見出し画像

rickyworksが花を扱う理由

こんにちは。
株式会社rickyworksという会社の創業準備を進めています。

rickyworksofficialSite (bindcloud.jp)

今まで何回か会社を作ってきましたが、今回は初めて自分でHPを制作しておりまして、フリーのサービスを活用して。ですが、、
今さらですが、HPを作成するプロの方々はすごいなぁと心に染みています。

rickyworksの理念

当社の企業理念は、

「花で世界中に笑顔と感動を」
Believe in the power of FLOWERS

です。そして今回は、
この「The POWER of FLOWERS」
をテーマにしたいと思います。

花のチカラの話

花のチカラ。つまり、「FLOWERPOWER」という言葉をご存じですか?
有名な出来事なのでご存じの方も多いとは思いますが、

1967年、サンフランシスコで始まったムーブメント「サマー・オブ・ラブ」のスローガンは「フラワーパワー」。愛のシンボル、そして平和の“武器”として、花は反体制、非暴力ユートピアを象徴していました。警察をはじめとするあらゆる抑圧的な権力に対する返答が、フラワーパワーでした。それは、自らの身体を花で飾り、またその花を他の人々に分け与えることで、怒りを鎮めようというもの。「武器ではなく花を」を合言葉に、敵に武装解除させようとしたのです。

memento.com

この話にはベトナム戦争が関係します。そして1967年サンフランシスコで始まった「サマー・オブ・ラブ」というムーブメントにつながる出来事が、その2年前の1965年にありました。

1964年。
ベトナム統一の主導権をめぐって南北ベトナムの勢力が対立する中で、インドシナの共産化を恐れたアメリカが介入し南を支援したのに対し、北ベトナム軍と南ベトナム解放勢力が協力し、アメリカ軍・南ベトナム政府軍と戦った戦争がベトナム戦争です。
この戦争は1964年8月2日にベトナムのトンキン湾を巡視中の駆逐艦が北ベトナムの魚雷艇の攻撃を受け、直ちに反撃のためアメリカが北ベトナムを爆撃し戦争が始まり、1973年にアメリカがベトナムから撤退。1975年南ベトナムのサイゴン(現ホーチミン)が北ベトナムにより陥落し、戦争は終結。というのがベトナム戦争の大まかな流れです。

一本のカーネーション

ベトナム戦争が1964年に開戦した後、約1年後の1965年10月、アメリカワシントンのリンカーン・メモリアル公園では、10万人を超す人たちが集い、戦争反対のデモ運動が行わたそうです。

そこで「FLOWERPOWER」と銘打つ一枚の写真が生まれます。
どのような写真かというと、
デモ行進をする10万人の人たちを鎮圧しようと大勢の機動隊が出動し、機関銃を構える中、一人の青年が銃を持つ機動隊に近づいて行ったのです。
銃を持つ機動隊に対し、その青年が行ったこと。下の写真をご覧ください。
この写真は「FLOWERPOWER」と名付けられています。


Flower Power - photographie de Bernie Boston (©Bernie Boston) nominée au Prix Pulitzer en 1967


なんとその青年は機動隊が持つ銃の銃口にカーネーションを挿していったのです。
(※ちょっと本題からはそれますが、この銃口に挿している花はカーネーションであるといわれています。ただ、どうもカーネーションには見えないのですが、、カーネーションなのかなぁ、、)

そしてこの後、1967年に、サンフランシスコで行われたムーブメント「サマー・オブ・ラブ」のスローガンは「FLOWER POWER」となり、「武器ではなく花を」というメッセージが謳われたのです。

ipm2020

この話を聞いて思ったこと

この話を初めて聞いたときどう思ったか。というと、
「そんな活動があったんだ!」という感想よりも、
「やっぱりそうだったか!!」という感想の方が合っています。

今まで花の仕事をしてきた中で、たくさんの花を触り、たくさんの場所に花を活けて、たくさんの人に花束を贈ってきました。
そして今まで数えきれないほどさまざまな方々に言われたことがあります。それは、「本当に、お花が好きなんですね」という言葉です。

もちろん好きです。とても好きです。

話はズレますが、私は白いキャンパスのような何もない場所に絵を描きなさいと言われても描ける自信がありません。
だけど「花」は生けられます。なぜなら一本一本に個性があり表情があります。その花を最大限綺麗に美しく、その花らしく飾って魅せるのが私たちの仕事であり、私は花が持つ個性を活かすことについてはとても得意なのです。
つまり、まったく何もない真っ白なところからでは私は何もできないけれど、花がもつ個性が私を助けてくれて素敵なものを作ることができるのです。だから今まで花を続けられました。正しく言えば、私は花に救われてきました。

話をもとに戻しますが、花を扱いながらいつも何かこうただ”モノを販売したというだけじゃないなにか”をずっと感じながら過ごしてきていました。
自分自身の技術力を高めて素敵な花束やアレンジメントを作れるようになりたいと思いこの仕事を続けてきたわけですが、それだけではないものが今までずっとどこかにありました。

今思えばそれを言葉にするとまさに「FLOWERPOWER」だったのです。

すべての一輪に宿る「FLOWERPOWER」

今までフラワーショップでの接客や大きなパーティ会場の装飾、ウェディングブーケやご葬儀の花祭壇。フラワースクールの開催。花の仕事としてはありとあらゆる分野での経験を積みました。ヨーロッパに住み現地のフラワーショップで働かせてもらいながら技術も高めましたし、はたまた日本のいけばなも自分のお教室が開ける免許を取得させてもらうくらいまで学びました。

例えば、以前、横浜みなとみらいのクイーンズスクエアに飾られた全長13mのクリスマスツリーの装飾を担当させてもらったことがあります。2晩かけて装飾が終わり、展示が開始されてから現地を見に行ったら、ある親子がそのツリーを眺めていました。お子さんがそのツリーの前に立ち、お母さんが写真を撮っていました。その子はこのお花の前がいいとか、このお花と映りたい。とツリーに装飾されたどのお花と映りたいかをお母さんに話していてお母さんはわかったわかったと言って何度も子供さんの写真を撮り続けていました。
このよくありそうな光景。
でもこれ、お花じゃなければこのような母と子のコミュニケーションにはなっていなかったのではないか。と思うのです。

他の例でいうと、以前私は気軽に参加していただけるようお酒を飲みながら開催するフラワーレッスンを企画し講師を行っていました。そこにはお酒が飲めることを理由に仕事帰りのサラリーマンが数人参加していました。
その中の一人のエピソードですが、普段、飲みに行って酔っぱらって帰るとご自宅で夫の帰りを待つ奥様はいつもご機嫌ナナメだったそうです。仕事帰りに飲んで遅くに帰ってくる旦那さんに不満があったのでしょう。
その方が私のフラワーレッスンに参加して、普段飲みに行くのと変わらずにお酒も飲んで帰りました。しかし、いつもと違うことが一つだけありました。彼の手にはフラワーレッスンで作った自作の花束があったのです。
彼は帰宅し、奥様にいち早くその花束を差し上げました。いつも通り酔っぱらって帰った旦那さんに奥様は、「素敵な飲み会ね!次はいつあるの?また作ってきて」ととてもうれしそう言ったそうです。

これはつまり、
「花があることで素敵なコミュニケーションがうまれる」
ということ。

私には今まで花の仕事をしてきてこのような事例がたくさんあります。これをどのような言葉で示せばいいのかずっと分からずにいました。

そして、このFLOWERPOWERの話を聞いて思ったのです。
今まで言葉にできなかったこれはまさに「FLOWERPOWER」だった。

FLOWERPOWERは、反戦活動のような大きなテーマではなく、もっと身近なところでたくさん咲いていて、そのチカラをもっと大切に、そしてもっと多くの方々に届けていけば、花によって世界はもっともっと良い方向に進むのではないか。と考えています。

Believe in the power of FLOWERS

私たちは「世界一、花のチカラを信じる集団」です。
ぜひあなたの人生に起こるさまざまなイベントで私たちに花のチカラを活用させてください。


そのイベントの大きさは問いません。どのようなものでも構いません。
花のチカラで人生の中で最高の瞬間と呼べる素敵な”時”にすることを誓います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?