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「0から1を生み出せる人間は自分勝手」説 【勝手にリレーエッセイ2022秋】 #5

 こんにちは。アゴラリレーエッセイの第五走者、潮永 三七萌です。

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 記事に出てきた性格テストもやってみたりして(勇敢なヘラジカさんと同じ提唱者でした)、とにかく自分と反対の性格なのだろうな、というのが初見の感想でした。

「私達は考えが合いませんね」で会話終了?
 いいえ、ここはアゴラです。


 自分勝手──自分の勝手に振舞う人は、他者の都合を考えない。
 自分自身の「こうしたい」という声をノイズ無しに聴くことができる。
 自分にしか見えていない「これがいい」を感じ取ることができるから、0から1を生み出せるのではないだろうか。
 そして1を生み出してしまった後の、「もう考え飽きたから他のことを考えたい」という自分の声にも従順なのだろう。
 
 件の学祭に自分がいたらどんなポジションだろうと考えてみた。
 大変失礼ながら、私は恐らく長谷川さんほど自分勝手ではないためシフトは飛ばさない。
 しかし、出店会議という名の宅飲みには参加していないだろう。
「他人から嫌われたくない」というノイズまみれの自分では、大学生当時全く自信の無かった料理という分野でアイデアを出せるとは到底思えない。

 長谷川さんが「羽根つき餃子」という1、いや、決定したのだから10?20?を生み出す。その後別の誰かが準備の工程を洗い出して必要な人数やスケジュールを設定し、40~50くらいまで進める。
 その準備のどれかの班に入ってからがやっと自分の仕事だ。どの班に入るかには多少自分の好き嫌いはあるだろうが、ここで「自分勝手」には決して見えないようなるべく穏便に希望に近い班を狙う。私は所属した班で、誰かが決めてくれた準備作業を忠実にこなすだろう。
 学祭当日も、決められた時間に決められた仕事をこなして私は「働いた人」になるのだ。
 極めてつまらない存在だろう。しかし、アイデアを出すことなく「働いた人」の称号を得られるのなら、つまらない存在になることなど全く苦ではない。私である意味など全く無いが、これでも全体を100とした中の1~5くらいの働きはしているのだ。誰がやっても同じだろうが0じゃないのだ。
働いたので一人5000円の利益を貰って打ち上げにも参加する。多分その打ち上げではカシオレを飲みながら「色々決めてくれてありがとー。私全然何もしてないからー」と中核グループ(長谷川さん含む)に言うのだ。絶対そうだ。間違いない。

 0から100まで一人で仕上げられる人間はそうそういないだろう。いたら凄いが、度を越した人間嫌いの可能性が高い。
 自分の声に従って0から1を生み出す人間がいる。その1を10にしたり、そこから100に向かって進めていくのが向いている人間もいる。90のものを95にすることに興味のない人間がいれば、喜んで請け負う人間もいる。
 そういう様々な人達が集まって、新しいものはこの世に実現するのかもしれない。

(1026字)


【勝手にリレーエッセイ2022秋】

おつぎは…
第一走者の『イトーダーキ』さんに渡してゴールです!!

<あとがき>
 リレーエッセイは完全自由に書くより全然楽でした。私にはきっとゼロイチ(0から1を生み出す)は向いていないと思います。小説もオリジナルはてんでダメで、二次創作しか書いたことないし。
 そのオリジナルが書けない自分を「創造性が無いんだ」と思っていましたが、自分勝手じゃないからゼロイチができないし、1を膨らませることはできてそれを求めている人がいると思えばそれで良いような気がします。あーほら、「求めている人がいると思えばそれで良い」とか言ってるから、自分の勝手に生きられないんですよ……。
 長谷川さんのことを勝手に分かったような口を利きましたが、意見や修正希望があればいくらでもご連絡ください。
 あと、実は前の3人のエッセイを読んだ初見の感想や考えたことをメモしてあります。バトンの横取りになってしまうので自分の番が終わってから記事にしようと思ってメモのまま残しておきました。コメントせずにすみませんでした。でも皆さんのエッセイが素晴らしかったので全員分記事書きます。絶対書きます。

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