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乳がん治療の記録③:入院6日目から15日目(退院)まで

2020年11月に乳がんステージⅢaと診断され、12月に部分切除と腋窩リンパ節郭清の手術を受けました。その入院中の記録です。

当時は病名を伏せたまま入院の様子をnoteにアップしていたので、そのときには書いていない部分を載せます。

前回の投稿はこちら。


12/20 静かな日曜日

5:55頃、自然に目が覚めて起きる。Kindleや映画で新しいものをDLしようと、ポケットWifiをつないで検索する。

奥さんが乳がんになったというフリーライターの方の『娘はまだ6歳、妻が乳がんになった』という本をUnlimitedでDLして読む。家族は第二の患者と言われるくらいだから、配偶者の心配や苦労、負担も相当なものだろう。そういう同じ立場の方向けとしてはいいのかもしれないが、当事者からすると、ところどころつっこみどころがあった。奥さんの声がもっと出てくるとよかったのだが。

朝食を食べて若松英輔さんの音声セミナーを聞いていたら、S教授がふらーっと現れた。「ちょっと排出液見せてー」とドレーンの排出液の量を確認して「順調に減ってるじゃない。あとはどうですか?」と聞かれた。

「左の胸から脇、背中にかけて、自分では腫れていると思うんですけど、看護師さんたちには腫れてないですよと言われて」というと、

「(なんとか)神経を取っていますからね。どうしてもピリピリするのが何ヶ月かは出ますが、自然になくなりますから」

「腕にもピリピリっと電気が走るみたいになるんです」

「それもなくなりますよ」

にこやかにはっきりと言い切ってくれたので少し安心した。

先生は時間に余裕があるのか、そのあともいろんな話をしてくれた。(ちょっとここには書けないが)大学病院の実態についていろいろ話したあと、

「だから、がんっていうのは、1人の医者がずっと責任持ってみないと」と言っていて、「ああ、そういう思いを持って乳腺外科医をされているんだな」と、なんか言葉以上のものが伝わってきた。

私もこれから主治医の先生と、長い付き合いになるだろう。もしかしたらあっけなく再発して死んでしまうかもしれないが、それにしたって、信頼できる医療者と治療に取り組んでいくことが何より大事だ。


今日は日曜だけにとにかく静かな日で、カーテンで囲まれたベッドに一人、ときおりやってくる看護師さんと短い言葉を交わす以外は、この空間だけがぽっかりと取り残されたような錯覚に包まれる。

夜、主治医の先生がふらっとやってくる。たぶんお休みなのに様子を見に来てくれたのだろう。こうして短い時間でも話す回数が重なることで、信頼関係が築かれていくのだろう。


12/21 もうちゃんとしなくていい

今日は西田幾多郎の本を読み、マインドフルネスの本を読み、『ボヘミアンラプソディ』を見て、『がんを告知されたら読む本』の続きを読み終わって、ちょっとずつあちこちに手を出すような時間の使い方をした。

ちょこちょこ食事や検温やシャワーや清浄や洗髪などが入るからしょうがない。体力を回復して、予後をよくすることが今一番大切なことだ。

入院中は書くことを全然していない。モーニングページも、がんの告知を受けてからは書いていない。

自分の本当の声をまだ聞く余裕がない。人がいるところで泣きたくないし、泣いているところを中断されるのもいやだ。準備ができたら、深くしっかりと、自分のなかにある恐れや不安やその他のいろいろを、しっかり言葉にしながら自分で受けとめていこうと思う。

もうちゃんとしなくていい。
もうできなくていい。
もう生きているだけでいい。
ほがらかにその日を過ごせればそれでいい。

退院してからやりたいことは、家を片付けること、綺麗にすること、毎日料理をつくること、毎日歩くこと、体温をあげること。それくらいだ。


12/24 ドレーンが外れる

手術してから8日目、朝の回診でやっとドレーンが外れた!すごく長かったし、ドレーンを止めていたテープの部分が痒かったから、ほんとうによかった。ドレーンを肌に縫い止めている糸を切るときにちょっとつれる感じがあったけれど、抜くときはあっという間に終わっていた。

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※手術でリンパ節を切除したので、リンパ液などの排出をするために、ドレーンという管が胸の横から体内に入って皮膚に縫い付けられていて、その排出された液の入れ物を、首からぶら下げて生活していた。


それにしても脇の下や二の腕の違和感がすごい。アルファベットの「C」の形をした鉄が、脇の下から胸にガチッとはめられているみたいだ。鉄板が入っているみたいと本に書いてあったけどまさにその通りで、バキバキに硬くなっている感覚がする。脇とか背中に筋肉がつているマッチョな人みたいな気分。

ドレーンが抜けたらもう退院だ!みたいな気持ちでいたけれど、先生によると、まだ液が滲み出てくるから少なくとも土日はいたほうがいいとのこと。月曜に退院となりそうだ。今日は木曜日、あと4日、リハビリをしつつ、暇な時間を過ごしていくことになる。


12/25 これからのこと

朝の回診のあと、主治医の先生がきて、今後のスケジュールについて話をした。
年明けに外来診察で、手術跡の確認をすること。
15日に病理診断の結果と今後の抗がん剤治療の詳細についての説明をすること。
抗がん剤治療は1泊2日の入院が好ましいこと。
抗がん剤治療のあとに、白血球が下がるのを予防する注射をする必要があり、入院しない場合は2~3日後に外来でその注射を受けに行く必要があること。
抗がん剤治療と放射線治療が終わったあとは、6ヶ月ごとに画像診断をすること。次は6月、そこでもし転移が見つかったりすれば、精神的にダメージが大きそうだ。

そうやって今後のことをいろいろ話していたら、少し見通しができてきた。どうなるかわからないより、やることがわかっているほうが(それが未知の経験であったとしても)安心する。

その話の流れで、「もし再発をして、手の施しようがないような状態になったとき、家の近くの病院に変わることはできますか?」と訊いていた。

それに対して先生は、

「そうならないように私が見ていますので、そういうことを考えるのは今はまだ時期尚早です」

と言ってくれた。
思わず泣き出しそうになったが、目をそらしてこらえた。

入院中、泣かないように気をそらしている。泣いている患者だと思われたくない。退院したら思い切り泣こう。泣く理由なんてなんでもいい。

『がんになって止めたこと、やったこと』を読み終わった。一般の方の体験談。やはり食事と睡眠が大事だ。『人生でほんとうに大切なこと』も読み終わった。精神腫瘍医という医師がいるのだな。こういうカウンセリングを私も受けたい。

がんは巨大な市場なので、たくさんの本が出ている。どういう本を選ぶかは迷うところだが、鵜呑みにせず大切なことを地道にやっていこう。


12/28 やっと退院

朝はそうそうに荷物をまとめて、退院をいまかいまかと待つ。同室のおばあちゃんは、帰っても1人だから、何かあったときのために病院で年を越す方が安心だと言っていた。私は耐えられない。せめて箱根駅伝は家でまったりしながら見たい。

看護師さんは入院のときや手術のあとは丁寧に接してくれたが、退院となるとだいぶドライな印象だ。だんなさんが持ってきてくれたお礼のお菓子をナースステーションに持っていったときも、みんな忙しそうにしていてちょっとつれなかった。

でも病院はリピーターを迎える場所じゃない。なるべく元気になってもらって送り返す場所だから、それくらいでいいのかもしれない。入院時や手術前後は不安だからもちろんそこに寄り添ってくれるけれど、回復したらそんなホテルのようなサービスは必要ないわけで。

退院したらお寿司が食べたかったので、いつもいく地元のお寿司屋さんに行くことに。久々に家族そろって、みんなで海鮮丼を食べた。その後スーパーで買い物をして帰る。

退院の荷物とスーパーの荷物を駐車場から歩いて運ぶ後ろ姿を見て、頼れる男性が3人もいることを、心強く思った。


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