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不登校児家庭と在籍校のズレ

息子が不登校になった時、待った無しにやってきたのは在籍校とのやり取りだった。

息子自身も母も不登校になってしまった事に衝撃と罪悪感を感じつつ、多方面で色々模索していた初期。学校へ通学させる事は親権者の義務なので、通学しないと毎日母が連絡を入れ続ける事になる。

「おはようございます。◯年◯組の◯◯の母です。申し訳ありませんが、今日は◯なので通学時間には間に合いません。」

最初は休むかどうかも分からなかったので、昼頃また連絡を入れた。

「こんにちは。◯年◯組の◯◯の母です。申し訳ありませんが、◯なので今日は学校を休みます。」

担任の先生からも週に数回連絡を頂く。

「◯さんの様子はいかがですか?」

「提出物があるのでお届けします」

このやり取りが結構キツかった。母は学校の登校時間までに行くかどうかを決めて連絡を入れなければと思っているが、息子は体調も心もそれどころではないので、行けるかどうかすら判断するのが難しく、結局息子が学校に行けなかった日は行けないという事実を受け止めるのがまず母にはキツい。先生方も忙しいのに、うちの息子にたくさんの時間を割いてもらう事も、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

それから2ヶ月程経過し、カウンセリングや通院などを経て、息子と母が不登校に向き合う覚悟が出来た頃には朝の連絡は必要無くなった。

その頃から徐々に学校とのズレを感じ始めた。

息子の状況、カウンセリングの内容や状況報告を続けても、在籍校の先生方は、なるべく早く学校へ再び登校をし、クラスメートと同じ教室で同じ授業を受ける事を望んでいるようだった。

学校側の、一刻も早く学校へ再び通って同級生と一緒に学んで、遅れを取り返して欲しいという気持ちは痛いほど分かる。そう出来るなら母だってそうしてもらいたい。

でもそれはその時の息子の状態では難しかった。息子と母とカウンセラーさんや専門医は、息子が今後どう生きて行くべきかに焦点を置いて、長いスパンで状況を見ていた。

学校側は今日からでも学校に来て欲しい。来さえすればなんとかなるんじゃないかという息子と母がとっくに手放した希望を諦める事は一度も無かった。基準にしている時間軸と「学校は通うのが当たり前」という意識とが違うのだからズレていて当然だ。

学校側は一生懸命対応してくださったが、腫れ物を触るような遠慮気味の態度から、見守りと同時に母が息子に対して虐待をしている可能性を疑っているのではないかという疑念を母は常に感じていた。

息子の為を思っている気持ちは同じと割り切り、また虐待だと思われないように週に数回の連絡を取り続けた。

学校側の対応は間違ってはいない。

母も息子の為を思っていただけだ。

でも息子が不登校である限り、溝が埋まる事がなかっただけ。

何が正解だったのかは誰にも分からない。

答えが出るのはきっと何十年も先の話だ。











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