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服の擦れる音がする。

 ようやく、年末が来る。いや、年末が来た。一年の終わり。なんとなく、意味があるでもないのに気持ちの区切り、なんていうふうにしてしまう季節。息を吐けばそれが白く虚空に浮かぶ季節。少し前まで、肌寒かったのが、いつの間にか肌を突き刺すようになった。一人布団にくるまって、体をすぼめて丸くなる。子どもは雪の子。だけれどももう子どもじゃあない。大人、というわけでもないように思う。無論、大人ではあるはずだ。だけれども、世間一般の大人と同様に見られたくはない。そういうのは穿ったものなのだろうか。

 あれがつい先週のこととは俄に信じ難い。ふたご座流星群。明るい光がいくつも落ちていく。このまま時が止まってしまえばいいのに。雲が少しずつ、速くなって近づいてくる。結局、見られたのはわずかに十個もいかないくらい。なんでだってこんなに空に惹かれるのだろう。空が未知だからなのだろうか。空には手が届きそうで、触れそうで、いや実際触っているのに触らせてはくれないからか。晴れていても、曇っていても、雨の日でも、雪の日でも、空はきれいだ。空は、綺麗。

 あと一週間で今年の授業が終わる。早かったようで遅くも感じた。結局、一年間ずっとそれがつきまとってきた。鬱陶しいほどに。ものすごく長い一年だったと思う。だけれども、それはものすごく短くもあった。長くて短い。あと3ヶ月あると考えるとそれはものすごく長い。それが何か、それは問題ではない。いいことがなかったわけではない。些細なことに楽しみを見出していく。そんなことをしていたら、すぐに時間が過ぎていく。あの空がきれいだった。あの夕景が、あの光景が。その横顔が、その後ろ姿が。独り占めしたくなる。街の喧騒があまり聞かれなくなった。鬱陶しかったはずの喧騒も、なくなってみると案外寂しいのか。そんなことはなかったけれど。2週間もすれば新春、である。年賀状をどうしようか。いつも通り、来たら出せばいいか。一方通行は幾分心に堪える。語らっていたはずだのに、それからもう一ヶ月もたっている。話の内容は案外覚えているものだけれど。

 生活が一変した、なんてよく言うけれども、残念ながらそこまで変わってはいない。次はどこへ行こうか。そんなことばかり考えている。オンラインのメリットなんて、所詮そんなものだ。だが、それが幾分良かったりする。そういえば、もうすぐゼミを決めなければいけなかったか。まあ、いい。ケ・セラ・セラ、だ。いうなればそうだ。そうでしかない。状況を受け入れる他ない。受け入れないのは馬鹿のすることだ。受け入れてそこからどうするか、でしかない。元々、世界の端のほうを歩いていたのだから、さほど苦労するわけでもない。いや、そんな話はどうでもいいか。思い出した。クリーニングを出さなければ。コートが一つオダブツになっている。

 生きる理由がわからない。だとすれば、それこそが生きる理由になれるじゃないか。生きる理由がわからないから、だから生きるのだ。終わらせるのは至極かんたんだけれども、始まりは大変だ。ゼロから1を生みだすのは。いや、正確にいえば0.5から、なのだけれども。自分一人でそう容易くできるわけではないのだから。いや、私は何を言っているのだろう。

 暇だからなんとなく書いているものの、結局いつも通りである。何を書きたいのかわからない。雑感とすら呼べないような代物だ。別にそれで一向に構わないのだけれど。

 少しばかり、年が明けたらどこかへ行こう。どこともつかぬどこかへ行こう。ようは気分次第。結局、なるようになる。なるようにしかならない。雑多に長くなるのも癪なので少しもうここらでやめておこうか。何ヶ月ぶりに書いたろう。楽しいものだな。なに、どうということはない。

 どうでもいいけれど、腰が痛かった。いや、痛い。慢性の、それ。いい加減、どうにかなってはくれまいか。

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