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まついなつきさん、いってらっしゃい

これまでのnoteの投稿のなかで、「つきあいづらい自分とのつきあい方」のその1とその2の記事を、結構多くの方が読んでくださっていて(私の投稿した中では、だけど)、

続編として、「その3~西洋占星術編~」を書こうとしたのだけれど、どうしてもまついなつきさんのことに触れておかないと書けないなあと思ったので、先に書きます。

なんだか少しタイミングがずれているのかもしれないけど、哀悼の意を表するのに別に正しいタイミングがあるわけでもないと思うので、表したくなった今日に書きます。

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今年に入って一番驚いたニュースのひとつが、漫画家&占い師のまついなつきさんの逝去のニュースだった。2020年1月21日、59歳で永眠された。闘病をされていたことはTwitterの投稿で存じ上げていたけれど、ご自宅での様子が元気そうだったので「まさか」という感じだった。

息子さんたちのTwitterの投稿で最初に知ったときは、ショックというより驚きが、そして悲しみというよりはぽかっと自分の一部が真っ白になってしまったような感覚がやってきた。もちろん過去のいろんなことが思い出されたけれど、哀しむところまでには、そのときは心が追いついていかなかった。ちょっと待とう、と思った。


まついさんとの出会いは、長男の妊娠中(もう20年も前)。まついさんの『笑う出産1』&『笑う出産2』という本を、当時の仕事先の先輩が私にくれたことだった。うちは母親が早くに亡くなっているので、実はこのまついさんの本が、私の初めての出産と育児の間、支えやつっかえ棒のような存在となってくれていた。

その後はまついさんの本が出るたびに購入して、うちの子どもたちより少し年上の、まついさんちの三兄弟、そらちくん、りきまるくん、しおくんの成長を、親戚のこどものように楽しみに読んでいた。

そして、まついさんが西洋占星術を学び、個人向けに鑑定を始めた2004年頃から、私はまついさんの個人鑑定を1~2年ごとに、定期的に受けるようになった。中野ブロードウェーの前、八重洲だった頃から。

最初はまついさんにみてもらうだけだったのが、そのうち自分も西洋占星術を学ぶようになった。日本の占星術の大家の松村潔さんの講座にも行って、もちろんまついさんがやっている占星術の講座やタロットの講座も、何度も受講した。お金をいただいての鑑定はやっていないけど、これまでいろんな人のチャートを見させてもらっている。

まついさんにうちの麹町の事務所に来てもらって、人を集めて講座を開催したこともあった。まついさんの個人向けの鑑定も、私が紹介しただけで少なくとも10人以上は受けに行っている。

まあ、ようするに私は一方的なファンでしかないわけなんだけれども、そしてまついさんから見たら私は、ただ単に息の長いお客さんのうちの一人なのだろうけれど、

私にとってまついさんは、慕っている先輩のような、親戚のお姉さんのような存在だった。15年間、まついさんには何でも話してきたし、そのたびに独特の、まついさんの表現に、ずいぶんと励まされ、ばしばし気づきを得て、がつがつ学びもしてきた。

まついさんと最後に話したときのことを思い出しながら、次に会いに行くときは大きな変化を終えてからいきたいなと思って先延ばしにしていたことをちょっと後悔する。あんなにぐずぐずしていた私も、こんな風に変わりましたよと報告できるといいなと思っていたから。

ここ数年のまついさんの鑑定は録音してあるので、聞き直して感傷にひたることもできるけど、それは何かのときの御守りに取っておこうと思っている。


まついさんが亡くなったことがわかった1月、今しているみたいに書くことで、哀しみの気持ちをしっかり感じ、自分なりにお別れをするということをしたかった。でも、それにブレーキをかけていたのは、まついさんが昨年12月にTwitterにこんなことをあげていたから。

そして、一方的な哀しみを書き連ねるんじゃなくて、せめてこの漫画を読んで、どういう意味だろうって考えてからにしようと思って「3月のライオン」の漫画を全巻買って読んだ。


私は、まついさんのこれまでの人生の本当の苦しみも、闘病の苦しみも、おそらくほんの少ししか(少しも)、知らないだろう。だから、かっこつけて哀悼の文章を書いたとしても、そんなのペラペラの文字記号が並んでいるだけのものにすぎない。

それでも、私がまついさんを大好きだったということは言える。
私の人生で20年以上も影響を与えてくれていた人であることや、「つき合いづらい自分とつきあう」ということのお手本であるということは、これからも変わらない。

だからお別れをするというよりも、「いってらっしゃい」と手を振って、3か月遅れの見送りをするのです。

まついさんが私に残してくれた数々の言葉を杖にして、私はもう少し歩を進めていきます。

自分が自分のやっていることをおもしろくないと思ったら大前さん終わりなんで、これはおもしろそうと思ったらどんどん首をつっこんでわしわしやっていかないと。
なんか、女子どものよくわからない激情とか感情とかみたいなものとかすごい苦手じゃないですか。理路整然と話してくれることに関してはいくらでも対応できるんだけど、何でここでいきなり叫ぶかなとか泣くかなとかにちょっと慣れとくといいよ。そこがちょっとウィークポイントなのね。わけのわからない感情的なことでおこる突発的なものが出てくるとすぐ逃げたくなっちゃうとかやめたくなっちゃう。でもやっぱりものをつくる人たちと関わるというのは、どこかそれを冷静に理解してあげるという能力が必要で、そこはもうちょっと鍛えたほうがいいね。
もともと権威とかあまり好きじゃないじゃないですか。なんか積み重ねてきた権威でもそれがきらきらしていなかったらいらんっていう人じゃないですか。それよりは何の権威もなくても、つやつやしてきらきらして価値があるほうが全然大好きだから、それは間違わないようにしたほうがいい。
月が印象をひろうじゃないですか、特にこれディセンダントにくっついているから、環境とか他者の影響をものすごい高性能のレーダーでひろうみたいな感じなんですよ。みずがめなんで自分の感情をまったく交えずに機械的にひろう。それに対して反応をものすごく速く打ち出すという感じ。

この冥王星がなければ、わりと次々行くんだけど、冥王星があるのでわりと重たい反応が来ても底支えというか持ちこたえられる。この火星と月だけだと火星よりも重たいものが来たときに持ちこたえられない。だけど冥王星がくっついてると一番重たい天体なので何きてもいいよって感じ。

そういった自分が得たものを自分の技能とか能力の水星で表に打ち出していくのは一筋縄にはいかない。たくさん得たものを整理して出さなくちゃいけないけど、それに対してはスクエアな部分があるから。

だからなんかわーっとくるじゃないですか。なんでもかんでも平等に扱うから、上下関係とかそのときの事情であるとか、その人がどんな人なのかっていうのは関係なくフラットに受け止めて、打ち返せるものは打ち返すんだけど、打ち返せないものは冥王星があるのでいったん受け止めて飲みこんでためておいて、よくわからないものに対しても飲みこんでおくっていうことに対しての耐性がすごく強いみずがめの月なのね。

で打ち返すときも、これは即答できないっていうのりなんですよ。だからすごい大量に集めては飲みこんで蓄積しておいて、家帰ったらそれどう料理しようかなって考える感じだから、そういう風にみるとどんな仕事とか見えてくるんじゃないかな。

よくわからない人には、なんのこっちゃな感じだと思うのですが、この投稿に残しておきたくて。


まついさんの3人の息子さんが、Twitterを通してまついさんの訃報をしらせてくれたことも、ひとつの象徴のような出来事でした。
私もそんな風に子供たちに見送ってもらえるよう、不器用ながらも後悔のない道を進んでいきたいと思います。



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