病気との闘い⑥~私の将来を決めた夫婦~
前回のお話はちょっとショッキングな内容でしたよね...。
私の周囲からも様々な意見が飛び交いました。
そりゃそうですよね、医師が同業者の医師の仕事を、
「医療○○だよ!!」
でしたから。
さて今回は私が高校2年生の長期入院中に出会ったご夫婦のお話です。
とてもハートフルで、私が自分に確固たる自信を持った夢に出会えたストーリーです。
2回の高校2年生に3回の手術
実は私は高校2年生に2回入院と3回の手術をしました。
1回は前回お話しした手術を左右それぞれ行った時。
そしてもう1回は確か2回目の高校2年生の夏休みに、左膝に繋がる腱が伸びてしまいリハビリの甲斐もなく、結局伸びた腱の中間を切って繋げる手術を行ったからです。
最初の入院、手術で私の半月板はあるべき形に治されました。
ですが、私の膝には両側とも痛みは残っていました。
それだけにとどまらず、片杖の生活が長かったために両側の股関節にも痛みは広がっていました。
私の痛みは15歳の時から塵が積もるように、どんどんと広範囲に、どんどん酷くなっていっていました。
結局私は痛み止めのしがらみからは解放されずにいました。
あるご夫婦との出会い
最初に温泉病院に入院しリハビリを行っている頃から私には気になるご夫婦が居ました。
ご主人が入院なさっていて、離れたところで働く奥さんは週に2~3日こちらに来てはご主人のご看病をなさっていました。
最初のうちは会釈をする程度でしたが、次第に奥さんとお話しする機会が増えていきました。
これがMさんご夫妻との出会いでした。
しかし、この時の私はご主人の病状の重さにまだ気づいていませんでした。
そして、このご夫婦との出会いが私の将来を決めるきっかけになるとも私は知るよしもありませんでした。
高校生の私が受けた衝撃
高校生で医学生や医師らと様々な病気による人権を守るボランティアをしていて病院に出入りすることが多い私でしたが、Mご夫妻特に、ご主人との出会いは衝撃的でした。
ご主人の拘縮した手足から、ずっとベッドで過ごさなくてはならない人なのだということは理解できていました。
「私なんかとは比にならないが、苦痛な毎日を過ごしているんだな」
と。
そしてその日私は、ご主人の言語訓練をしているところを病室の正面にあった食堂から遠く眺めていました。
私が入院していたのが温泉病院でリハビリテーション病院であったので、よく飛び交う言葉「脳梗塞」という病気で、「身体の半分が不自由なのではないか?」という位の認識でした。
しかし、訓練を受けているご主人は言語療法士(現:言語聴覚士)の問いに一切反応を見せませんでした。
最初は、「機嫌が悪いのではないか?」とか「気分が乗らないのではないか?」と自分の中で仮説を立ててみましたが、結果はもっとひどい状態だったのです。
奥さんから後日聞くと、ご主人は重度の失語症であると教えていただきました。
当時はスマートフォンなんていう便利なものはありませんでしたから、リハビリテーション科に行き言語療法士に聞きました。
「重症の失語症とはなんなんだ?」
と。
彼女はいろいろと教えてくれましたが、当時の私には理解ができず、
言葉を失った状態なんだ。
でもリハビリでいつか戻るんだ。
この程度の解釈でした。
はかり知れないご夫婦の思い
とても感じのよいMさんの奥さん。
きっとご主人も笑顔の絶えない優しい方だったんだろう。
「行ってらっしゃい」
「行ってくるよ」
と、いつも通り送り出したご主人が今は、ベッドに横たわってコミュニケーションがとれない状態です。
それを知った時の奥さんの気持ちがはかり知れず、その日の夜はベッドで布団をかぶり、私は声を押し殺して大泣きしたのをよく覚えています。
しかし後日私が知ったのはもっと酷な状況でした。
失語症にはいくつかタイプがあるが、それは大きく2つのタイプに別れます。
・聞こえた言語は理解ができるが、言葉に(発信)することができない
・流暢にしゃべることはできるが、聞こえた言葉を理解することができない
Mさんはこの2つが混在しているが、前者が強いのだ。
おしゃべり好きな私にはどちらのタイプも受け入れがたい事なのに、ご主人はその両方とは...
そしてMさんが元に戻ることは難しい、と。
そう、私が見た訓練の光景でご主人は繰り返しの質問に怒っているわけでも、気が乗らなかったのではないのだ!!
もしかしたらご主人はセラピストの言っていることが理解できていたのかもしれない。
しかし言葉にできないのだ!
どんなにもがき苦しんでも言葉が出てくることはないのだ。
これをきっかけに私はコミュニケーションについて、言語聴覚士という仕事に興味を持つようになりました。
ご夫婦からの芽を育む
ある日私は、奥さんがご主人に語りかけている光景を目にしました。
それはごく自然に話しかけるように優しい口調でした。
その時私は見たのです!!
奥さんはご主人の口ではなく目を見てコミュニケーションをとっている瞬間でした!!
喋るだけがコミュニケーションだと思っていた私のそれまでの考えをくつがえした瞬間でした。
でも、それはMご夫妻が長年培ってきた信頼関係、愛情なしには成し得ないコミュニケーションなのだと私は今でも思っています。
私はMご夫妻からコミュニケーションの重要性について、何より言語聴覚士を目指すという「芽」をいただきました。
元々医療現場に興味があったため、
「これが私の天職なのだ!!」
と私の心にスポッと収まりました。
そして私は、痛みを抱えつつ言語聴覚士という仕事に就くため大学へ進学することとなりました。
Mさんのご主人はそれから何年か経ち他界されました。
きっと天国で毎日奥さんに語りかけたり、思う存分しゃべっていることでしょう。
奥さんはご主人が他界されてからも、私の大学入学の時にお祝いのマフラーをくださったり、同じ宝石から作ったペンダントをいただいたりと、娘のようにかわいがっていただきました。
今回Mご夫妻の事を書かせていただくにあたり、十何年ぶりかに連絡を取りました。
変わらない懐かしい声を聞きながら、
「苦しい部分もあるけれど、こうして書こうと決めて良かった」
とつくづく思います。
私に火をつけてくれた親友に感謝です。
さて次からは長く、さらに苦しい大学時代です。
とても1回では書ききれないため、どうしようか思案中です。
つたない記事ですが、サポートしていただくと俄然やる気が出ます!!🙂🎶 私の"やる気スイッチ"も入りますので、あなたの心に響いたらぜひよろしくお願いします。