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リーディング・マラソン#7

毎月実施しているリーディングマラソンも今日で7回目。
2月に1回お休みしたが、このひととときが毎月楽しみになっている。

今日は延ばし延ばしにしていたオートエスノグラフィーの本に手を出した。いろいろな質的研究法のなかで、自分にはこれが向いているのではないかという直観みたいなのがあったけれど、実際どういう分野に適用できるのかがわからなかったからだ。

今日の短い時間で全部は理解できないけれど、それでもかなり、自分が求めている物に近いという感覚は得られたので、ここでやめずに、興味関心を育てていきたい。

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リーディングマラソンのよさは、以前も書いているけれど、大きく3つある。

1)締め切りがあって他者がいる

いつも読む時間はキッチンタイマーで計っている。その時間まで読むということが明確になっている。そして、読んだ後に自分のトークを聞いてもらう時間がある。それらがあることが、限られた時間ではあるけれど集中して読むことを後押ししてくれる。これはシンプルな構造だけれど、効果的だ。
締め切りがない仕事をずるずる先延ばしにしてしまうのと似ている。
締め切りがあることとそこに他者がいること。
毎日がそればかりだと息苦しいが、一方で充実感をもたらしてくれるのもその2つなのかもしれない。

2)自分の動機や目的や欲求の輪郭が鮮明になる

たくさんの積読本のなからら、「今日はこの本を読もう」と手にとるとき、何かしら理由はあるけれど、動機が定かではなかったり、あいまいだったり、あやふやだったりする。リーディングマラソンのなかで本を読み始めることで、そうか自分はこういうことを知りたかったんだ、求めていたんだ、と後付けで自覚することになる。そして、自分の動機の輪郭がより鮮明になることで、よりその本に対しての興味も深まっていく。

3)他の人のまったく違うセレクション、それを手に取った動機、そして、読書体験の語りを聴くのがおもしろい

読む時間が終わったあとの共有の時間では、簡単に本の内容の話もするが、それよりも、その人が今どういう時間を過ごしたのか、そのライブ感というのか、そこの話を聞くことにおもしろさがある。どんなことがその人をしてその本を手にとらせたのか。その本と過ごす時間はどんなだったのか。目の前で物語が編まれていくようなそんな感覚になる。

リーディングマラソンでは、みんな全然違う関心から、全然違う本を思い思いに読んでいる。そういう違いだらけだけれども、時を同じくして集って読むという体験を重ねることで、その場に、撚りあうように文脈が出来て行くプロセスがある。シンクロが起こることもあって、その生成的な動的なプロセスがまた、リーディングマラソンのおもしろさの1つになっていると思う。


これ、本当に貴重な時間だなと思って、過去に投稿していなかった#2~#6開催分をまとめてアップした。

#3 写真をとっていなかったので、どの本を読んだかまったく記憶がないため、残念ながら記録なし。

振り返ってみると、驚くほど読み通せていない(泣)

でも、頭からお尻まで読み通すことが読書ではなく、本と出会い、対話しながら、自分の生活がより充実していくことが自分にとっての本を読む意味だとすれば、リーディング・マラソンの時間はとてもよい形で私に影響を与えてくれているように思う。


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