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ショーペンハウエルの『読書について』について

つい1週間くらい前に机の上をかたづけたはずなのに、ふと気づいたら本が机の上に積み上がっていた。「今のうちにあの本を読んでおこう」、「あ、あれも!」「そういえば、あの本も関係しているかも」と、本棚から引っ張り出して、すぐ読むつもりで置いた本がかれこれ25冊。論文でも書くんですか?という感じ(論文書いてたときはまさにこんな感じだったけど)。

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いまだに自分の本の読み方は、ふらふらしている。どうしても「うまく読めない」感じがぬぐえない。たとえ本を読んでも、知識を得たつもりになっただけで、その後「読んだという記憶」だけが残る感じ。もはや「ちゃんと読めなくてすみません」という罪悪感に近い。

かといって、必要なところだけを拾い読みするというところまで、割り切れない。もちろん、「なんて本だ」と途中でやめる本はあるし、必要なときだけ参照する本もたくさんある。

でもやっぱり、文字を追いながら、その流れというか、文脈を、身体に入れていきたい。今のところ、本の読み方について、主張もこだわりも、習慣もないけれど、良い本に出会ったときは、それを身体に刻みつけたいなーとは、強く思っている。

そんなことを考えながら、そういえば昔、、、と、「本の読み方についての本」を何冊も読んていたときのブログメモを振り返ってみた。

まずはこちらから。

ショーペンハウエルは1788年~1860年のドイツの哲学者で、カントの後継者を自認しており、同時代に人気を博していた弁証法のヘーゲルを批判。その悲観的な〝厭世哲学〟はのちにニーチェに大きな影響を与えたという。

この本では、読書をするだけで自ら思索を深めない人々を「習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなもの」と言って痛烈に批判している。

読書は、他人にものを考えてもらうことである。
熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。
絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。

私はまさにこれ。多くの本を読んだわりに、「精神の中に根をおろすことなく」多くを失っている自負がある(いばることじゃないけど)。

いつも、本を読むときは、気になったところに赤線を引いて、そのページの下側の角をおる。Kindle本でもハイライトをしていく。いろいろな読み方を試したけれど、結局そこに戻ってくる。

で、自分が線を引くところは

・「そうそう、そうなんだよ」(もやもやの言語化 or 共感)
⇒自分がうっすら、ぼんやり思っていたことが、言語化されて、構造的に、もしくは美しく、書かれているところ

・「へえ、そういう考え方もあるんだ」(新たな視点)
⇒そんな風に考えたことが今までなかった、そう考えれば今までのことが新しいものに見えてきそうだというところ

・「これは、今度〇〇で使えそう」(実用的意味、素材)
⇒セミナーで使えるとか、論文でこの部分を書こうとか、そういうところ


いつもここまでで終わってしまう。そういう自覚がすごーくある。これにひっかからないところは読んだそばから抜け落ちていく。

「絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えて」いないので、「精神の中に根をおろすことなく」、本を読んだという経験が、枯れてしまうのだ。観葉植物の植え替えや茎挿しが上手くいかなくて枯れてしまったときのように。

ということは、読んだあとで考えることで、おそらく次への道がありそうだ。じゃあ、何を考えるといいのか?

少なくとも、「へえ、そういう考え方もあるんだ」という新たな視点で、世界をもう一度じっくり見つめなおしてみる必要がありそうだ。


紙に書かれた思想は一般に、砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである。歩行者のたどった道は見える。
だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには、自分の目を用いなければならない。

これが足りていないし、できていない。
と、自分で思いつつ、もうずっと来ている。

かといって、読んだら必ずアウトプットっていうのは、私にはできない。やろうとしたことも、幾度となくあるけれど、みごとに、パーフェクトで挫折している。

じゃあ、「砂に残った歩行者の足跡」をたどりながら、自分の目でその歩行者が見たものを見るには何が必要なのか?


「反復は研究の母なり。」重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。
二度目になると、その事柄のつながりがより良く理解されるし、すでに結論を知っているので、重要な発端の部分も正しく理解されるからである。

ということで、今できることはやっぱりここだよなーと思っている。

ここ最近では遠藤周作の『沈黙』を2回読んで、何が浮かんでくるか待ってみて、そこで浮かんできたことを問いの形にして、その問いを持ってまた別の本を読んだり映画をみたりということをしている。

でもこれ、自分が興味があって、深めていきたいテーマに関してちゃんとやろうと思うと、おそらくものすごい時間がかかる。今のように時間があるときでさえ「ひょえー」って思う。

でも、著者の辿った道を、自分でも歩いて、自分の目で見つめて、それで身体的に気づいていくしかないかなーというのが、今のところ思うことです。

他の「本を読む本」についてもまたUPしながら、続きを書きたいと思います。

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