哲学対話「楽しさ」の開催レポート
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哲学対話「楽しさ」の開催レポート

毎月第4土曜日にオンライン哲学対話を実施しています。5月22日(土)に開催した際の様子をレポートします。

哲学対話の概要

哲学対話とは「普段はあらためて考えない疑問」、「すぐには答えが見つからなそうな疑問」について、みんなで語りあって思考を深めていく場です。一人ひとりが自分の経験や考えを、自分のことばで表現することを大切にします。それをお互いに聴き、問いかけ合いながらともに考える場です。

哲学対話は、近年いろいろな所で行われています。当日集まった参加者から出してもらう「問い」について対話をする場合もあれば、主催者が事前にテーマや問いを決めて実施する場合もあります。我々の場合は大きなテーマだけを事前に決めておき、当日そのテーマに関連して「問い」を出し合って、選ばれた問いで対話をスタートするというやり方で行っています。

これまでのテーマはそれぞれ「対話」、「時間」、「夢」、「言葉」、「弱さ」、「笑い」、「つながり」、「学ぶ」、「遊び」、「信じる」、「読む」、「書く」、「聴く」など。14回目となる今回のテーマは「楽しさ」で、海外からご参加の方も含め、参加者は11名でした。



問いだし

冒頭に哲学対話の進め方とルールをお伝えし、各自テーマに関連した問いを出してもらいました。当日出された問いは以下のようなもの。

1. 一日のうちで、楽しさを感じるときは、どんな時ですか?
2. あなたにとって、楽しさは、必要ですか?
3. 楽しさは共有できますか?
4.「楽しさ」は色に例えると何色だろうか?
5. 楽しさとは何ですか?
6. お互いが楽しく対話できるとは何か。
7. 仕事での楽しさと趣味などでの楽しさは違いますか?
8. 楽しさとは楽しいと違うのか?なぜ楽しさなのか?
9. 楽しさを感じるときと感じないときの違いは何ですか?
10. 苦しいけど楽しいと感じる条件は何か
11. なぜ楽しさを考える必要があるのか?
12. 楽しさを伝える必要はあるか


問いを出し合ったあと、1つずつ順番に、どうしてその問いで考えてみたいと思ったか、「問いの背景」についてコメントをしていただきました。

同じテーマでも、人によって様々な捉え方があるということが、この問いだしの時点で見えてきます。そうか、そんな風にとらえているんだな、自分はどうだろうか、などと、この時点ですでに哲学対話は始まっています。

また、背景を共有した上で、同じことを問うているものについては合体し、その後投票をしてもらいました。その結果、9.「楽しさを感じるときと感じないときの違いは何ですか?」が選ばれ、その問いから対話をスタートしました。

当日の対話の流れ(発言の一部)

・仕事でよく「楽しくやろうよ」という人がいる。その人は「和気あいあい」というように、ギスギスしないようなごやかにやろうという意味で言っているように聞こえるが、ぶつかりあいながら仕事することを楽しいと思う人もいる。人によって「楽しい」が違うんじゃないか?みなさんそれぞれの「楽しさ」ってどんなことなのか?

・バイオリンをやっていて、経験を経るにしたがって楽しさが変わってくる。苦しい練習をたくさんするけれど、自分が上達していることを実感できると楽しい。そう考えると、仕事でもぶつかり合いがあっても楽しくできるんだろうと思う。

・仲間と話をしていて、会おうと決まった瞬間が楽しい。実際に会っているときより、それまでの時間の方がわくわくして楽しい。

・目標に進んで達成することが楽しいのか、和気あいあいとなごやかなのが楽しいのかでいうと、どっちなんだろう?

・そもそも、仕事において仲良く楽しくということに不満がある人がいると、みんなで楽しくというのはなくなる。

・「楽しくやろうよ」という人は、争いなくという意味で言っている気がする。そもそも人間の発達に関していえば、摩擦が大切。そうでないと人は成長できない。衝突を統合して上の段階へ行くのが人間の成長。

・言い争いを避けたいことを狙いとして「楽しくやろうよ」と言う人は、和気あいあいと過ごすという目標を持っているんじゃないか?

・楽しいっていうのは、そのときではなくて、後で楽しいって思うこともある。楽しいとおもしろいはどう違う?継続したいものが楽しいもの?

・楽しさ=続けたいこと?

・最初は楽しくても、それがずっと続くと日常になるから、楽しくなくなるんだろうか?

・同じことをやっていても楽しいときと楽しくないときがあるんじゃないか。

・楽しさが継続しないとしたら、だからこそ人間は楽しさを追求し続けるものなのか?

・ギャンブルなど依存的、快楽的な楽しさと、目標を追いかける楽しさがある。

・楽しさを追求するってどういうこと?

・その感覚、感情を何度も味わいたい、得ようとするというのが楽しさの追求じゃないか?

・楽しさは日常的なレベルで、本を読むのが楽しいとか、部屋の片づけが楽しいとか、継続して毎日やっていること。レベル感として心地よいに近いかもしれない。

・繰り返して熟練すると楽しくなくなることがあるとしたら、日常における楽しさというのはアップグレードされていくもの?それとも繰り返しの中に楽しさを見出すということ?

・毎日条件が同じことはないから、楽しさがすり減りにくいんじゃないか。

・日常の楽しさと言われていることは、私にとっては楽しさではなく、小さな幸せに近い。

・好きな音楽を繰り返し聞いていると楽しいのはなぜなのか?

・同じ音楽を聞いても、聞いた人のなかにアップデートがあるんじゃないか?

・新しい発見もあるけど、自分のイメージしているすばらしい音楽をもう1回聞くという追体験な感じだと思う。

・楽しさには受け身の楽しさもあるけれど、「自分でやっている感」「自分で作っている感」「コントロールできている感」が重要なんじゃないか。

・幸せと楽しさと喜びはどう違うのか?



2時間の対話を終えて

「楽しさ」に限らず、抽象的なテーマについて話そうとするとき、定義から入っていこうとする方と、個別の体験から入っていこうとする方がいます。そうすると、話がかみ合わないように見えることがありますが、実は演繹的か帰納的かというアプローチや、普段の考え方の傾向(クセ)の差であったりします。

こういう場合、どちらが正しいとかどちらが良いというのではなく、どうしてそう思うのかをお互いに聞き合うことで「自分はどうしてそう思うのだろう?」という、自分自身の前提を疑うこと、問うことができます。それが哲学対話の1つの意義だったりします。

また、参加していて話の道筋が見えず、あっちにいったりこっちにいったりと感じられる方がいるかもしれません。

それについても、「問い」を入口として、様々な切り口・視点から、「楽しさ」の部分や側面を話していることになるので、始まる前はなんとなくの「楽しさ」だったものが、もっと具体的な、個々人の体験や考えに基づいた豊かな「楽しさ」に変わっていきます。それと共に、さらにわからないこと、さらに考えたいことも出てきます。

今回も、参加されている方がそれぞれの体験や考えを共有してくださり、「楽しさ」について「広げる」対話ができたように思います。哲学対話の場の中には、共通理解、共通解を求める場もありますが、私たちの場では、テーマに関してより多くの視点を持つこと、他者との違いを知ること、違いの中から何らかの気づきを得ること、を大切にしています。

もしかしたら、日頃短い時間で終わらせる無駄のない会議に慣れている方や、哲学対話に初めて参加する方にとっては、とても「無駄」の多い対話に思えるかもしれません。ですが哲学対話は、「違いに触れる」という体験です。そんな「違い」の中にこそ、自分の思い込みに気づくヒントがあるのかもしれません。



次回開催の予定

次回は6月19日(土)10:00~12:00の予定です。テーマは「無駄」です。募集ページは現在準備中です。こちらのページでご案内します。


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大前みどり

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対話ファシリテーター、ワークショップデザイナー。考えたこと、体験したこと、学んだこと、記憶の断片の記録。