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「何者」でもない私とは、誰なのか?

年末に参加した西村佳哲さんのインタビューワークショップについて、何度か記事に書いていますが、これ、けっこうおもしろい状態からスタートしたんです。

ほぼ全員が初めて会う人同士で過ごす5泊6日の合宿の間、しかるべき時が来るまで「自己紹介(特に職業について)」をしないでほしいと。

普通、人は、まず職業とか所属を名乗るところから知り合います。
名刺交換がいい例です。
ビジネスの場でなくても、初めて会う人とは「何をしている人か」を最初に交換することが多いですよね。

当社の主催する場でも、最初のチェックイン(自己紹介のようなもの)のとき、別に仕事を言ってくださいとお願いしていなくても、皆さん自然に自己紹介で職業を言われる方が多いです。そういうものだと身体に染みついているのか、もしくは、そうした方がいろいろ背景を理解してもらいやすくなると思われている方が多いのかもしれません。

だけど、同時にそれは、そのフィルターをかけてお互いを観てしまうということにもつながります。

「医者をしています」
「弁護士をしています」
と言われたら、その人のことをどう見るか?

「看護師をしています」
「保育士をしています」
と言われたら?

これは単純な例かもしれませんが、人によって差異はあるにしても、やっぱりある種の先入観を持ってしまうはず。

だから、年末のワークショップでは、インタビューを組んで話す必要があるときまで、お互いに仕事の話をしないでほしいという主旨の説明がありました。

でも。
10人の参加者とは、1日3食一緒にご飯を食べ、同性同士で温泉も一緒に入ります。部屋は5人部屋です。そうやってずーっと一緒に過ごすわけです。

だから最初のうち、何かを話してて仕事のことをぽろっと言いそうになる度に「あっ」となって、仕事を絡めないで会話をするって、意外と難しいんだなと実感しました。

フリーで仕事をしていると、「生きること=仕事」というか、遊ぶことも、休むことも、働くことも、学ぶことも、区切りがなくて、全部つながっていてシームレスになるから、仕事を絡めないと逆に、自分を言い表すことができないのです。

仕事をからめないとしたら、そういう「何者でもない私とはどんな存在なのか?」と、大げさですがちょっとずつ自己像がゆらいできました。

会社に勤めている方はどうでしょうか?
もっとそう思うのか?
逆にワークとライフに線が引けて、企業人でないただの「私」になりやすいのか?

そこはわかりませんが、いずれにしても、私は最初のうちはとてもやりにくさを感じながら過ごしていました。自分が考えることが全部仕事に結びついているような気がして、言葉を選ばないととても話しにくかったからです。

でも、不思議なことに時間が経つにつれて、すごく「居心地がよく」なってきたのです。

なんだか、まあ、ただ、何も考えずに、ただの自分(という概念からも解放され)で、ただ目の前の人と、そのときを過ごせばいいのだ、と思えてきて、6日間の間、とにかくその場にいる人たちと、ケラケラ笑いながら、おいしい食事を味わい、雪や景色に感動し、あれこれ考えをぶつけあい、そしてインタビューの時間には、深くお互いに聴き合うという体験をしたわけです。

そんな状態で自分がいるなんて状況は、考えてみても、ほぼない。
例えば家族の中でだって、母親という役割があるし、仕事と関係ない子どもの学校のPTAだって、保護者として参加しています。あえて肩書きをつけようとすればつけられる存在としてそこにいる。
もしかしたら深い付き合いの親友だと何者でもないという感じなのかもしれませんが、大人になるほどそういう関係って減っていく。

でも、不思議なことに「何者でもなく」「肩書きのない」自分のほうが、今たしかにここにいるという実感を感じられたのです。

※ちなみに、ワークショップも終盤になると、それぞれの仕事を知るようになってくるわけですが、それは後からの付加情報というか、最初にその人そのものに出会っているので、フィルターにはなりませんでした。

これはとても新しい発見でした。

振り返ってみると、人生の大部分の時間を、おそらく無意識に何者かになろうとしてきました。(おそらく)外側の価値観に自分を合わせようと、自分をドライブしてきました。

一番典型的なのが、進路を決めるときですよね。
そして、独立をしたときも、肩書きをいくつも考えて、スタンプラリーのように研修を受けまくったり、資格を取ろうとしてあれこれ手を出しまくったり。

いつも「どうなるか」を考え、そのために「どうやるか」を考えて。
「どうあるか」を置き去りにして、大半の時間を過ごしていたように思います。

年末のワークショップでの「居心地のよさ」という生きた体験は、ものすごく私の「仕事」に影響を与えてくれました。

それこそ自分の仕事は、何者でもない目の前の人の存在を、尊重することに意味があるからです。

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この絵は、2年前に「脳の右側で描け」のワークショップで描いた自画像です。私は絵がものすごくへたくそですが、これは我ながら結構似ていると思います。先生には「あ~、線を描いちゃったのね~」とダメだしされましたが、、、泣

追記:
noteのプロフィールも、今のところなんかないとと思って会社名を書いてますが、今結構まじめに考えているところです。もう少し熟成させようと思います。

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