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お話会『泣いていいんだよ』に参加して、じわじわ実感してること

下和田実さんの 泣いていいんだよ のお話し会に参加しました。

参加した当日は、ワークをしてもあまり感情が揺れる事がなく、表面的にはわかるけど、感情がわかなかった。泣くことの大切さについて貴重な話しが聞けたな、と思い帰宅しました。

そして翌日2年生の息子。漢字テストの練習。いつもより出来なかった息子が、目に涙をためていた。

『どうして泣いてるの?』と自然に出た言葉

『意味はない😣』と答える息子

『意味あるんでしょ?』

と聞いたら一瞬表情が揺らいで、えーんと泣き始めた。

いつもだったら、(怒り口調で)何で泣くの?泣かなくて良いよ!(泣かれると面倒くさいという感情でいっぱい)

でも昨日の話を聞いていたので、

『泣いていいんだよ』と言ってみた😌

漢字があまりできなかったから泣いてるの?と聞いたら、うん、と頷いて泣いていた

悔しい…と教えてくれて、ぎゅーと抱っこしながら、泣いていいよ、と続けて声をかけた

同じような場面で私がよく言ってた言葉は、

『なんで泣くの?そんな事で泣かなくて良いよ』

と泣かれるのがすごく嫌で、子供の泣きたい気持ちは無視して、無理矢理終わらせてようとしていた


泣かなくていいよ!と言ってる時は苛立ちがいつもあった

でも泣いていいよ、と口に出してみると、なんだか私の気持ちもふわっとやわらいで、落ち着く

へぇ〜

『泣いていいんだよ』は言う方も言われる方も安心する言葉なんだなぁ



お話会終わった直後は、他の参加者の方が感情が出てきて泣いていたり、色々感想が出てきているのを聞いていて、自分はほとんど感情の揺れもなく、表面的な受け取りしかできず、あれ?わたしなんか違うな…と感じていた


でも下和田さんが、何が正解不正解もない。感情が出ない、何も感じないな、を味わいにきたと思えば良いんです。と声をかけてくれて、まぁそうか、と思って帰宅しました。

いつもだったら、あまり感情を感じなかったのは何故か?私の中の何がブロックなのか?と掘り下げて自分を責めるような思考になって、納得するまで掘り下げる。 

でもこの件については、人と違う感じ方しても別に良いんだよな。最近特に、前記事にしたような細かな失敗が続いていて、『どんな自分も受け入れる』練習の一貫で、感じ方に良い悪いはないのだから、自分の感じ方を受け入れるって事なのかなぁと思えます。

そういえば、昔から何か意見を聞かれた時、自分だけ違っていたら、え?わたしだけ違う?みんなと違ったら、不安で、ダメじゃんって思考になっていたなーと思い出しました。

もうそんな思考は卒業して、ありのまま感じたままの自分を受け入れる、そんな自分で良いんだよね、と改めて実感しています。



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