哲学対話「無駄」の開催レポート
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哲学対話「無駄」の開催レポート

毎月第4土曜日にオンライン哲学対話を実施しています。今月は都合により第3土曜の6月19日(土)に開催しました。その際の様子をレポートします。

哲学対話の概要

哲学対話とは「普段はあらためて考えない疑問」、「すぐには答えが見つからなそうな疑問」について、みんなで語りあって思考を深めていく場です。一人ひとりが自分の経験や考えを、自分のことばで表現することを大切にします。それをお互いに聴き、問いかけ合いながらともに考える場です。

哲学対話は、近年いろいろな所で行われています。当日集まった参加者から出してもらう「問い」について対話をする場合もあれば、主催者が事前にテーマや問いを決めて実施する場合もあります。我々の場合は大きなテーマだけを事前に決めておき、当日そのテーマに関連して「問い」を出し合って、選ばれた問いで対話をスタートするというやり方で行っています。

これまでのテーマはそれぞれ「対話」、「時間」、「夢」、「言葉」、「弱さ」、「笑い」、「つながり」、「学ぶ」、「遊び」、「信じる」、「読む」、「書く」、「聴く」、「楽しさ」など。15回目となる今回のテーマは「無駄」で、参加者は8名でした。

問いだし

冒頭に哲学対話の進め方とルールをお伝えし、各自テーマに関連した問いを出してもらいました。当日出された問いは以下のようなもの。

1 無駄な仕事とは? 
2 無駄を誰が判断するのか? 
3 無駄を削り過ぎるとしんどくなる。無駄は不必要か? 
4 無駄に順位があるとしたらどの様な基準か? 
(+良い無駄と悪い無駄のラインをどうやって決めるのか?)
5「無駄」の「駄」はなぜ親しみやすい感じがするのか?
6 人生に無駄はあるのか? 
(+『人生においてムダなことなど一つもない』は幻想か?)
7 無駄な説明が人生の時間をどれくらい占めるのかな? 

問いを出し合ったあと、1つずつ順番に、どうしてその問いで考えてみたいと思ったか、「問いの背景」についてコメントをしていただきました。

同じテーマでも、人によって様々な捉え方があるということが、この問いだしの時点で見えてきます。「そうか、そんな風にとらえているんだな、自分はどうだろうか」などと、この時点ですでに哲学対話は始まっています。

また、背景を共有した上で、同じことを問うているものについては合体し、その後投票をしてもらいました。その結果、6「人生に無駄はあるのか?」が選ばれ、その問いから対話をスタートしました。

当日の対話の流れ

※個人が特定されない形で、当日出た意見を紹介しています。

・生きることに、本当に無駄ってあるんだろうか?

・商品の場合、作り手にとって無駄じゃなくても売れなかったら無駄になる。各々で無駄をどう判断するのか?

・有形の無駄、無形の無駄があるんじゃないか。メルカリで売れるような有形のものは個人のそのときの判断だけれど、たとえば数学を学んで将来役に立つかどうかなど、無形のものは判断に時間が必要な場合があるんじゃないか?

・うさぎ跳びとかスポーツのときに水を飲まないとかが以前はよいとされていたが、今はまったく反対。時間によって判断基準も変わるのではないか?

・逆に無駄じゃないとはどういうこと?必要?有用?有益?

・いっとき必要な関係でも、今はもう必要じゃないということがある。そうなると関係性の無駄と言えるかもしれない。

・何か目指しているゴールのようなものに反していると無駄なのか?

・お酒を飲んで酩酊している時間は、自分の意思が働いていないので明らかに無駄な時間。

・それをすることで何かを充たしていれば、無駄じゃないと言えるのか?

・パチンコや飲酒など、それをすることで気持ちが落ち着くのであれば無駄じゃないと言える?

・過去の行為は、その時点においては無駄じゃなかったかもしれないが、状況が変わったり考える人によってそれが無駄に見える。それは「無駄に気づく」という意味で無駄じゃなかったと言える。そうなると、無駄かどうかは、単に人の「とらえ方」なんじゃないか?

・無駄なことをしている最中は、よかれと思ってやっていたりすることもある。判断するには経験が必要ではないか。

・やっているときは無駄と感じていなくて充たされていてあとで振り返って無駄だと思うときと、習慣でただそれをやってしまうときとがある。

・本当に自分がやりたいことをやれていないという実感があるから、無駄という表現が出てくるのでは?本人が「本当にやりたいこと」を自覚できていない場合、無駄と思うことで、やりたいことがあるということに気づけるのでは?

・待ち時間は無駄だと思う。思案しているときは試行錯誤しているので時間がかかったとしても無駄じゃないと思う。

・そもそも無駄に価値を見出す必要があるのか?無駄は無駄でいいんじゃないか?無駄と価値の関係ってどういうこと?

・以前本当に苦しくて大変だったことがあって、10年経ってやっと、大変だったけど価値ある経験をしたと思える。

・価値がないから無駄、無駄なものには価値がないというのはとらえ方や気持ちだから流動的。過去のすべての無駄を、無駄じゃないと判断すればいい。それを無駄と判断するのが無駄なことなんじゃないか?

・飲酒をしているときは現実逃避をして自分の心を守っていたかもしれない。そういう意味では無駄じゃなかったのかな。

・無駄はネガティブな表現に思いがちだが、無駄だと思う背景には、前向きなエネルギーがあるんじゃないか。

・仕事で忙しくしていたときを思い返すと、無駄な時間を持てるのは逆に幸せなんじゃないか。

・なんでも意図的に、目的を持って行動するのはしんどい。仕事から帰って疲れてテレビを見るとかは、受け身でも充たされる。ゆとりや余裕がないと楽しめない。

・個人個人にやどる思いや意思には無駄と感じる余地はない。

2時間の対話を終えて

「無駄」のように、普段何気なく使ってしまっている言葉でも、本当にそうなのか? 何を基準にして判断しているのか? 時間がたっても同じ判断をするのか? と訊かれると、どうなんだろう? と考えてしまいます。「無駄という判断」の裏側には、社会の基準、自分の価値観、望んでいる状態など複合的に作用している基準がありそうです。

ただそれが「人生において」となった場合、例えば他者に「あなたの人生は無駄だらけ」と言われたとしても、自分がそう思わなければ無駄とは言えないはずです。「人生に無駄はあるのか?」は奥深い問いで、時間が来ても、まだまだ対話を続けたい気持ちでした。

次回開催の予定

次回は7月17日(土)10:00~12:00です。テーマは「不安」です。
詳細、お申込みはこちらから。



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大前みどり

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対話ファシリテーター、ワークショップデザイナー。考えたこと、体験したこと、学んだこと、記憶の断片の記録。