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深く読むとはどういうことか?~若松英輔さん「読むことと書くこと」イベントメモ①

今朝の散歩は、大きな太陽の光を浴びながらでした。写真にはうまく写しきれていませんが、すごくいい風景でした。

さて今日は、先日参加した若松英輔さんのオンラインイベント「読むことと書くこと」のメモを、noteに残しておこうと思います。長くなるので2~3回に分けてUPする予定です。


●深く読むとはどういうことか?

深く読むについて考えるには、まずその反対の「浅く読むとはどういうことか」を考える。浅く読むとは、書かれた言葉しか読まないこと。人が言っていることだけを聞くこと。

深く読むには、行間、余白を読む。物語であれば、主人公の言ったことだけでなく、言えなかったこと、言わなかったことを感じる。浅く読んでいるときは、今読んで、今理解している。深く読んでいるときは、今読んで、3日間くらい考えている。そこが始まりなんじゃないか。

これは何も特別なことではなく、人が対話をするときに自然にやっていること。誰かと話したことがなんとなく気になって、そのことについてずっと考えているような。

本の場合は相手が動かないので、その場で理解しがち。あたかも、生きているかのように本を読む。

今日はこれ以上読まない方がいいときというものがある。それは人と話すときと同じで、今日はここまでにしておこうということが必ずある。人と対話をするときにどうやったら深まるか。それと近いことを本とやる。

一番つまらない、やってはいけないことは、「要は、~」とまとめてしまうこと。人と大事な話をしていて「要は、~」と言われるとすごくいやになる。

要点を端的につかんで圧縮することはいいことと思われがちだが、それは深く読むこととは違う。余白を重んじていくことが、深く読むこと。

いろんなことが本質と関係している。本質をとらえるのは、要約とは違う。音楽は絶対に要約をしない。流れの中にこそ、その音楽の盛り上がりがある。絵画も部分だけを見ない。そうすると、大事なことを見失う。

フランスの哲学者、ガブリエル・マルセルは論文をたくさん書いた人だが、ものすごく音楽が好きでピアノを弾くし、戯曲もたくさん書いている。マルセルがある人にこう話したという。
「哲学は本島で、大事なものは小さな島にある」

読んでいるときも、視野に入りやすいものだけでなく、そこからあふれたものも読む。広く読むことよりも、1つのものを深く掘ることの方が大事。


●本と深く出会うためにしない方がいいことは?

頭だけで読むこと。頭だけで読んでいると、頭が得意なことに還元しちゃう。すると心で感じなくなる。頭で受け取るときは「わかった」が価値になるが、心で受け取るときは「わからない何か」が価値になる。深いところで受け取ると、「わかんないけど、何かだ」という感じがある。

この著者はこういうことを言いたいんだなと思っているときは要注意。よく「見えて」はいても、深く「感じて」はいない可能性がある。

立ち止まることをしていないときはあまり深く読めていない。わからないという謎とぶち当たることが、かけがえのない心の価値。


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