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書いて読む、書いて読む

久しぶりにライティング・マラソンを実施しました。有さんとKさんと3人で。前回が11月だったので8か月ぶりです。

ライティング・マラソンというのは一定時間ごとに「書く・朗読する・朗読を聴く」を繰り返しながら、自分の中の本当に書きたいことに近づいていくという試みです。詳しくはこちらに。

今日の、10分+20分+30分の合計60分で書いた文章を貼っておきます。不完全だけれど、その不完全さが、今日の自分らしくもあり。といいつつ、「自分らしさ」ってなんでしょうかねえ。

10分 テーマ「動き」

久しぶりのライティングマラソンだ。どれくらい久しぶりかというと、たぶん11月以来。8カ月ぶりだ。「久しぶり」という言葉を何気なく使ったけれど、久しぶりと久しぶりでないという境はどこにあるんだろう。自分はどこに境を置いているんだろうか。例えばライティングマラソンの場合、月に1回という頻度だった。それが2か月ぶりだと久しぶりとは言わない。1か月あいたねになる。3か月ぶりだと、ちょっと久しぶりになる。4か月ぶりだと、久しぶりになるかな。そう考えると、3~4か月というのは季節が変わるごとく、人も変化しているとも言えるのではないか。

動こうと思えば動けるのに縛られた状態でいることをよしとしている、言い換えれば、自分で自分を縛っているという女性のカードが出た。自分もそういう「縛られた状態をよしとしている」ことがある。

今の病気がそうだ。今は治療中だから仕事のことはとりあえず考えないようにしようと目隠しをしている。かといって、生活習慣の改善をしっかりやろうとしているかというと、逆に怠惰になっているような気もする。ずるずるとラクな方へ逃げているような。それでいいのかな。目隠しをとって、自分を縛っている縄をバチっとちぎって、自分の足で歩き出すべきじゃないか。

でもどこへ。どっちへ。

20分 テーマ「選択、バランス」

留まるか。踏み出すか。

自分が今の状態に留まり続けたらどうなるか。
おそらくこのままいくと、言い訳の城を築きあげ、自分しか国民のいない国の国王(女王)になるだろう。誰からも邪魔されないけれど、ずっと1人という。

踏み出すとしたらどうか。勢いだけで踏み出せるほど若くないし、おそらく持ち時間も少ない。途中で尽き果てるにしても、どこで尽き果てたいのか。ぐるぐるぐるぐるそんな質問を自分に繰り返し問うている。ぐるぐるするということは、何かを見ずに避けている可能性があるのではないか。

考え始めると手が止まる。違うことを書けばよかったと思っている。でもしょうがない。書くことを続けよう。それで考えよう。

ほとんど振り返ることをせずにここまできた。届かない星を見てずっと歩いてきたような感じだ。道中、どうだったんだろうか。山を超え谷を越えしてきたんじゃないだろうか。そのなかの、自分が否定し、黙殺しようとしているすべての記憶のなかに、これから進む道のヒントがあるんじゃないか。そろそろちゃんと見て、向き合って、受け入れようよということなんじゃないか。

30分 テーマ「慎重」

「仕事に迫られることなく、純粋に何かを学ぶことを許される存在」というカードの説明に反応した。自分がやりたいのはそれなんだよなあと。それができなかったことが、悔いになって残っている。学生のときは仕事(といってもアルバイト)のことばかり考えていた。純粋に何かを学ぶことを許されているはずの高校、大学と、学ぶことに興味を持てずに過ごしてしまった。まあ、今そんなことを言ってもしょうがないし、案外今は、治療中という大義名分があるから「純粋に何かを学ぶことを許される存在」なのかもしれない。

「慎重」という言葉はどうか。心のなかでどんな反応が起こるか。自分は慎重さに欠けると思う。あとから、もう少しよく見るなり聞くなり考えるなりすればよかったと思うことは多い。というか毎日のようにそう思う。ストレングスファインダーの34の資質を並べたときに、かなり下位の方に慎重さがあった気がする。

今は、でも、めずらしく慎重になっているのかもしれない。さっき書いたように、勢いだけで踏み出せるほど若くないし、おそらく持ち時間も少ない。これまでしてきた失敗を繰り返したくないし、そんな時間はないと強烈に思っているから、先のことを考えようとするとぐるぐるしてしまうんじゃないか。

自分のことを短絡的だと思っている。できれば直したいと思ってきた欠点だ。慎重さの方に振り切れると、バランスが整っていくのかもしれない。

ふと、MBTIの研修で講師が言っていたことを思い出した。

「自分が何の価値もないと思っていることを、人生で一番大切だと思っている人がいることを理解してください」

この一言は、私の心臓にズサッと刺さって抜けない剣のような言葉だった。

ユングのタイプ論の考え方では、人生の前半はもともとの「心の利き手」のタイプに光があたっているので、反対のタイプは自分の「影」になっている。だけど人生の後半は、意識して違うタイプの心の使いかたをしていくことで、全体性に向かっていく。それを「個性化」や「自己実現」という。

自分の残り時間をどう生きるか考えたとき、自分が最も苦手としてきた人が逆に、人間として統合されるためのヒントを教えてくれているのだととらえると、これからやりたいことがよりはっきりしてくるのではないか。

どうかな。どうなんだろう。

***

有さんの文章もUPされてました。

これ、実際は有さんが朗読する声で聴いていたのですが、ありありと光景が浮かんできました。文字で読むのとは別の楽しさでした。


次回は8月21日(土)14:00~の予定です。体験してみたいという方がいらっしゃいましたら、コメントや「クリエイターへのお問い合わせ」でご連絡ください。


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