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お弁当が語る、人や家族の物語

先日『461個のおべんとう』という映画を観てきました。離婚して父子家庭となったお父さんが3年間毎日お弁当を作る代わりに、高校生の息子も3年間休まず学校に行くという「男の約束」を追いかけた物語です。

最初は慣れないお弁当作りも、どんどん楽しくなっていくお父さん。映画を観ていて、最初は共感を感じていたのですが、最後の日が近づいていくにしたがって、その工夫ぶりに驚嘆を感じずにはいられませんでした。

この↓過去記事にも書いたのですが、


映画の原作となった本を、長男の高校時代、毎日お弁当を作るためにとっても励みにしていました。


この本ではほとんど毎日玉子焼がお弁当に入っているのですが、私も連日だし巻き卵を作っては、その出来不出来を楽しんでいたなあと思い出します。なかなかふっくらできたときは、なんとなくその日いちにち気分がよかったりして。



私はなぜかお弁当には、こだわりというか、執着があります。いつから?、なんで?というのは自分でもよくわからないのですが、なぜかすごーく興味があって魅力を感じるのです。

日本中、世界中、お弁当の数だけ、様々なドラマがあると思っています。もっというと、単なる「ドラマ」の枠に収まりきらない深遠な世界が、お弁当には詰め込まれていると思っています。

そのあたりはまたじっくり考察するとして、今日はあるスーパーの新人研修について、紹介したいと思います。

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数年前、NHKの「サラめし」という番組で、広島のとあるスーパーマーケット運営会社の取り組みが紹介されていました。

この会社では新入社員に対して、「新人研修の期間中、毎日お弁当を自分で作ってきてください」という課題を与えているそうです。家族の力を借りるのはいいけれど、「必ず自分一人で完成させる」というのがルールです。

番組では何人かの新入社員の朝のお弁当づくりに密着していました。それまでお米を研いだことさえなかった男の子や、食事はすべて親任せだった女の子たちが、ただでさえ就職したばかりの慣れない毎日の中、自分で食材を買いにいき、レシピ本を見たり、調理法や味付けに試行錯誤したりしながら、早起きをしてお弁当を作る様子は、危なっかしいながらもとても楽しそうでした。

そして何より、研修の合間のランチタイムにみんなでお弁当を見せ合いながら食べている様子が、とても充実した時間になっているように感じられました。 お弁当づくりの過程での「あれが大変だった」「これがわかんなかった」「それどうやってやるの?」など、話が弾んでいる様子が伝わってきました。

その会社がどうしてこんな課題を始めたかというと、スーパーマーケットという「食」を扱う企業の社員として、食に対してもっと興味を持ってほしいという意図だそうです。買い物に行ったり、調理をすることを通して、消費者の目線で食材に向き合う体験をしてほしいから、と。

さらに、この取り組みの結果として、食への興味が向上しただけでなく、その子の作ったお弁当から、性格や仕事への姿勢が見えてきたそうです。

最初はまったくできなかったけれど、地道に努力して少しずつ上達する子。
上手くいかなかったことは、必ずやり直してできるようになる子。
毎回、必ず色合いや盛り付けを工夫してくる子。

研修を担当している社員は、上手い下手ではなく、「どんな風に取り組んでいるか」を観察しているそうです。そして、研修終了後はその子にあった職場への配置ができるようにと、参考にするそうです。

そう考えると、料理というのはとてもその人らしさがでるものですよね。

作るのは好きだけど、後片付けが嫌いな人。
面倒くさがりで、一点豪華主義な人。
彩りよりも実用主義な人。
手をかけることをいとわない人。
食べる人のことを念頭に置きながら心をこめる人。

すべて仕事に置き換えて、考えることができるように思います。どれがいいというわけではなく、その人らしさが活きる仕事が、それぞれあると思うのです。

自分はどんなタイプで仕事をする人なのか?
料理に取り組む自分を通して、自分の姿勢を見つめ直すことができそうです。

※後半部分は、弊社ダイナミクス・オブ・ダイアログのメールマガジンより転載しました。

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ちなみに、私は残念ながら、母に作ってもらったお弁当の記憶がありません。だからこそよけいに、いつまでもお弁当が気になるのかもしれません。子どもたちに自分の作ったお弁当の記憶を持ってほしかったのかもしれません。

これを読んでくださっているあなたには、どんなお弁当の思い出がありますか?忘れられないお弁当の味はありますか?

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