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その「心配」は誰のもの?

我が家の四男くん、
先週から夏風邪ひいてお家にいますが

放課後デイには相変わらず
楽しく通ってます

そして、また
私の中で大きな気づきがあったので
シェアしようと思います


タイトルにもある様に

この「心配」

私は子供のことが
心配で仕方なかったんです

将来ちゃんと生きていけるか
社会の中で生きていけるのか

心配でたまらなかった

だって大切な我が子だから‥

でも‥
ちょっとまって‥

心配なのは‥
不安なのは‥

そう感じてるのは

誰?

‥‥‥

あ、ぜんぶ私だ‥


心配だから‥
この先こうならないように‥

備えあれば憂いなし的な。

だって、そうしないと
四男くんが辛い思いするかもしれない 
悲しい思いするかもしれない‥
苦労するかもしれないから‥

これも確かに「愛」からの
想いなんです

でもね、
これって、違う方向から見たら

この子は、
辛い思いも悲しい思いも
乗り越えられない人間なんだ

と、思ってるし
そういうメッセージを
子供に送ってるのと同じだったんです

それに気づいた時

私にとって子供を大切にするって
こういうことじゃないし
それをしたいわけじゃない

「自分で決めて進める
そんな力を育んでいきたいんだ」

と、答えが見つかったとき

障害物を私が取り除くのって
優しくもなんでもなくて

むしろこの子の成長を
私が奪ってる!

真逆してた〜😱

ということに
気づけたんです

この子は
どんなことも乗り越えられる子だから
大丈夫!

自分自身が
本音の部分で
無意識の部分で

何を信じているのか
フィルターをかけてみていないか

ちゃんと気づいてあげるって
大切だなと思いました





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