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一緒に次の旅の準備をする

長男の高校の入学式で、校長先生が言われた印象的な言葉がある。

「高校に入ったら、親ができることは食事を出すことと、お金を出すことくらいです」

開校以来100年以上、生徒の「自主自律」を大切にしてきた自由な校風の男子校。勉強だけでなくイベントや部活に全力で打ち込む楽しそうな先輩たちの姿に、中学のときに学校見学に行った長男は魅力を感じたらしい。「この高校に行きたい」と志望して受験。無事に合格し、親は胸を撫でおろした。

入学後は、勉強はそっちのけで、部活のラグビーに熱中していた。体中に傷をつくり、毎日泥だらけになりながらも、熱心に録画したプロの試合を見ては、よりよいプレーを研究していた。

その長男が、受験勉強もいよいよ本番を迎える高3の夏のある日、ふとぼやいた。

「俺、将来やりたいことなんてわからないよ。どうやって大学や学部を決めればいいんだよ」

高校では、進路指導がしょっちゅう行われる。本人も親も、大学進学を希望している点では一致しているが、一向に志望校が決まらない。

すでにやりたいことがはっきりしている人や、どうしても行きたい大学がある人にとっては、何の迷いかと思われるかもしれない。だが、受験する大学と、学部を決めるということは、その先の社会に出るということを見据えた選択になる。高校生くらいの年代の子にとっては、部活を決めるのとは違う、一大事だ。

そんな息子を前にして、社会人としての経験を(良くも悪くも)積んだ親としては、言いたいことは尽きない。ああしたほうがいい。こうしたほうがいい。せめてこれだけは。

だが、すんでのところで言葉を飲み込む。

思い返してみれば、自分はどうであったか。
彼と同じ時期、どれだけ真剣に将来のことを考えることができたのか。

就職をする気にはなれないし、教科の中では英語の成績がよいから英文科にしよう。「やりたい」ではなく消極的な理由で、受験をした。
一年浪人をして入った大学では、真剣に学ぼうという気持ちは皆無だった。将来のことを考えることもなかった。どうやったらラクに単位がとれるか。どうしたらバイト代をもっと稼げるか。そんなことしか考えていなかった。

そんな不完全燃焼感を持ったまま親が子どもにかける言葉は、自分が果たせなかったことの、押し付け以外の何物でもないだろう

今私は、息子を通して、そのときの自分を追体験させてもらっている。
その年代が抱える特有のもどかしさや苛立ち。先の見えない不安や失敗への恐怖。家と学校と友達だけの小さな世界から、社会という未知の世界へ出る怖さ。

その当時、自分は親に何をして欲しかったか?どんな存在を欲していたか?

今思えばシンプルだ。

「一緒に考えてくれること」
「見守ってくれること」

大人と子供の中間を漂う、ただでさえ不安定な内面を、一緒にひらいて整理して、そして見守ってくれる存在がいたら、どれだけ心強かったか。安心して、もっと他の可能性をいろいろ見ることができただろう。

人生は旅に例えられることが多い。
そう考えると、家族というのは、一つの旅の仲間だ。一生、ずっと一緒に過ごすわけではない。生まれてから社会に出るまでのある一定期間、一緒に旅をする仲間だ。

行先を決めずに、計画を持たない旅もある。詳細なプランをつくり、その通りに行動する旅もある。次から次へと予想外のハプニングが起こり、変更をせざるを得ないこともある。そこから先がどうなるかは、そうなってみなければわからない。そして、旅には終わりがくる。いつか別れるときがくる。

子どもは、将来の進路を考えることを通して、そんな次の旅の準備しているのだ。だからこそ、目の前の一つひとつの旅の準備を、一緒に取り組んでいくことを楽しむ。そんな気持ちで長男と接することにしよう。

「ここまで一緒の旅をありがとう。これからの旅が、あなたにとってより一層充実したものでありますように」

そう背中を見送る日を楽しみに、毎月せっせと学費の積立をし、毎日の食事をつくる。そしてふとしたときに、彼が相談できる位置に、いつも居続ける。それが今の私のできる最上級だ、と思う。

追記:

昨日のお弁当づくりについての投稿を書いていて思い出した、昔の書きかけの記事。どこにも出してなかったので、UPします。
今、長男は無事に(?)大学一年生。今後も旅の仲間として見守っていたいと思います。

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