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箱庭をつくりたいんです

今一番したいこと。それは箱庭づくりだ。庭づくりじゃなく、心理療法の箱庭。手が砂を触りたがっている。手が無心で自分の世界をつくることを求めている。

箱庭療法とは、1929年にロンドンのマーガレット・ローエンフェルトによって開発された“The World Technique"がその源流だ。元々は言語表現が不十分な子供向けに、その内的世界を表現するために使われていた。

その後、ユング心理学者のカルフが大人向けにも効果のあることを確信し、大人の心理療法にも発展させた。それを日本に紹介したのが河合隼雄先生だ。もともと日本では「盆石」や「箱庭」という盆や箱の中に風景を創作するものが室町や江戸の頃から行われていた。「この技法は日本人向きだ」と直観的に感じという。

昨年の夏、箱庭体験講座に参加した。3回目。
自分の変化を見るためもあって、数年ごとに参加している。

そのときつくった箱庭はこちら。

箱庭の砂にはいくつか種類がある。乾いた砂浜の砂のようなサラサラした「白砂」、 少し湿ったように感じる「潤砂」。前回私は、「サハラ砂漠」の色と言われる、赤みを帯びた砂の台を選んだ。

参加者は16名。4台の箱庭に4人ずつが振り分けられていた。
持ち時間は、20分で作成+10分で振り返りという一人30分間。それを4人まわすという、けっこうタイトな時間割で、じゃんけんの結果、私は一番目に作ることになった。

始まった瞬間に、いろいろなミニチュアフィギアが並んでいるところに行き(写真NGと言われたのでリンク先をチラッとどうぞ)、使いたい!と直感で思うものをいくつも手にとって、自分のテーブルに戻る。

そして砂を触りながらどうしようかなーと思う。砂を触っていると、自然とこれをここにおきたい、ここを山にしたいというような、「したい」が湧き上がってくる。そのときにはもうすっかり目の前の四角い枠の世界に没頭している。

その日の先生によると、箱庭は、子どもにとっての意味と、大人にとっての意味が異なるそうだ。

子どもにとっては、箱庭をつくることは、何を置くか、どこに置くかを、自分で選ぶということだ。選ぶことを重ねる体験となる。そこには、昨今の過保護な親たちのような、先回りして指示を出す存在はいない。

自分で選ぶことを重ねていくことで、自分を取り戻し、自分の意思で何かに向かっていくという、土台を整えることができるのだそうだ。

大人はもう、「単純に癒しになればいい!エネルギーが動くことが重要!」とおっしゃっていた。箱庭の位置づけをそんな風に割り切っているそうだ。


私がつくった箱庭のふりかえりのときに、先生は開口一番、「これ、すごく気に入ってるでしょ?」と波のようなオブジェを指さして言った。

「はい、この教室に入った瞬間にこれが目に飛び込んできて、これは絶対に使おうと思ってました!」と私がうれしくなって答えていたら、

参加者の一人から「これは波ですか?」という質問があった。すると、すかさず先生が、

「いや、波としては使ってないでしょ。象徴として使ってるのよ」と言ってくれたことに、私は少し安心して、

「立ち上がってくるものの象徴として使っています」と答えた。

それからも、
「孔雀をおいたのね」、「この橋は、きっとこの橋がよかったのね」

「からす、ふくろう、これは大物ね。すごいわね」

と、先生から意味のあるようなないようなコメントをもらって、置いた私としては、なんだかよくわからないながらも、なんとも満足をした


箱庭では通常、置いたものがどういったことを表しているのかというアセスメントのようなことは行わない(行う流派もあるそうだが)。ただ、できあがった作品を味わう。

つくっているあいだ、どんな内面の動きがあったか。できあがったものを見てどんなことを感じるか。それが大事なのだ。

このときは、つくった時間と振り返りの時間あわせて30分という短い時間だったけど、この小さな世界を自分の手でつくることは、ものすごく広く深い世界に旅に出るようなものだった。時間の質がバチっと変わった。

自分の番が終わった後は、私は先生の動きを観察するため(これはファシリテーターとしての職業病)、先生の後ろを金魚のふんのようについてまわった。

「これを置いたのね」
「これは大きいわね~」
「これ、好きでしょ」

先生がそんな短いコメントを投げかけるだけで、つくった人たちは笑顔になったり、そこに置くに至った内的プロセスを嬉々として語り始めたりする。これもおもしろい時間だった。

自分が見返しやすいように、過去2回の箱庭の写真も乗せておきます。

☆2回目

最初に真ん中に川をつくり、その後左上の山。左奥に観音様と花を配置。その後、緑のものを置いていって、川を渡ろうとしている「亀」や「カエル」を置く。右下は平和な雰囲気を出すために羊をおき、生活に必要な水をあらわすために井戸を置く。ここらへんは村上春樹ワールド笑

右側にある黒い動物やカラスたちは、現実世界における哀しみや怒り、愚かさ、狡猾さなどの「シャドウ」のつもりで置いていて、そういったものが神聖な山に向かっていこうとしている。そういった夢を見ているという設定で下側にベッドを置き、自分が寝ている。

☆1回目

このときは震災のあった年で、エネルギーがすごく少なかったというか、あんまり置きたくないという気持ちが強かった。なんか上のもりもりなのと比べると、元気ない感じしますもんね。

エネルギーがないときは、やっぱりたくさんは置けないのだそうです。
あと大きい物も選べないそう。


でも、毎回、深く考えずになんとなく置いているわりには、置く位置とか、選ぶものというのは、そんなに変わっていないような気もしていて、カメは毎回登場するし、カラスとフクロウも頻出。左上にはマリア様か観音様が安定のポジション。きっとそれらは私の心の中のモチーフなんでしょう。

3月からひきこもりに近い状況で過ごしてきて、毎朝のお参り、モーニングページ、note投稿を習慣的に継続することで、生活のリズムはとれていたと思ってたけど、さすがに心が異変を感じているのだろう。

今、とっても箱庭をつくりたい。

かといって、メンタルクリニックに「箱庭つくりたいんです」と訪れるのも違う気がする。

正式なものを買うと100万以上するし、ミニチュアでも数万。手が届かない。

近くの公園の砂場の砂を触るのもこわい。

サラサラの塩を何かの箱に入れてやってみると、少し白砂と感触が似てるかな?そこにレゴとフィギアを置いて遊ぶとか?
うーん。

大量にあるタロットやDixitのカードを使って、オリジナルのカード療法を開発するとか?
うーん。

ダイソーでこむぎねんどや紙粘土買ってきて粘土で手を癒すとか?
うーん。

編み物、手芸、刺繍?
めんどくさい。

絵はない。
下手なので、描くと余計ストレスになる笑


ひとまず今一番できそうなのは、やっぱりコラージュだな。

前はワークショップ開催するときによくコラージュをやっていたので、 ナショナルジオグラフィックやら、いろんな雑誌やらを大量に保存していたのだけど、引っ越しで全部捨てちゃったのがもったいなかった。だけどハサミとノリはまだ売るほどある。

最近散歩中に撮った写真を印刷すると、いい感じで使えるかもしれない。いつもトップの画像を使わせてもらっているPixabayの写真を印刷して使ってもいいかもしれない。雑誌はまったく買ってないけど、コラージュ用に買ってくるか。


振り返ってみると、2か月以上の外出自粛生活で、1番最初にロスを感じたのが、いつも行っていたお寿司屋さんに行かなくなったこと。そして2番目が箱庭だとは意外だ。

そんなロスとつきあいながらものうのうと過ごしてきたけれど、そろそろ会社でも個人でも、あれこれの申請をしないと、、、と、お金の心配が頭をもたげてくるのであった。

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