してくださったおかげで、訳の分からない全身の激痛が「線維筋痛症」という病気ということが分かりました。


確定診断がついたら今度は治療ですが、当時は脳のどの部分が「痛みの中枢」か今より情報がない中で治療に当たらなくてはなりませんでした。


さて、今回ですが私が受けてきた治療の中で、自分で思い出しても忌々しい、しかし当時にはその治療しかなかったために受けた治療について語りたいと思います(B医師の手術は除き)。




痛みの中枢ってどこ?


私が「線維筋痛症」と言われている病気なのではないかと分かった頃、つまり今から15年前は、脳のどこに「痛みの中枢」つまり痛みのインターチェンジ(I.C.)があるのかはっきりしていませんでした。

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しかし、この図が示すように皮膚から感じた様々な痛みの交通網は、皮膚から脊髄、そこから視床下部、視床あたりのジャンクションを通っていて、当時この視床周辺に痛みのインターチェンジ(I.C.)があるのではないか?と呼ばれていました。


そしてその視床、視床下部は記憶のインターチェンジ(I.C)として現在ではよく知られています。



1.つまり、線維筋痛症のような慢性疼痛は脳が痛みの刺激を記憶してしまっているのではないか?


2.ということは記憶のジャンクションつまり視床下部の近くに痛みのインターチェンジ(I.C.)つまり痛みの中枢があるのではないか?


という仮定がたてられ、それが当時のスタンダードでした。


そこで考えられたのが次の治療、今考えると恐ろしい治療でした。




電気刺激けいれん療法(ECT)


まず言っておくとこの治療は精神科領域の治療です。


つまり、統合失調症や気分障害などの精神疾患患者がネガティブな記憶を消去するために、脳に電気刺激を与え、けいれんを誘発します。


といった治療を1クール5~8回を必要なだけ繰り返し、記憶のインターチェンジ(I.C.)を麻痺させ、結果ネガティブな記憶を消し去り、記憶のインターチェンジ(I.C.)の機能(渋滞)を解消させる。


という治療です。

詳しくはこちらの動画が分かりやすいです。




電気けいれん療法を私が受ける!?


それまでに私は精神科を受診し、統合失調症や虚言癖ではないと否定されていました。


なのになぜ私が?


それは初めにお話した当時の痛みのインターチェンジ(I.C.)つまり「痛みの中枢」が、視床下部周辺にあるのでは?という考えからでした。


そう考えると、私がこの治療を受けることはそう不思議な事ではないですよね?


そして私は計33回もの電気けいれん療法を受けました。


その間、E医師が私の大学の大学病院を去ることから、東京の病院に移ったりもしました。


この治療を始める前から、E医師や新しく移った東京のE病院の精神科の医師や、この病院で麻酔科・ペインクリニックをやっていたF医師から、



「若干の前向性健忘、逆行性健忘つまり、治療した時から前の記憶、治療後の記憶があいまいになったり、なくなったりするけど、それは一時的なものだから」



と言われていました。




ECTを33回受けて、そして...


私は一時的どころか、若干の逆行性健忘どころか...


私の高校時代にさかのぼるまでも前の記憶が未だにあいまいだったり、覚えていないんです。


もちろん、あんなに楽しくて、ともだち同士切磋琢磨しあった大学時代の思い出までもやがかかっていたり、すっかり抜け落ちてしまいました。


以前お話した大学2年生の時に親友AとNと一緒に行ったシンガポール旅行でさえ、母に写真を見せられてもピンと来なくて、私が行ったのか、私に似ている誰かが行ってAとNと3人で写真に写っているのだかすら分からなくなってしまいました。


あの楽しかった思い出は、今になっても写真の中の出来事になってしまったのです。


また、前向性健忘についても今ですらドキッとするような大切なことを忘れてしまったり、暑いのにその時の季節が何なのか、およそ何月なのかが分からなくなりハッとする時があります。


あの治療は私の思い出も、私が築く新たな歴史までも、消しゴムで消してしまうかのように消え去ってしまいました。




終わりに


あの治療を受けたことでもちろん、両親などその時に決断を下した人たちの事はまるで恨んではいません。


時代です、時代が違えば私の運命も少しは変わったのかもしれません。


あの治療は、今では倫理的に、という理由から慢性疼痛の治療の適応外だと耳にしたことがあります。


つまり、痛みを取ることを引き換えに失うものが大きいからだ、と私は思っています。


それでも、私の日々の激痛が、稀に起こる疼痛くらいになっていれば、私の考えは変わっていたかもしれません。


しかし悲しいことに、私の疼痛は大きな変化はありませんでした。


もしドラえもんがいたらタイムマシンであの時に戻って治療を止めさせます。


だって私は障害者でも幸せで楽しかったし、自分の事が好きでいられました。


しかし、あの治療で私は失ったものが多すぎる。


だからあの時に...。



次回は叔父や叔母への感謝の文にしたいと思います。

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