竹のようにしなやかに

父との日々の1ページ

病院から一時外出
父にとっては約2ヶ月ぶりの帰宅でした。
近所の仲良しさんたちが次から次へと
会いに来てくれて、ありがたいなと。


自宅で5時間程過ごし、病院へ戻る車の中で

「今日もいい日やったなー」

そう父が呟きました。

「ホントね、今日もいい日やったね。」
そう言葉を返した私。

心の中で
「今日は!」ではなく
「今日も!」なんだなと。

命の期限を言い渡された父にとって
やっと自宅に帰ることができた
「今日はいい日!」ではなく
「今日もいい日!」と。

1日1日を本当に大切に思っているんだなと。
多くを語らない父のその一言に、改めて
いろんなことを学んだ日でもありました。


ひ孫とベッドでゆっくりタイム



日日是好日   大好きな言葉です。

小学生それもまだ低学年の頃
伯父に連れられて時々参加していた
禅寺での茶道のお稽古
老師さまも席をご一緒されることもよくあり
その時にこの言葉をお話ししてくださいました。

小さな私は当然理解はできてなくて
キョトンと老師さまを見つめる私に
「まだまだ理解は難しいね
だけどとても大切な言葉だよ。
この字だけでも覚えておくといいよ。」
そう言ってくださいました。

その日から私の心の中には
この言葉がずーっとあって
だけどかなりの年齢になるまで
その意味を調べることもせず、過ごしました。

父の呟いた一言がまさにこういうことだなと。

日々いろんなことはあるけれど
起こることに一喜一憂するでなく
起こることはすべて必然

竹のようにしなやかに
伸びやかに
対応できる自分でありたい
そう強く感じた日でした。


今日も読んでくださり
ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?