見出し画像

病気との闘い⑩~確定診断~

みなさんこんにちは!こんばんは!おはよう!

ふたつの痛みに襲われ、痛みに呪われていると言われているflutist_umakoです。

さて前回は大学入学早々の入院が歯科で、そこで出会ったO先生やアルバイトで出会ったK君、そのママ、スタジオでであった人々のお話をしました。

さて今回は、高校2年生の時に1年留年してまで行った手術にも関わらず、私の両ひざがまだ確実に痛かったことについて、真相が分かる日がやって来たお話です。

自分でもドキドキしちゃう(笑)。

学内のクリニックの整形外科にて

大学に入学して、今まで暮らしていたところから離れた土地に来た私は整形外科探しをしなくてはなりませんでした

この頃の私は両ひざに加えて、特に痛い左足を引きずるように歩いていたからか、両方の股関節にも痛みが出てきていました。

さて、実は私の大学には1年に2,000円の後援会費を支払うと学生証にスタンプを押してもらい、学内にあるクリニック、リハビリテーションセンター、学外にある大学の付属病院の医療費を一切取られないという面白いシステムがありました。

これは余談ですが、大学1年生の時には体育が必須科目になっていました。
当たり前ですが、ほとんど見学になる私に先生からひとつの提案をされました。
それは...

「体育の講義には出なくていいので、その代わりにリハビリテーションセンターでリハビリを受けなさい」

というものでした。
リハビリテーションセンターではまず最初にリハビリテーション医の診察を受けオーダーを出してもらいます。
確かこれは年に1回くらいでよかったような気がします。

そして私は体育の時間は1年生の時はO先生という理学療法士の訓練を受けていました。

この後体育の講義は1年生で終了でしたが、私はリハセンターに通い続け、2年生からは「ハイサー!!」の沖縄出身のI先生に以後お世話になりました。

話を本題に戻しますね。

というわけで、いくら通っても医療費も薬代もただだった私はクリニックの整形外科を受診しました。
もちろん最初はレントゲンなど撮りましたが、C医師が手術で修正したあとなどで写るものはないもないわけです。
ですからここでも、ただただ痛み止めを飲む生活をしていました。

実はこの後大学病院の整形外科に鞍替えしているのですがどのタイミングで行ったのかは覚えていません。

大学病院の整形で出会い

先述した通り、私は最初大学内のクリニックに通っていましたが、後に車を持つようになって運転大好きだったのでドライブがてら大学病院まで行っていってたのだと思います。

しかしそこでも同じ。
理由の分からない痛みとして、痛み止めを出してもらい処理されていました。

しかし、ある日いつもの外来に行くと、先生とは違う先生に出会いました。

それがD医師との出会いでした。

私はD医師の外来に行ったつもりではありませんでしたが、その日外来を開いているのがいつもの先生ではなくこの先生だったというだけでした。

D医師はカルテを読みながら私の話を聞き、私にとっては衝撃の言葉がD医師の口から出てきました。

「うーん、まだ他の先生に相談しなくちゃいけないけど...」

と前置きしたあと、耳を疑う名前を聞きました。

「これね、もうケガとかじゃなくて病気なんだよ。反射性交感神経性ジストロフィーって名前なの。でね...」

私の耳に「ジストロフィー」という言葉が突き刺さってからの先生のお話ははっきり覚えていません。

要するに、私の身体の中の交感神経がいつも痛い生活を送っていたために、その事を学習してしまった状態が私の痛みなのだと。

交感神経が興奮するので血管が収縮してしまって浮腫みやすくなったり、その他私の痛みが何年も続いていたことを答え合わせをするような、納得できる症状の数々であった。

私はそれよりも何よりも「ジストロフィー」という名前に恐怖を感じてしまった。

この日の母の日記にも、「筋ジストロフィーの疑いあり」と書かれていたらしい。
両親も衝撃的だったと思う。

しかし、こんなカオスのような状況のなか、私の心の中には安堵があった。

それは、

「やっと私の痛みの原因が分かった!!」

からだ。

それまで私の痛いのは幻で、本当は痛くないのかもしれない。
そうしたら、私は心を患っているのだろうか?
それとも、虚言癖なのか?

そんなモヤモヤを一蹴してくれた。
答えがあった。

私の心は恐怖ももちろんあったかもしれないが、確定診断がついたかもしれない、という晴れやかなスッキリとした気持ちだった。

終わりに

今回のタイトルを「確定診断」としてしまいましたが、D医師の言っていた通り、確定診断と言ってもまだ他の先生に要相談、という段階でした。

しかし私にとっては恐怖と共に、恐怖からは想像しがたい安堵に満ちていたような気がします。

そんな2002年(H14年)の2月22日でした。

さて次回は、D医師が誰に相談をして、私の人生がどう方向転換を行ったか?

について触れたいと思います。

つたない記事ですが、サポートしていただくと俄然やる気が出ます!!🙂🎶 私の"やる気スイッチ"も入りますので、あなたの心に響いたらぜひよろしくお願いします。