見出し画像

屋台のラーメン屋さん

実家は「外食」が多い家だった。母が文房具店をしめるのが大体いつも20時頃。私と姉は、掃除と夕食づくりを交代で担当していた。当番の掃除や夕食づくりが終わったあとは、お店をしめるのも手伝った。ガチャガチャの台を店内にしまって、外においてあるアイスのケースにカバーとチェーンをかけて南京錠をつける。その店じまいが終わってから、みんなで夕食を食べる。

月に何度か、父が「外に食べに行こう」と言って、車で出かけることも多かった。近所のファミレスは、かたっぱしから制覇した。町中華はもちろん、お寿司屋さん、お蕎麦屋さん、そして居酒屋、炉端焼きなどのお店にも、父は家族みんなを連れていった。

そんななかで、一番印象に残っているのが、屋台のラーメン屋さんだ。父はよく、屋台のラーメン屋を見つけては、家族を連れていった。今みたいにネットで調べればわかるという時代ではないので、「通りがかったときに見つける」くらいしか情報源がなかった。

あるとき、夜中に起こされて、「ラーメンを食べに行くぞ」と言われた。
たしか夜中の1時過ぎとかだ。父がたまたま見つけたという。

まだ小学校低学年の頃。とにかく眠い。だけど、ラーメンも食べたいし、何より夜中に出かけること自体が、なにか特別なことのようでワクワクした。

当時、いろんなところで外食をしていても、屋台のラーメン屋さんだけは何か特別な、一種の憧れのようなものがあった。屋台で食べるラーメンは、お店で食べるよりもおいしくて、そしてかっこいいのだ。

おそらく、今考えると普通のラーメンだったんだろうけど、なんだろう、外だからかなあ。寒いなかで食べるからかなあ。今考えてもよくわからないけど、とてもかっこいいと思っていた。

当時は夜中にやっているお店は少なかったので、屋台のラーメン屋さんは結構混んでいた。無口なおじさんが黙々とラーメンを作る手つきをみながら、無言でラーメンを食べる人たちをみながら、席があくのを待つ。

4人なので、座る席は屋台とは別のビールケースの上にベニヤをのせたテーブル。少しガタガタする、座面が緑や赤の穴あきの丸椅子に座る。

「ラーメン4つ」と不愛想なおじさんに頼んで、静かにラーメンの出来上がりを待つ。やっと出てきた醤油ラーメンを、ふーふーしながら食べる。子どもだし、猫舌だから時間がかかる。

だけど、その時間は、自分も大人の仲間入りをしているような、不思議な時間だった。

そうやって、家族みんなで、夜中に車で出かけて、屋台でラーメンを食べて帰ってくるような家で育ったので、自分が親になってからも、外食が多い家になった。

今はコロナでまったく行けていないけど、わが家も子どもが小さい頃から、近所のお店を全制覇するくらい外食に連れていった。新しいお店が出来れば、ちょっと行ってみようと出かけていった。

だからきっと、うちの子どもたちも、そんな親になるんではないかと思っているのだけれど、さて、どうだろうか。


サポートいただけたら跳ねて喜びます!そしてその分は、喜びの連鎖が続くように他のクリエイターのサポートに使わせていただきます!